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龍馬伝 第35話「薩長同盟ぜよ」

 通説とは違った「薩長同盟」成立までの流れの今話。私は「史実、史実」と揚げ足をとるような批評を好まないが、今話に限っていえば、通説どおりに描いて欲しかったというのが本音だ。なぜなら、坂本龍馬という人物を題材にした物語の中で、ここがもっとも重要な場面であり、彼が多くの人から支持され続けているところだと思うからだ。さらにいえば、坂本龍馬という人が歴史に残した功績は、この「薩長同盟」成立に尽きるともいえるからである。たとえば、小中学校の歴史教科書などを見れば、坂本龍馬という名はこの「薩長同盟」のくだりで数行ほど登場するだけにすぎない。長い歴史を客観的に見れば、坂本龍馬=「薩摩と長州の手を結ばせた人物」という程度の存在でしかないのである。では、なぜ坂本龍馬という人物が、後世にこれほどまで支持されるのか。それはそこに至るまでのプロセスの中で、坂本龍馬という人物の言動に痛快さをおぼえ、魅了されるからにほかならない。その魅力的なエピソードが「史実」といわれるものならば、変える理由はどこにもないし、変えれば坂本龍馬の魅力を損なうことになるだけだ。今話はそのもっとも重要で魅力的な場面だっただけに、残念でならない。

 西郷隆盛桂小五郎の下関会見が失敗に終わり、一度は暗礁に乗り上げた「薩長同盟」だったが、龍馬が企画した「和解」のためのステップを経て、慶応元年(1865年)暮にはいよいよ決行の機が熟しつつあった。西郷から長州に送った使者や龍馬の説得などもあり、慶応2年(1866年)1月には、ようやく桂も重い腰をあげ、同月8日に伏見に着き、翌9日に厳戒中の京へ入り薩摩屋敷に潜入した。桂を追うように龍馬も、長州の支藩長府の三吉慎蔵を護衛として1月10日に下関をたつ。17日神戸。18日大坂。19日伏見。20日二本松(京の薩摩屋敷)と、強行軍の旅だった。

 桂、西郷の会談が始まって10日が過ぎ、当然「協定」は成立したものと思っていた龍馬は、薩摩屋敷に入り愕然とすることになる。協定はまとまらぬまま、桂は帰ろうと身支度をしていたのだ。桂がいうには、西郷らは毎日接待に気を使い、ご馳走攻にはするものの、一言も両藩の協定について口火を切ろうとしない・・・とのものだった。「ならばなぜ長州から口火を切らぬ。」と龍馬が尋ねると、「それは出来ぬ。」と桂はいう。両藩の立場が違うというのだ。その理由を『木戸孝允自叙ノ要領』から抜粋すると、「薩州ハ公然天子ニに朝シ、薩州ハ公然幕府ニ会シ、薩州ハ公然諸侯に交ル」という。つまり、合法的に天子とも幕府とも諸侯とも交われる立場の薩摩に対して、孤立無援の長州から協定の口を開くということは、助けてくれというのと同じだ・・・というのが、桂の理屈だった。龍馬は怒った。いつまで「藩」の体面にこだわっているのか、と。「拙者らが両藩のために寝食を忘れて奔走するのは、決して両藩のためではない。一意国家を思えばこそだ。しかるに貴兄らは足を百里の外に労し、両藩の重役相会しながら今日まで為す事もなく日を送るのは、はなはだ心得ぬことではないか。」と。のちに龍馬は、亀山社中の中島作太郎に、「おもえば自分は生まれてこのかた怒ったことがなかった。しかしあのときばかりは、度を失うほどに腹が立った。」と語っている。

 龍馬の説くところは桂にも理解できなくはなかった。しかし、感情がそれを許さなかったのだろう。感情は理屈ではない。これまでの長州人の苦しみを考えれば、理屈ではどうにもならない意地があった。その意地を貫くためなら、長州は滅んでもかまわない・・・とまで桂はいった。「薩州、皇家ニ尽スアラバ、長州滅スルトイヘドモ亦天下ノ幸ナリ」と。長州は面目にこだわりはしたが、「天下」のことを考えていないわけではない。薩摩が生き残り、皇国のために奮闘してくれるならば、長州は滅んでもかまわない、と。この言葉を聞いた龍馬の態度をまた『木戸孝允自叙ノ要領』の文章を借りると、「龍馬、黙然タルコト稍久シク、桂ノ決意牢固トシテ容易ニ動カスベカラザルヲ察知シ、マタ敢ヘテ之ヲ責メズ。」とある。龍馬は桂の感情、おかれた立場を理解した。

 桂の覚悟を察した龍馬は、その足で西郷のもとに走った。薩長両藩の提携は、その目前に際して、感情の整理が必要だった。龍馬は西郷を説いた。薩摩と長州のおかれた立場があまりにも違いすぎることを。この期に及んで、なおも藩の体面と威厳を保とうとする薩摩を責めた。西郷は理解した。そして翌日、もう一度桂と会い、西郷から長州との提携の議をもちだした。同席したのは、薩摩側から西郷隆盛小松帯刀、長州側から桂小五郎、そして仲介人として坂本龍馬の4人だった。慶応2年(1866年)1月21日、ここに「薩長攻守同盟」が結ばれ、歴史はいよいよ「倒幕」の道をたどることになる。

 小説「竜馬がゆく」の中で、著者・司馬遼太郎氏は次にように述べている。
 『この当時、薩長連合というのは、竜馬の独創的構想ではなく、すでに薩長以外の志士たちのあいだでの常識になっていた。薩摩と長州が手をにぎれば幕府は倒れる、というのは、たれしもが思った着想である。
・・・(中略)・・・
 しかししょせんは机上の論で、たとえば1965年の現在、カトリックと新教諸派が合併すればキリスト教の大勢力ができる、とか、米国とソヴィエト連邦とが握手すれば世界平和はきょうにでも成る、という議論とやや似ている。竜馬という若者は、その難事を最期の段階ではただひとりで担当した。
・・・(中略)・・・
 この段階で竜馬は西郷に、「長州が可哀想ではないか」と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことでしかない。あとは、西郷を射すように見つめたまま、沈黙したからである。奇妙といっていい。これで薩長連合は成立した。歴史は回転し、時勢はこの夜を境に倒幕段階に入った。一介の土佐浪人から出たこのひとことのふしぎさを書こうとして、筆者は、三千枚ちかくの枚数をついやしてきたように思われる。事の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。』


 冒頭でも述べたように、坂本龍馬という人物の魅力は、歴史に残した功績ではなく、そこに至るまでのプロセスの中にあると私は思う。司馬さんの文章の中にある、「事の成るならぬは、その人間による」という言葉のとおり、龍馬にしか成し得なかったプロセスを、通説どおりに描いてほしかった今話だった。


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by sakanoueno-kumo | 2010-08-30 03:36 | 龍馬伝 | Comments(4)  

Commented by at 2010-08-30 15:21 x
こんにちは。

薩長互いに口火を切らず緊迫する場面を、
過去のドラマでドキドキしながら観ましたが、
今回は龍馬が「新選組の屯所へ行く」等と言い出し、
別の意味でハラハラしました。
薩長同盟、ちゃんと結ばれるんだろうかと。
やけに新選組を絡ませ続けますが、
弥太郎が語る物語なので、当時信じられていた
「犯人説」採用なのでしょうか。
何故、新選組を引っ張るのか
そちらに気を取られてなりません。

Commented by sakanoueno-kumo at 2010-08-31 00:26
< 湛さん。
この時期、龍馬の存在は幕府も知るところとなり、桂とともに捕縛の手配の対象となっていました。
新選組を登場させたのは、龍馬が入京した京の町は、そういった危険な状態にあったということが言いたかったのでしょう。
であれば、新選組が見廻組に平伏すシーンなど必要ないですよね。
ましてや弥太郎など、まったく本筋と関係ないわけで・・・(笑)。

ドラマには登場していませんが、幕府の要人で大久保一翁という人がいます。
海舟を通じてかねてから一翁と昵懇だった龍馬は、大坂から京への警備の薄い抜け道を聞くため、このとき自分を捕らようとする幕府の総元締めにあった一翁のもとを訪ねるという、これまた痛快なエピソードがあります。
この時期の龍馬のおかれた立場を表したいのであれば、通説どおりこのエピソードを採用するべきだったのではないでしょうか。
Commented by ayumiyori at 2010-09-01 13:47 x
坂の上さん、感謝です。龍馬の人となり私なりですが理解に近づける気がしています。こういう若者が存在した、感服です。それを今この文章で伺い知ることができました。
「長州が可哀想ではないか」のひとこと、あとは絶句。大河ドラマ龍馬伝35話まで来る過程で確かに繋がる言葉ではあります。
感情の整理、立場の理解など、今回の「薩長同盟ぜよ」を通して自分も新たな感覚を味わっています。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-09-01 15:25
< ayumiyori さん。
坂本龍馬の魅力は、虚実とりまぜた物語の中にあると私は思います。
だから、容易に変えて欲しくないのです。
定番のエピソードを定番のまま作っても、決して古いものにはなりません。
そんなことを思った、今話でした。

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