人気ブログランキング |

24時間テレビを観て「偽善」だという人たち。

先日放送されていたチャリティー番組「24時間テレビ」に対して、「タレントにギャラを払うな!」「障害者を見世物にするな!」といった批判が多く寄せられているそうです。
私も特別この種の番組を好んでは見ませんが(今回、長瀬くんと広末さんのドラマは途中から見て不覚にもウルッとしちゃいました)、だからと言ってあれを見て不快に感じるという人の声には、逆に不快感を覚えます。
まあ、タレントさんのマラソンの企画は、「もういいだろう!」という気がしないでもないですが・・・。

「偽善」だと批判する人は、では自分は普段いったいどれほどの善行をしているのでしょうね。
障害者が頑張っている姿を見て不快に思う人は、健常者でありながら頑張ろうとしない、堕落した自身をかえりみて不快に感じるからではないでしょうか。
「タレントにギャラを払うな!」といいますが、タレントさんが報酬を貰うのは当たり前のこと。
それが職業なんだから・・・。
いくら目の前に困っている人がいても、理容師さんがタダで散髪したり、大工さんがタダで家を建ててあげたり、タクシーの運ちゃんがタダで乗せてくれたりしません。
要はその稼いだお金に余裕があれば、寄付というかたちで協力すればいいわけで、でもそれをするかしないかも、当人の考えで決めたらいいことだと思います。
つまりは、「ギャラをもらうな」など批判する人は、自分たちが何ヶ月もかけて稼ぐお金を数時間で稼いでしまうタレントさんに対する、妬みやっかみの心からくる声なんじゃないでしょうか。
食うや食わずの安もん芸人のギャラには、きっと文句を言う人はいないでしょう。
高収入を得ている人のことを快く思わない・・・日本人の悪いところですね。

話は少し違うかもしれませんが、昨年話題になった、失業者のためのボランティア「年越派遣村」に対する多くの批判の声を聞いた時も、今回に似た感情を抱きました。
収入がなく寝食を求めて集まった人に対して、「働かざるもの食うべからず!」「怠け者を助ける必要はない!」などといった批難の声が多く聞かれ、彼ら失業者を擁護するマスコミに対しても、「偽善」という批判が声高に言われました。
なぜ困っている人に手を差しのべることが「偽善」なのでしょう。
たしかに「怠け者」と言われても仕方がない人もいたかもしれませんが、助けを受けるということは、実はとても辛くみじめなことであって、その辛くみじめな助けをあまんじて受けなければならなかった彼らに対して、さらに追い打ちをかけるように批難の声を浴びせる人たちには、同じ日本人として憤りを覚えました。
自分たちは自力で寝食を得ている、だからオマエらも自力で生きろ!・・・なぜそんな理屈になるのでしょうね。
助けを受けなくとも生きていける自分を幸せに思うだけでいいじゃないですか。
そして余力のある人は困っている人を助け、それが出来ない人も、困っている人を見て可哀想と思う・・・そんなごくごく当たり前のことが、なぜ私たち日本人は出来なくなったのでしょう。
手をさしのべる行為に対して、「偽善」「上から目線」などといったふうにしか見られない人のほうが、「ひねくれ目線」であり、「狭量」だと私は思います。

いつから私たち日本人は、人の心の痛みをわからない、頑張っている人を素直に応援できない、そんな国民性になったのでしょう・・・思えばこれも、小泉政権時代に推し進めた「市場原理主義」による弊害といえるかもしれません。
人は皆、個人個人・・・力のあるものは栄え、力のないものは淘汰される。
その考えは間違っていないのかもしれませんが、殺伐としたその社会の中で、勝ち組は「哀れみ」の心をなくし、負け組は「感謝」の気持ちをなくしていった・・・私は小泉政権容認派ですが、その部分に関してのみ率直にそう感じます。

私の好きな司馬遼太郎氏が、小学校6年生の子供に向けて書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」のなかで、このように述べています。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり、今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。
例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。


「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」、なくしてしまっているように思えませんか?
訓練しなければなりませんね。


にほんブログ村ランキングにエントリーしています。
下記、応援クリック頂けると嬉しく思います。
   ↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2010-09-03 18:01 | 芸能 | Trackback | Comments(7)  

トラックバックURL : https://signboard.exblog.jp/tb/13178044
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by T37umanami at 2010-09-04 16:19
こんにちは。
いろんな立場があると思うのですが、それによって
見方が変わってくるのではないかと思います。
24時間テレビも批判するんだったら、見なければ
いいだけのことだと思います。
かといって簡単な問題でもない気がします。
記事にもあった派遣村にも本当に厳しい立場の人も
いると思います。しかし、支給された金を使って
酒を買ったりする人もいます。その一部の人の
おかげで印象を悪くすると思います。
俺は難聴でいろいろ苦労しましたが、ここまでやってこれました。
要は当事者は自分がどうしたいか?どうあるべきか?という自己の意識をもっとしっかりやること。
周りの方々は、状況を確認せずにその場の発言をしてしまうことが問題なのではないかと思います。
まあ、できてる人もいると思いますが・・・
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-09-06 03:33
< T37umanamiさん。
人それぞれと言ってしまえばこの話は終わってしまいます。
不快に思うなら見なければいい、ではなく、不快に思うこと自体に憤りを覚えるのです。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
この心に、人それぞれなどといった意見はありません。
皆が持たなければならない心です。

昨今、なんでも自己主張が良しとする傾向にあります。
悪いことではありませんが、ともすればそれは「利己主義」という人種を多く生んでいるように思えます。
Commented by marquetry at 2010-09-06 15:33
そう...私はボランティアという言葉や活動にちょっと抵抗がある。
自分から活動している人は全く構わない...ただ、勧誘や、ボランティアをまるで何かの勲章の様にあつかったり、ただで働いてあげる...ことがイイとは、思えないんです。...働かざるもの喰うべからず、働く者には、対価を!...の方が、確かに合点が行くからです...ただ、ボランティアも、チャリティーも、自らが自らの思いで参加し行動するのは有。本来は、企業から仕事として命令されてやるモノではない...という部分で24時間テレビにはあまり興味が無くなった(始めは違ってたでしょ?)...。ギャラをもらわなければ、参加してくれる芸能人がいなくなった...地点で、その番組は成り立ってないことになる。...しかし、それを、外野がとやかく言うのは、全く別の問題!...ですよね?kumoさん。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-09-06 16:38
< marquetryさん。
私もボランティアという言葉をやたらと発する人をあまり好みません。
というのは、ボランティアを好んでする人は、恩着せがましい人が多いからです。
「してあげてる」的なボランティアは、「してもらっている」側も嬉しくないでしょう。
本来ボランティアやチャリティーは、「させてもらっている」ものだと思います。
誰だって、ボランティアを受ける側にはなりたくないですよね。
出来ればボランティアをする側でありたいものです。
つまり、困っている人を助ける側でいられるということは、自分が現状幸せでいる証であり、ボランティアは結局「自分のため」にすることだと思うんですね。
「情けは人のためならず」でしょう?
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-09-06 16:50
< marquetryさん。
続き。
「働かざるもの喰うべからず」については私は少し考えが違います。
確かにそのほうがもっともで合点がいく・・・それは基本的に資本主義国家は「働かざるもの喰うべからず」で、格差を生む社会だからです。
でもだからこそ政治や道徳は、弱者の味方でなければならないと思います。
かといって社会主義や共産主義が良いというのではありません。
ただ、主義・思想と政治・道徳は、いつも背中合わせでなければならないと、常々思っています。
Commented by marquetry at 2010-09-07 11:03
ん!ボランティアやチャリティーは、『してあげてる』って態度はいやですね。私に、『お手伝いさせて?お手伝い出来る事は有りますか?』ですよね〜。ましてや、出来る事なら、してもらう側にも、してもらいたい人がいる訳で、誰でもイイ訳じゃない...。頼んでもいないのに、されるのは、ありがた迷惑ってモンデスヨネ...そう思います。

....そう、働かざるもの喰うべからず...と言うからには、働いて喰える自分は、少しでも何か出来る事はやろう!(失業中の友達の愚痴を聞くとか、米を分けるとか)という気持ちが無くならないように、自分の気持ちをゼロ(真ん中)にしていたいと思います。自分だけ食べれても、ちっとも美味しくないですし、ちっとも心地よくないですからネ/
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-09-07 14:58
< marquetryさん。
私がボランティアというのはありがたいものだとツクヅク感じたのは、阪神大震災のときです。
あのとき被災地で活動していた方々には、「してあげてる」的な姿勢は微塵にも感じられませんでした。
そしてそんな中で最も頑張ってくれていたのは、ピアスをしたり金髪でタトゥーをしたような若者だったんですね。
若者も捨てたもんじゃないなぁと思いましたよ。
彼らは、平時のときには社会からはみ出てしまった奴らなんですね。
で、あのような非常事態になって彼らでも役に立つ場所ができたんですよ。
だから彼らは「してあげてる」という気持ちは全くなく、むしろ自分たちでも頼りにしてもらえることに、非常な充実感を覚えていたのでしょう。
彼らにとってボランティアは被災者のためではなく、自分のためだったんですね。
本来ボランティアとは、そうあるべきだと思います。

<< 龍馬伝 第36話「寺田屋騒動」 熱中症に注意!戦後最高に暑い夏。 >>