人気ブログランキング |

江~姫たちの戦国~ 第3話「信長の秘密」

 天正7年(1579)8月29日、徳川家康の正妻・築山殿が家康の命令によって殺害された。そして同年9月15日には、築山殿と家康の間の嫡男・徳川信康も切腹を命じられた。これにより家康は、正室と嫡男を一度に、しかも自らの命で死に追いやったわけだが、通説では、これを指示したのが織田信長だったといわれている。

 築山殿は今川義元の姪にあたり、家康がまだ松平元康という名で今川家の人質として忍従の日々を過ごしていたころ、二人は夫婦となった。弘治3年(1557年)、家康・満14歳、築山殿(瀬名姫)・満15歳のときだった。2年後に嫡男・信康を出産。しかし、その1年後の永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、家康は今川氏の混乱に乗じて独立、信長と同盟を組んだ。築山殿は家康の正室として徳川家に迎え入れられたものの、今川の縁者ということで家康とは別居、惣持尼寺に幽閉された。嫡男・信康は信長の娘である徳姫を妻に娶り、共に9歳の型式夫婦であったが、これにより織田家と徳川家の同盟関係は強固となった。

 しかし、これが築山殿には面白くなかった。彼女は、徳姫がいつまでたっても信康の息子を産まないことを理由に、信康に側室を迎えさせた。この所為かはわからないが、築山殿と徳姫の間柄は、折り合いが悪かったという。現代でも珍しくない、嫁、姑の関係だが、この場合、姑は今川家の血を引くもの、嫁は、同盟関係にある織田家の、しかも信長の娘。背景にある力関係は歴然としていた。

 側室を迎えた信康とも不和になった徳姫は、天正7年(1579年)、父・織田信長に宛てて十二箇条の手紙を書いた。手紙には信康と不仲であること、そして、築山殿は甲斐の武田と内通して家康を倒し、わが子信康をたてて徳姫を排除、武田と連合で仇敵織田を倒さんと画策している・・・という内容だった。この手紙を読んだ信長は激怒し、徳川家に対して、築山殿と信康の殺害を命じた。徳川家中では信康への処断に対して反対する声も強く、織田家との同盟破棄を主張する家臣もあったが、しかし家康は信長の命に従うことを決断、築山殿を家臣によって殺害させ、そして信康には切腹を命ずる。徳川信康、享年20歳。

 というのがほぼ通説となっており、これまでも多くの物語で描かれてきた逸話だが、この事件に関しては様々な疑問点も多く、決定的な説は未だない。そもそも、築山殿の謀反の企てが事実だったのかどうか、仮にそれが事実だったとしても、それに信康が関係していたかどうかなど不明な点が多く、そんなことから、信康と不仲になった徳姫が謀反の話を捏造して信長に報告したという説や、信長が徳川の力を削ぐために優秀な後継者である信康を殺害させたという説、さらに司馬遼太郎氏などは、徳姫の書状を信長に届けた酒井忠次の陰謀説を唱えている。また近年では、この事件に信長は関与しておらず、徳川家自身の事情によるものという説も浮上してきているらしい。事実がどうだったかはわからないが、家康自ら正室・築山殿と嫡男・信康の命を奪ったことは間違いなく、築山殿はともかく信康を死に至らしめた心中は想像を絶する。信康は父・家康をも凌ぐ優秀な武将だったともいわれ、後年、関ヶ原の戦いの際、徳川秀忠が遅参したとき家康は、「信康がいればこんな思いをしなくて済んだ。」といったという話が残っているが、もしそれほどの人物だったとすれば、その信康の切腹は家康にとって身を削られる思いだっただろう。しかし、それが戦国の世であった。

 「信ずるは己だけ。」という信長。後世の私たちからみても、おそらく織田信長という人は、このドラマの台詞どおり、己だけを信じて生きていた人物だったのだろう。
 「人間いうんは力を持てば持つほど独りになります。てっぺんに立たされる者の孤独は、すざまじいものやと思いますわ。そしてあのお方は格別なお方。他の誰にも見えへんもんが見える。誰にも聞こえへんもんが聞こえる。それが織田信長というお人や。」
 信長の真意がわからず尋ねるお江に対して、千宗易(利休)がいった台詞だが、その言葉どおり、人は上に立てば立つほど孤独になっていくのは今の世でも変わらない。誰かに指図され、誰かに命じられるがままに行動するほうが、実は楽であり孤独でもない。誰も自分に指図してくれない、もし自分が間違った道を歩もうとしていても、誰もそれを正してくれない、これほど孤独なことはないと私も思う。しかし、人の上にたてば、大なり小なり皆、その孤独を経験しなければならない。ましてや、信長のように他の誰にも見えないものが見える天才型の人物には、誰からも理解されない孤独を背負っていかねばならない寂しさが、常につきまとうものである。

 己だけを信じてきた信長は、やがて己の力を過信しすぎることになる。そして、その先に待っていたのは、その過信が招いた無念の結末だった。


ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2011-01-24 03:01 | 江~姫たちの戦国~ | Comments(4)  

Commented by ショコラ at 2011-01-24 10:48 x
上に立つ、天才・信長の孤独を、6歳の江がどれだけ理解できたか、疑問ですよね(^^;)
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-01-24 12:25
< ショコラさん。
たしかに・・・。
ドラマでは、6歳児ではあり得ない達筆な手紙を書いていましたね。
しかも巧みに漢字を使って・・・。
察するに、江という女性の幼年期は、類稀なる天才少女だった・・・ということでしょう(笑)。
Commented by marquetry at 2011-01-27 00:46
上に行くほど、孤独...確かに...。私が社長職の方などを見て感じるのは、孤独をかみ締められる人と、孤独に気がつかず?なのか、孤立していってしまうケース...。信長も、信長に見えている我が世界を孤立させてしまったのかもしれませんね...。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-01-27 02:51
< marquetryさん。
信長ほど聡明な人物は、彼の周りにはいなかったでしょうから、誰も彼に意見する人はいなかったでしょう。
でも、どれだけ明晰な頭脳を持った人でも、迷いや悩みはあったはずで・・・。
現代でも、例えばイチロー選手のような天才には、コーチも監督も誰も意見できないでしょうから、きっと孤独なんだろうなあ・・・と。

企業などでは、優秀じゃなくても人の上に立ってしまう場合がありますから、そういう人に限って、孤独に気づかず孤立してしまうかもしれませんね。

<< 寛平ちゃんの浪漫、アースマラソ... タイガーマスク現象に思う。 >>