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坂本龍馬の「大政奉還論」と、中岡慎太郎の「武力倒幕論」(後編)

 坂本龍馬大政奉還の周旋に動き始めた慶応2年(1866年)末、中岡慎太郎は、「窃(ひそか)に知己に示す論」(慶応2年10月執筆)、「愚論 窃に知己の人に示す」(同年11月執筆)という二つの論文を記している。
e0158128_1555366.jpg 「徳川を助くる今日の策は他無し。政権を朝廷に返上し、自ら退いて道を治め、臣子の分を尽すにあり。強て自から威を張らんとせば、則ち必滅疑無。諸侯若し信あらば、今日暴威を助けて自滅に至らんよりは、早く忠告し、一大諸侯となり、永久の基を立てしむべし。」
 この慎太郎の記した「窃に知己に示す論」の結論を見ると、龍馬の大政奉還論と根本的に一致していることがわかる。前年に記した「時勢論」の、「戦の一字」の名文が一人歩きし、武力倒幕一辺倒のイメージでとられがちな彼だが、この論文を見ると決してそうではなかったことがうかがえる。また、「愚論 窃に知己の人に示す」ではこうも記している。
 「窃に思ふに、大に開かんとすれば、其の船の仕法肝要なる故に、大坂辺の豪商と結び、洋商公会の法に習ひ商会を結び、下ノ関、大坂、長崎、上海、香港等へ其の局内の者を出し、大に国財を養ひたらば、海軍の助になるべし。」
 土佐の藩政改革を論及したものだが、ここでも龍馬の発想に接近していることは明らかだ。龍馬から得た経済眼だったと考えてもいいかもしれない。慎太郎は、龍馬のいう大政奉還論や経済感覚を、完全に肯定するまでには至らずとも、ひとつの手段として認めていたことがうかがえる。

 龍馬はどうだろう。慎太郎のいう武力倒幕論を全く認めない、平和主義非戦論者だったのだろうか。私は違うと思っている。たしかに彼は、慶応3年(1867年)5月、京における四侯会議がまとまらず、薩長がもはや武力討幕しかないと考え始めていたとき、「船中八策」後藤象二郎に説き、大政奉還を土佐の藩論とするよう促した。彼はこの時期、「いろは丸沈没事件」の談判で無駄な日々を費やしており、京の情勢に疎くなっていたという歴史家もいる。それも違うと思う。龍馬は現実を見据え、もっとも可能性の高い道を探していたのだと私は思う。

e0158128_1563989.jpg 長州は、前年の四境戦争で幕軍を追い払うだけの実力があることは証明された。薩摩も同等の力はあるだろう。しかし、徳川慶喜の率いる幕府直属軍も、フランス陸軍の援助のもとに軍制改革が強化されており、四境戦争のときよりかなり質が高まってきていることは、薩長とて知らないはずはない。薩長が事を起こすとしても、この5月、6月の段階ではまだ準備不足で、必ず勝てる保障などどこにもなかった。そんな博打のような革命路線で多くの無駄な命を亡くすことは、龍馬は避けたかったのだろう。龍馬が起案した「大政奉還」への道筋は、もし、幕府がこれを受け入れればそれでよし、受け入れずとも、この案を土佐藩が藩論として幕府に促している間に、武力討幕の準備も同時進行で進めるといった、両道の、いわば引き伸ばし策でもあったのではないだろうか。ここでも、あらゆる可能性を考えて策を施す、龍馬の現実的な政治手腕がうかがえる。後藤がこれを、まったくの平和路線と考え、これで武力討幕派を抑えて土佐藩がイニシアティブをとれると思ったことは間違いないだろう。しかし、龍馬は武力倒幕の道を完全否定しているわけではなかった。

 つまり私が言いたいのは、中岡慎太郎の武力討幕論に対して、坂本龍馬は大政奉還論平和革命コースという常識は、必ずしもそうとはいえないということだ。たしかに言論だけ見ていけば、慎太郎の方が武力倒幕論一本でまとまっている。しかし、実際の行動を見ると、慎太郎は龍馬の海援隊に呼応する陸援隊を作ったものの、現実には小銃の買い入れさえ上手く進んでいなかったのに対し、龍馬は新式ライフル銃1300挺を買い入れ、そのうち1000挺を土佐に送りつけるなど、はるかに具体的な討幕の準備を進めていた。言論で促すよりも、1000挺のライフル銃を土佐がどう始末するか、龍馬流の土佐藩に対する脅しだったのではないだろうか。龍馬と慎太郎は、決して相反する考えだったわけではなく、間違いなく同志だった。龍馬は、武力倒幕の準備を全力をあげて行った上で、薩摩、長州、土佐がまだその実力を持てない状況を見据え、もうひとつの道、「大政奉還」の案をいまひと押ししようとしたのだろうと私は思う。

 前編の冒頭で述べたように、もともと大政奉還論は、幕府側から出たものである。その大政奉還を、龍馬はかたちを変えてぎりぎりのタイミングで幕府に投げ返した。この政治的センスの良さは坂本龍馬の大きな魅力のひとつで、高く評価していいのではないだろうか。

坂本龍馬の「大政奉還論」と、中岡慎太郎の「武力倒幕論」(前編)


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by sakanoueno-kumo | 2010-11-11 23:59 | 歴史考察 | Comments(2)  

Commented by marquetry at 2010-11-16 11:14
月曜日のTVタックルで誰かが言ってましたね...。高杉晋作が、身ひとつで異国人を威嚇し、北では、勝海舟がやはり英国艦隊を見方に、ロシアを追っ払った...昔から、日本は気合いだけで、キワキワの外交をして来たと...。龍馬の時代も、内政で争いが絶えなかった...そんな場合じゃない!諸国が日本を狙っている!と気がついた龍馬達が選んだ大政奉還。
...あぁ〜今の政治家に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい...。
Commented by sakanoueno-kumo at 2010-11-16 16:21
< marquetryさん。
長年続いて腐敗していた徳川政権を倒し、政権交代を勝ちとった彼ら幕末の志士たちでしたが、とはいえ経験不足の未熟者ばかりでしたから、明治政府樹立後も紆余曲折を繰り返します。
その意味では、長年続いて腐敗した自民党政権を倒し、政権交代を勝ちとった今の民主党政権は、経験不足の未熟者という点で幕末の彼らと共通点があるかもしれません。
昨今の中国やロシアに対する対応を見ても、現政権の経験不足がもたらした結果といえるわけで、その政権を選んだわれわれ国民の責任もあるでしょう。
でも、幕末の彼らと現政権とでは、同じ未熟者でも決定的な違いがあります。
幕末の彼らは皆、命を賭けていました。
今の時代、命を賭けろとはいいませんが、あれだけ国民を煽って政権を手に入れたのだから、少なくとも政治家生命を賭けて臨んでほしいものですが、昨今の右往左往している政府の姿を見ていると、とても幕末の志士たちには比喩できません。
もうそろそろ、政権から降りるべきでしょうね。

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