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誕生日に思う。~阪神・淡路大震災から16年。

 本日、1月17日は私の誕生日です。気分転換にブログタイトルの背景画像を変えてみました。我が愛する町・神戸メリケンパークの夜景です。一番右端のビルがホテル・オークラ、その左横にある白いモニュメントのような建造物は神戸海洋博物館、その左横の赤い塔が神戸港のシンボル・ポートタワー、一番左にある船のような形をした建物はメリケンパークオリエンタルホテルです。絵葉書などでもよく使われている神戸の代表的な景色ですから、訪れたことのない方も目にしたことのある景色ですよね。

 私が子どもの頃は、ポートタワー以外の高層建造物はなかったので、ポートタワーは市内中心部のどこにいても眼に入る「せいたかノッポ」さんでしたが、今ではすっかり高層ビルや高速道路の死角となって、かつての存在感はなくなってしまいました。そんなこともあってか、昨年改修工事が行われ、今までの照明に加えLED7000個によるライトアップが施され、40種類の照明演出で神戸港を彩っています。

 (今後また背景画像を変えるかもしれないので、記事中にも同じ写真をアップしておきます。)
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 さて、本日1月17日は、私たち神戸市民には忘れることの出来ない、阪神・淡路大震災の発生した日です。平成7年(1995年)1月17日午前5時46分27秒、兵庫県南部に観測史上初の「震度7(激震)」という大規模地震が発生し、一瞬にして町は壊滅、6000人以上の命が奪われました。この日、28歳の誕生日だった私も今日で44歳、16年という年月が過ぎました。あれ以来、私にとって自身の誕生日は、6434人の追悼の日でもあり、震災後の神戸の町や、自分自身を振り返る日でもあります。

 昨年、一昨年の同じ1月17日、地震直後の実体験や身近にあった悲しいエピソードをお話ししましたが(参照:震災から14年。そして私の誕生日。今、思うこと。今日は私の誕生日。そして阪神・淡路大震災から15年。 )、本日は、そんな非日常的な被災地の中で、元気をもらった話を少ししたいと思います。

 私は幸い家も家族も無事でしたが、当時、私の会社は、被災地の中でも特に被害の大きい建物倒壊率99%といわれた地区にありました。高速道路が横倒しになっている光景は印象に強いと思いますが、あの近くです。そんな究極の被災地にある職場ですから一度出社したら4~5日は自宅に帰れず、事務所で寝泊りをする生活を2ヶ月近く続けていました。そのうち1ヶ月近くは、水道もガスも電気もない日々で、真冬のその生活は厳しいものでしたが、住宅地にあった会社の周りに住む人たちのほとんどは、家を失い、避難所もしくは路上生活を余儀なくされた人たちばかりで、石油ストーブを焚いた事務所で寝泊まりできる私は、罪悪感のような気持ちを抱いたものです。

 しかし、避難所の人たちはそんな私たちを仲間のように接してくれました。究極の被災地ですから、店などあるはずもなく、少し離れたコンビニに足を運んでも商品はほとんどなく、食事もままならなかったのですが、避難所の炊き出しのお裾分けをいつも事務所に持ってきてくれました。救援物資で配給される弁当なども分けてくれました。夜には、暖をとるための焚き火場の仲間に入れてもらい、お酒ももらいました。それまで私は、会社の周りの地域の方々とあまり交流がなかったのですが、皮肉にもこの震災をキッカケに深く関わることとなったのです。災害という、周りが皆、不幸を共有する非常事態に陥ったとき、そこには仲間意識が芽生え、人は優しくなれるということを知りました。

 そしてもうひとつ元気をもらったのは、ボランティア活動の人たちでした。いわゆるボランティア団体の方々もそうですが、実はあのとき、最もハリキッて頑張ってくれていたのは、ピアスをしたり金髪タトゥーをしたような若者たちでした。彼らは炊き出しから救援物資の配布、力仕事やお年寄りのお世話など、実に精力的に汗を流していました。もちろん、なんの見返りもない仕事です。若者も捨てたもんじゃないなぁと思いました。彼らは、いってみれば、平時では社会からはみ出してしまった奴らです。それが、あのような非常事態になって、そんな彼らでも役に立つ場所ができたわけです。彼らにとってはボランティアというよりも、むしろ自分たちでも頼りにしてもらえるということに、非常な充実感を覚えていたのでしょう。平時にはコンビニの前でしゃがみ込んでたむろしているはみ出し者の彼らも、本当は、何かの役に立ちたい思いがあるんだということを知りました。こんな言い方をすると語弊があるかもしれませんが、若者は、非常時になるとおそらく『血が騒ぐ』のだろうなと・・・。それは、当時28歳というギリギリ若者といえる年齢だった私には、少しわかるような気がしました。

 震災から16年。今、神戸は、震災によって一時は減ってしまった人口を徐々に取り戻し、そこだけでみれば日本5大都市の一角にまで戻りました。しかし、その5大都市の中で失業率はダントツのトップで、全国でみても平均値をはるかに上回っています。震災の爪跡はまだまだそういうかたちで残っているのです。震災はもう懲り懲りですが、何かの役に立ちたいという若者たちの思いが、少しでも多く叶うような元気な町に、1日も早く戻ってほしいと願うばかりです。

 冒頭でもお話ししましたが、今日、私は44歳になりました。誕生日を向かえるたびに、震災のことを思い出す私です。


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by sakanoueno-kumo | 2011-01-17 01:48 | 日常 | Comments(4)  

Commented by ブラック奄美 at 2011-01-17 10:23 x
今日がお誕生日ということで、とりあえず「おめでとうございます。」しかし、ご心中はさぞ複雑なこととお察し致します。私が住んでいる街も神戸ほどひどくなかったとはいえ、自宅も半壊に近く、周囲の古い家屋はほとんど倒壊してしまいました。関東の親戚から送ってもらったブルーシートを屋根にかぶせてすごす日々が続き、その後も屋根の吹き替え工事。そんな中で私の母は療養中の身でしたが、やはり堪えたのでしょう、その年の7月に不帰の人となってしまいました。あれからはや16年ですか。このときの体験は決して風化させてはならないと思います。(正確な日時は、1995年1月17日午前5時46分27秒です)そして、この時にボランティアに精を出した若者も今では社会の中堅層ですし、恐らくは46歳前後だった「団塊の世代」は続々と引退生活に入っています。「超高齢化社会における災害対策」を真剣に考えておかないといけない時期に日本は来ています。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-01-17 11:26
< ブラック奄美さん。
ご指摘箇所、早速訂正しました。
ありがとうございます。
まあ、この歳になると自分の誕生日なんて忘れてしまいそうなものですが、たまたまこういう日に重なったことで、自分も家族も忘れなくてすんでいます(笑)。
この地震で当時、私の会社の得意先をほとんど失い、大阪・京都などに新規顧客を求め慣れない営業活動に苦しみましたが、その折、私のこの“誕生日ネタ”は役に立ちました(笑)。
当時、神戸と聞いただけで必ず震災の話になりましたから、「実は当日、私の誕生日でして・・・」と、自虐ネタ風に話をすると、たいていはウケて話を聞いてもらうツカミになったものです。
自分の誕生日に感謝しましたね。

そちらも確か、阪急電車の駅が倒壊していましたよね。

おっしゃるように、このときの体験は決して風化させてはならないのですが、震災後数年は災害対策も敏感でいましたが、人間、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」もので・・・。
だから人は生きていけるともいえるかもしれませんが・・・。
でもだからこそ、せめて今日の日は、当時を振り返って見つめ直す必要があるのだろうと思います。
Commented by marquetry at 2011-01-17 22:41
お誕生日、おめでとうございます!...そしてご冥福をお祈り申し上げます。阪神大震災から16年も経つとは...早いですね...。誕生日に震災に遭うというのも、なんとも因果な..。数ヶ月もの間、寒さ、食べ物、排泄物等等、想像しがたいものがあります。...あの時、自分は備えが必要だと感じながら、16年経っても、未だに備えは出来ていません。電気もガスも無い状態で、自分がどう過ごして行けるのか?...のど元過ぎれば...忘れてしまう私ですが、今年からは、気に留めて行けそうな気がします。...よいお誕生日であります様に...。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-01-18 00:43
< marquetryさん。
ありがとうございます。
四捨五入するとまだ40歳に変りない私です(笑)。

「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のは誰しも同じで、辛かったことも悲しかったことも人は忘れるから生きていけるわけですが、これが大やけどしそうな熱さだと、喉元過ぎてもなかなか忘れられなく、ひどい人はその後、熱いものが飲めなくなる・・・それが、いわゆるトラウマってやつですよね。
阪神大震災後、少なからず神戸市民は皆、トラウマティックでした。
私は16年経った今でも、些細な微震にも敏感です。
ときには、大型トラックが通ったときの振動や、鉄道高架沿いの地響きのような揺れにもビビってしまうときがあります。
おそらく、そういう人、神戸には多いんじゃないかと思います。
きっと、脳があのときの恐怖をいつまでも記憶しているんでしょうね。
その意味では、喉元過ぎても熱さを忘れてないんですが、じゃあ、普段から災害に対しての備えを万全にしているかといえば、地震直後に比べると、喉元過ぎて熱さを忘れているのが事実で・・・。
脳は覚えているものの、意識は薄くなっているようです。
人は賢いようで馬鹿ですね。

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