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江~姫たちの戦国~ 第4話「本能寺へ」

 「天下布武」
 訓読すれば「天の下、武を布く」となる。「武力を持って天下を取る」という風に解釈されることが多いが、近年の研究では「武家の政権を以て天下を支配する」という意味に取ることが多い。織田信長がこの印を用い始めたのは、美濃平定後の永祿10年(1567年)、居所を「岐阜」と改名した頃からである。岐阜の命名は古代中国の周の文王(ぶんおう)岐山(きざん)に拠って天下を臨んだことにちなんでおり(阜は丘の意味)、自身も文王にならって日本全国を統一したいという志がうかがわれる。
 「天下布武とは、武力で世を統一する意味にあらず。公家、寺家、武家とある中で、武家こそが要となり、天下をまとめようとするものじゃ。」
 ドラマ中、信長がお市にいった台詞だが、これは上述した近年の解釈のとおりである。日本の中世での権力は、公家、寺家、武家が複雑に絡み合っており、信長の志した「天下布武」とは、その公家、寺家を廃して本格的な武家政権を作るという意味をもっていたと考えられている。その実現のために寺家対策として、一向一揆を叩き、本願寺の顕如らを石山合戦で破った・・・と。またこの解釈では、室町幕府は京都にあるという地理的条件からも公家との結びつきが強く、そのために足利義昭を追放したとも考えられている。

 織田信長は神になろうとしていた・・・と描かれることがよくあるが、これは、当時キリスト教布教活動のため来日していたポルトガル人の宣教師、ルイス・フロイスがのちに執筆した『日本史』の一文からくるものである。その中でフロイスは、
 「日本においては神の宮には通常神体と称する石がある。神体は神の心または本質をいふことであるが、安土山の寺院には神体はなく、信長は己自らが神体であり、生きた神仏である。世界には他の主なく、彼の上に万物の創造主もないと言い、地上において崇拝されんことを望んだ」
と記している。また信長は、安土城内に「盆山の間」を設け、諸国の神社から神体を集めその上に盆山と称する石を置き、それを自分の神体として祀らせ、自らの誕生日を聖日と定めて参詣することを命じたという。誕生日に参詣すれば功徳と利益があると、高札に列挙したとも。いわゆる「生神」というわけだ。

 本当に信長自身が己の神格化を望んだかどうかはわからないが、少なくとも神に仕える身であるフロイスの目にはそう映ったようで、根も葉もない話でもなさそうである。同時代の城の敷地内に寺院を建てた例など他にはなく、そう考えれば、あるいは信長は、実際に自らを「神」と称していたのかもしれない。または、神仏の存在を信じて疑わなかった当時の人々の中で、あらゆる神仏を否定し、自分なりの信念を持った信長の姿は異質なもので、その姿が、フロイスの目には「自分なりの神=自身が神」と映ったのではないか・・・とも考えられる。いずれにせよ、既存の神仏を否定し、帝をも操ろうとしていたこの時期の信長は、自身が望もうとも望まざろうとも、事実上、日本の「神」的存在になろうとしていた。

 とにかく「旧きもの」の不合理を忌み嫌い、徹底的に排除を計った織田信長。そんな信長の姿に、力では屈服しても、心情的には辟易たる思いがあった人物として描かれるのが明智光秀。彼は神仏を尊び、朝廷を重んじる、いわゆる当時の教養人常識人だった。光秀は、元亀2年(1571年)の「比叡山焼き討ち」による武功で、信長より近江国の滋賀郡を与えられ坂本城城主となったが、その際焼失した西教寺の復興にその後尽力したという。城持ち大名となったといえども、彼にとってこの武功は本意ではなく、不名誉なものだったのだろう。一説には、この比叡山焼き討ちに際して、光秀は信長に諌言したという記録もある(「光秀縷々諌を上りて云う」:比叡山延暦寺『天台座主記』)。信長より6歳年長だった光秀。神仏を忌み嫌い、帝すら軽んじ始めていた信長に対して、ドラマのように、光秀が耐え切れず諫言することもあったかもしれない。信長も光秀の能力は認めていたものの、そういう光秀の常識人的な態度が疎ましく、今風にいえば、「ウザい」存在となっていったのだろう。

 「その分別面が鼻につくのじゃ!」
 あるいは信長は光秀に対して、自身が最も忌み嫌った「旧きもの」を見ていたのかもしれない。


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by sakanoueno-kumo | 2011-02-02 20:04 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(3) | Comments(6)  

Tracked from ショコラの日記帳 at 2011-02-02 22:26
タイトル : 【江~姫たちの戦国~】第4回と視聴率「本能...
第4回の視聴率は、前回の22.6%より下がって、21.5%でした。残念ながら、このドラマの最低視聴率でした。 『江』のガイドブック、自分のアフィリで買ってしまいました♪大河ドラマ...... more
Tracked from ダイハツタント大好き |.. at 2011-02-03 07:16
タイトル : ストレス?白髪発見!!
子育ては楽しいものです。でも時にストレスもあります。 ... more
Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2011-02-03 17:41
タイトル : 大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で信長普遍の法則 その2
親愛なるアッティクスへ 昨日の続きです。 NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」ですが、いよいよ、明日は織田信長横死の章・・・みたいですね。 大河ドラマ史上、もっとも信長らしい信長・・・といえば、やはり、何と言っても昭和40年(1965年)の緒方 拳主演の「太閤記」での高橋幸治さんでしょうが私も非常に印象に残ってますね。 (当時、NHKにはファンかの「信長を殺すな」という投書が殺到し、本能寺の変を延期したのだとか。) 本能寺の変の回で、家宝のお宝を持って逃げようとする博多商人・神谷宗湛...... more
Commented by mohariza6 at 2011-02-03 12:53
明智光秀は、既存権力者(朝廷・神仏勢力等)を代表(名代と)して、神になろうとした信長を抹殺したのは、歴史的事実と思います。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-03 15:01
< mohariza6さん。
それはひとつの説ですね。
光秀が反旗を翻した動機はいろいろありますが、定説といわれるものはありません。
どの説に信憑性を感じるかという意見はあって当然ですが、歴史的事実と断定できるものではないと思います。
私は、近年では否定される方が多いようですが、単純な遺恨説に信憑性を感じます。
人間の感情ほど、恐ろしいものはありませんから。
Commented by heitaroh at 2011-02-03 17:46
ご多忙でしたか。
毎週初めには大河ドラマについてアップされるのに、随分と音沙汰無いので、重体ではないかと案じておりました(笑)。
ご無事で何より(笑)。

自ら、神になるというのは私にはそれほど、おかしなことでもないように思えるんですけどね。
エジプトのファラオや戦前の天皇は神だった訳ですし、今でも、変な新興宗教にかぶれるくらいなら・・・と思うときがありますよ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-04 09:54
< heitarohさん。
昨年は忙しくても無理して週初めに起稿していたんですが、今年から無理しないように決めました(笑)。

>神になるというのはそれほど、おかしなことでもない

そうなんですが、神仏を忌み嫌ったという信長が、自らを神と称していたというのが、どうも合点いかないところです。
天皇のそれは、代々受け継がれてきたものですから、自らの意思だったかどうかはわかりませんし、秀吉も家康も神になってますが、死後のことですよね。
生きながらにして自身を神と称した人物は、現代でも、たいてい胡散臭い輩ですから・・・。
Commented by heitaroh at 2011-02-04 13:13
神仏を忌み嫌ったという信長だからこそ、神になろうとしたんじゃないですか?
まあ、忌み嫌ったという表現は的確ではないと思いますが(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-04 15:20
< heitarohさん。
既存の神仏に納得できなかったから、自身が新しい神になろうとしたということでしょうか?
さすれば新興宗教・信長教の教祖ですね(笑)。
既存の神仏を否定して、己の中に神を作り、その信念のもとに生きたというのであれば、いかにも信長らしいと思うのですが、それを家臣や民にも信仰させたというのは、いささか行き過ぎのように思えます。
覇王となった権力者は皆、次は神になろうとするのでしょうか?

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