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坂本龍馬の「大政奉還論」と、中岡慎太郎の「武力倒幕論」(前編)

 「大政奉還論」は、もちろん坂本龍馬が考えたものではない。最初に提唱したのは、幕閣の大久保一翁だった。一翁は文久2年(1862年)、幕府の衰退が甚だしい情勢から、政権を朝廷に返上して、徳川家も駿河一体の一大名になるべきだと城中で説いた。このとき幕府内では誰も賛同する者はいなかったが、その後、越前藩主・松平春嶽も同年10月13日付の政治総裁職辞任願で同意見を記し、翌年1月18日には勝海舟も江戸城大広間で将軍職辞退を発言している。ただ、この頃の大政奉還論は、後年の龍馬のそれとはニュアンスが少し違う。嘉永6年(1853年)の黒船来航から、幕府は鎖国が不可能であることを認識していた。しかし、当時の孝明天皇は開国に反対し、攘夷を求め続けていた。一翁たちのいう大政奉還論は、開国の必要性を朝廷に認識させ、それと引き換えに政権を返上する、といった意味での論だった。幕府の政権はあくまでも天皇から委任されたものであり、日本の第一主権者は天皇であることは歴史的にも明白であったが、鎌倉幕府以来600年以上も続いていた武家政権の中、朝廷に政権担当能力などなかった。攘夷、攘夷と簡単にいうが、では政権を返すから、やれるものならやってみろ、といった露骨な批判の意味を込めた大政奉還論だった。幕府側から出た大政奉還論は、つきつめれば低意はそこにあった。

e0158128_1524677.jpg 坂本龍馬が大政奉還論を初めて口にした記録は、慶応2年(1866年)8月、四境戦争で幕府が長州に敗れたのちだった。長崎にいた龍馬を訪ねてきた越前藩士・下山尚に、幕府はもうだめだ、親藩の春嶽公なら何とかなるから、「政権奉還ノ策ヲ速ヤカニ春嶽公ニ告ゲ、公一身之レニ当ラバ、幸ニ済スベキアラン」と語っている。春嶽が大政奉還の意見だったことは海舟から聞いていたことだろう。下山尚は越前への帰途、横井小楠に面会してこの龍馬の意見を告げると、小楠は「手ヲ拍シテ歎シタ」という。大政奉還論はもともと小楠からの発想でもあったからだ。越前に戻った下山は、直ちにこの意見を春嶽に伝えた。しかし、春嶽は難色を示した。彼がこの意見を述べた4年前とは情勢が変わっていたからである。4年前のそれは、朝廷はたとえ政権返上案を突きつけられても、のめるはずがないことが分かっていての、いわば脅しの意味のそれだった。今は違う。大政奉還は、徳川政権の終焉を意味する。春嶽にそれほどの意欲はなかった。彼は賢公ではあったが、所詮、実行の人ではなかった。

e0158128_1533825.jpg この時期より少し前の慶応元年末、中岡慎太郎は独自の論法で倒幕への見通しをたてた論文を記している。有名な「時勢論」である。封建の害の克服を目指して書かれたこの論の主眼は、龍馬とは違い武力そのものに集中していた。
 「夫れ国に兵権有て然る後、可和、可戦、可開、可鎖、皆権は我に在りて、而して其兵権なるものは武備に在り。其の気は士気にあり、故に卓見者の言に曰く、富国強兵と云うものは、戦の一字にあり、是れ実に大卓見にして千載の高議、確乎として不可抜、則も知能の事に処する者、且和し、且戦い、終始変化無窮極る者なり。」
 のちに伝説的に伝えられることになる「戦の一字」なのだが、この武力に集中した慎太郎の発想は、二度も朝廷の「賊」として追われた長州激派と共に行動してきた経験から引き出された信念だったといえる。彼はこの中で、死んだ久坂玄瑞の言葉を借りてこう記す。
 「西洋諸国と雖、魯王のペートル、米利堅のワシントン師の如き、国を興す者の事業を見るに、是非共百戦中より英傑起り、議論に定りたる者に非らざれば、役に立たざるもの也。是非共早く一旦戦争を始めざれば、議論計りになりて事業は何時迄も運び不申」
 ロシアのペートル大帝を見ても、アメリカのワシントン大統領を見ても、戦争なくして革命は成立しないといった慎太郎の論は、決して的外れではなかった。

 歴史家の中には、この時期の龍馬の行動について、大政奉還の周旋を春嶽に依頼したことなどをあげて、「龍馬が主張する大政奉還論は、中岡の場合と違って現実の厳しい諸勢力の対立をかなり安易に判断しているとみなければならない。」と、手厳しい評価を下しているものもあるが、私はそうは思わない。薩摩も長州もまだ具体的な討幕の計画が出されていない慶応2年8月、大政奉還論というひとつの手段を、かねてから知り合いだった春嶽に促してみただけで、春嶽が動けばそれはそれで結構なことで、やらなければまた別の方法を考えればよしといった程度のものだったのではないだろうか。あらゆる可能性の種を一応は蒔いて布石を打っておくこと、これこそ龍馬の能力ではないだろうか。

坂本龍馬の「大政奉還論」と、中岡慎太郎の「武力倒幕論」(後編)


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by sakanoueno-kumo | 2010-11-10 23:59 | 歴史考察 | Trackback | Comments(0)  

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