映画 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」 鑑賞記
ストーリーを簡単にいえば、謎の侵略者・ガミラスの攻撃により滅亡の危機に瀕していた地球人の最後の希望を載せて、はるか14万8千光年離れたイスカンダルに向けて旅立つ、アニメ1作目の『宇宙戦艦ヤマト』と、惑星テレザートのテレサから発信されたSOSを受けて、宇宙全体の平和と秩序を守るために白色彗星帝国と戦った、劇場版映画2作目『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』をミックスしたような作品となっていました。アニメ作品は、その後3作目、4作目と続きますが、古いヤマトファンの共通の意見として、「ヤマトは2作目まで」という声が多く、今作品はその名作2作を合体させた作りとなったのでしょう。私と同じくアニメ・ヤマト世代である山崎貴監督ですから、おそらく同じ思いだったのだろうと思います。
で、私の意見を述べさせてもらうと、アニメ1作目と2作目はまったく別の作品。ミックスすべきではなかったと思います。太平洋戦争末期の1945年、片道分だけの燃料を積んで玉砕戦に旅立ち、東シナ海に眠った戦艦大和。それから250年後の世に再び蘇ったヤマトは、滅亡寸前の人類の最後の希望を乗せた往復航海を終え、無事帰還して地球を救う・・・というのが1作目のストーリーで、そこでは、ヤマトだけでなく主要な乗組員たちも皆、「目的を果たして生還」するところが重要なポイントだったと思います。2作目の劇場版アニメでは、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』のタイトルどおり、「宇宙愛」をテーマに、愛する人のため、愛する祖国のため、乗組員たちのほとんどが死んでいきます。そこでの世界観は、まさに祖国防衛玉砕戦。それはそれで、この作品としては良かったのですが、1作目と2作目では主旨がまったく違っていたわけです。
ここまで言ってしまうと、ほとんどネタバレの観はありますが、そうです、今作品では、主要乗組員の多くが死んでいきます。ストーリーの大筋は1作目でありながら、結末は2作目という、私としては受け入れがたい展開となっていました。オリジナルと違うから駄目だと言っているわけではありません。1作目と2作目では、そもそもストーリーに求められるテーマが違うのです。人類の「希望」を乗せたヤマトは、「生還」してこその「希望」であって、「希望」が玉砕してはいけないと思うのです。古代進の「特攻」は、ヤマト艦長となったアニメ2作目でこそあり得たわけで、1作目のストーリーでそれをやってしまうと、沖田艦長の存在の意味がなくなってしまいます。
アニメ作品では、敵方ガミラス人にも侵略行為をしなければならない理由がありました。ガミラス星の、星としての寿命が尽きようとしていた状況下で、移住する星を求めて標的となったのが地球。つまり、ガミラス人にとっても生きるための侵略行為だったわけです。その辺りの事情が今作品では伝わってきませんでした。アニメの中で、ガミラス星での最終決戦にヤマトが勝利したあと、壊滅したガミラスの廃墟を見つめながら古代進がこんな台詞を吐きます。
「我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛しあうことだった!」と。
少々クサイ台詞ではありますが、この台詞がヤマト全編を通してのテーマで、このテーマ無くしてヤマトは語れません。ガミラス人は自分たちが生き延びるために地球人を滅ぼそうとしました。そんなガミラス人を地球人は憎んでいました。しかし、結局地球人がしたことは・・・そうです。ガミラスと同じことをしたのです。つまり、自分たちが生き延びるために他の星を滅ぼしたのです。ガミラスを滅ぼして初めてそのことに気づいた・・・そのときの台詞が、上記の言葉です。今作品では、そのテーマが抜け落ちていました。ただ、人類の危機に際して立ち上がった、勇敢な戦士たちの姿を描いていただけで・・・。
(古代進の名台詞のシーンです。故・富山敬さんは、やっぱ名声優ですね。)
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と、厳しいことばかり述べてきましたが、良かった部分もありました。まずはガミラスとイスカンダルの解釈。なるほどな・・・と。アニメのように、青塗りの顔をした役者さんがデスラーを演じて、地球人と日本語で会話をするというのは、アニメの世界では有りでしょうが、実写版でそれをやってしまうと、あまりにも現実離れしてしまって興ざめしそうです。そのあたりの設定は、おそらく苦慮されたことでしょう。どうやって地球人と会話させるか・・・上手く考えていたと思います。スターシャは、アニメ2作目のテレサのような扱いになっていました。デスラーは伊武雅刀さん、スターシャは上田みゆきさんでしたね。このあたりにも、往年のヤマトファンの心をくすぐる配慮がなされていました。
古代進と島大介の設定も良かったですね。アニメでは、2人とも19歳の設定でしたから、制作発表で木村拓哉さん、緒形直人さんと聞いたときは少々抵抗がありましたが、考えてみれば、アニメのように訓練生あがりの若造がいきなり戦闘隊長や航海長の任務に就くほうがおかしいわけで、今回の設定はスンナリ受け入れられました。
VFXも見事でした。ブラックタイガー、コスモゼロの戦闘シーンも見応えが有りましたね。ヤマト発進のシーンは事前に宣伝の映像で知っていましたが、スクリーンで観ると迫力倍増でした。日本映画もついにここまできたかと。中でも、最も良かったのは、波動砲発射のシーン。オリジナルアニメに忠実でありながら、迫力はアニメを超えていたと思います。さすが制作費40億円もかけただけのことはありました。
「ターゲットスコープオープン、電影クロスゲージ明度20、エネルギー充填120%、発射10秒前、対ショック、対閃光防御、5、4、3、2、1・・・波動砲発射!」
この台詞、子供の頃、何度真似したことか(笑)。木村拓哉さんも、きっと快感だったことでしょう。ただ、細かいことをいえば、発射までの時間に、もうちょっと間を作って欲しかった。あの焦れったい間で、緊迫感が伝わってくるんですけどね。
日本映画が初めて手がけたSF超大作映画に『宇宙戦艦ヤマト』が選ばれたのは、往年のヤマトファンとしては嬉しい限りです。タイトルを『SPACE BATTLESHIPヤマト』としたのは、海外進出を視野に入れてのことだとか。既に台湾では公開されているそうで、続いて香港・タイ・シンガポール・フランス・ドイツ他13カ国での公開が予定されているそうです。なるほど、映像技術などは、世界に出しても決して恥ずかしくない作品となっていますが、ストーリーはというと、やはり日本人向けの作品のような気がします。戦艦大和に込められたスピリッツは、「大和魂」ですから・・・。
この作品で初めてヤマトの世界を知った若い人には、ぜひとも往年のアニメ作品を観て欲しいですね。
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by sakanoueno-kumo | 2011-02-16 17:29 | 映画・小説・漫画 | Trackback | Comments(34)
オホンッ・・・・やりましたねっ!遂に見てこられましたか?おめでとうございます。\(^〇^)/
まず、最初に私自身の年頭でアップさせてもらったコメントの訂正から・・・・・(汗)既にご承知のこととは思いますが、年頭のコメントの中で単に「ヤマト2」と表現していたのはもちろん「劇場版愛の戦士たち」のことです。っていうか恥ずかしながら、今の今まで劇場版=TV版のストーリーだと思い込んでました。劇場版のほうはリアルに映画館で見ていて「技師長!慌てず急いで正確にな!」といったあたりのシーンが余りにも鮮烈だったものでヤマト2といえば「愛の戦士たち」のことと思い込んでいたのですが、本ブログで紹介されていたような松本氏と西崎氏のせめぎあいのようなエピソードがあったんですね。初めて知りました(^^;)。いやあ、こちらのブログを拝見してると、本当に勉強になります。あと、肝心の本回のコメントのほうは、取りあえず晩飯食ってから、又、アップさせてもらいます。(笑)
>1作目の原作者である松本零士氏
申し訳ありませんが、この客観的根拠は何でしょう?
原著である1作目の何処に、「原作松本零士」と書いてあるのでしょうか?
ファンクラブに入っていたほどの方、1作目を見る位の環境はあるかと思います。
お調べ下さい。
またそのような「法的根拠」になりえるような判決や、判例は存在していますでしょうか?
余談ではありますが「SPACE BATTLESHIP ヤマト」、これに松本零士氏の関わりはありますか?原作者名は誰ですか?
>1作目と2作目では、そもそもストーリーに求められるテーマが違うのです。
はい。まったくです。
よく「さらば」までは認めるがそれ以降は・・・との意見を聞きますが、1作目と実質2作目の「さらば」ではまったくテーマが違います。
1作目と実質2作目を同一軸線上で語るのはナンセンスです。
そして今回の実写版、これ、本質は「さらば」をやりたかった気がします。・・・山崎監督。
1作目のドラマは、「さらば」の隠れ蓑・・・そんなウワサ、ファンの間では存在します。
当初から、「西崎原作」のヤマトを作りたかったのでしょう。
コメントありがとうございます。
西崎氏と松本氏の間の著作権問題で、和解が成立したというのは知っていましたが、それはアニメに関してだと思っていました。
漫画本が原作というのも否定されていたのですね。
今、ネットで調べて知りました。
本稿の内容を一部訂正させていただいた上で陳謝いたします。
ご指摘ありがとうございます。
ファンクラブに入っていたとはいっても、本稿で述べたとおり、小学生の頃の話です。
認識不足だった点、ご容赦ください。
>1作目のドラマは、「さらば」の隠れ蓑
そんなウワサは知りませんでした。
私は、『さらば』を否定しているわけではありませんし、むしろアニメ作品としては、『さらば』の方が好きなくらいです。
ただ、今回の実写版のストーリーのベースは1作目ですよね。
であれば、結末は「生還」すべきだったという意見は、変えるつもりはありません。
再びスミマセン。
我が家にある、1作目のビデオテープ(DVDではありません)のパッケージを今調べてみましたが、原作・総設定:松本零士/企画・原案・製作・総指揮:西崎義展と記載されています。
もちろんこれは、20年近く前に購入したものですから、和解前、つまり訴訟前のものですけど。
この頃は、まだ松本零士原作という認識が一般的だったんですね。
勉強になるというお言葉を頂きましたが、少々間違った情報があったようです(苦笑)。
>沖田艦長の読みとその読みに対する賭け
おっしゃるとおり、本作品ではそういう設定でしたね。
なぜ、そんな設定にしたのかと考えた場合、本稿中でも述べましたが、ガミラス、イスカンダルの設定だと思います。
ガミラス人と地球人が面と向かって日本語で会話をするといった、アニメならではの設定を避けたのと同様で、異星からのメッセージを簡単に地球人が解読出来てしまうような、ベタな設定を避けたのだと思います。
ならばイスカンダルに向かう理由をどうやっ立てるか・・・そこの設定はかなり苦慮されたことだと思いますが、結果、このような設定に至ったのでしょう。
それはそれで、私は上手く考えたなあと思っています。
古代進の兄、古代守が命を落とすとき、沖田艦長は必死で彼の短慮を諌めます。
無駄に命を捨てるな・・・と。
戦士(男)たるもの、命を賭してことにあたらねばならないときがある・・・しかし、それは犬死であってはならない・・・それがたとえ一縷の望みであっても、命を賭けるに値する仕事でなければならない・・・というのが、沖田十三の考え方の根底だと思います。
それが、イスカンダルへの航海だったと思うのです。
つづく。
つづき。
では、真田・斎藤の玉砕や古代進の特攻が、命を賭けるに値しなかったのかといえば、値する場面だったと思います。
じゃあ、あれで良いじゃないか・・・ということになりますが、ここで立脚しなければならないのが、元々の「宇宙戦艦ヤマト」のコンセプトだと思います。
(ここからは私の私見です。)
なぜ、この物語が「戦艦大和」だったのか。
1945年の大和に託された使命は、帰還することを想定しない、片道切符の出陣でした。
そしてその予定通り、大和は東シナ海に沈み、乗組員のほとんどが船と運命を共にしたわけです。
しかし、250年後に蘇ったヤマトに託された使命は、往復航海を終えて無事帰還することにあったわけです。
ここに隠されたメッセージは、大日本帝国の“意地”だけで、命を賭けるに値しない“犬死”を強いられた「戦艦大和」とその乗組員への強い哀悼の意と、それを決定した戦争指導者たちへの痛烈な批判だったのでは・・・と。
沈没することを目的とした船など、あってはならない・・・と。
だから、単なる宇宙船ではなく、「ヤマト」だったと思うんです。
戦後30年に満たない時代に制作されたものですからね。
つづく。
つづき。
少なくとも私は、「ヤマト」が「大和」であった理由を、そう解釈しています。
ヤマトファンの中には反論もあろうかと思います。
しかし、「戦艦大和」の英霊たちとは違い、「宇宙戦艦ヤマト」の乗組員は、生還してこその物語だと私は思うのです。
このように見てくると「ヤマト」がそして「ヤマトタケル」もモチーフが「大和」であった理由には非常に深いものがあったと思い知らされますし、貴兄のコメントで本アニメの根幹をつらぬく大事なものを改めて思い出させてもらった気がします。まあ、あまりにも続編が多く作られてきたので、この最も根幹を成す思想が、ともすれば忘れがちになっていたのかも知れませんね(昼飯後、又続きをアップさせてください(^^;)
「良かったものは良かった・・・」ということで(笑)、難しいことには想いも及ばず、お腹いっぱいになればそれで満足・・・・といった面はあります。ですので「ヤマト続編」にも結構好きなものはあったりします。土門や揚羽など、新キャラクターが登場し、先輩乗組員が後進を鍛えるっていう設定の「宇宙戦艦ヤマトⅢ」なんかそうですね。
ただ「続編ヤマト」に辟易させられる面もあったわけで、「例えば無機質なはずの惑星それ自体が人格を持つ」なんていうトンデモ設定や、とにかく目に付くヤマトの無敵ぶり(ヤマトの通常兵器が敵に比べて強いこと強いこと)。結果、「続編ヤマト」はマンネリの色を濃くしていき、貴兄もおっしゃられていた「戦艦大和」からの反省といった作品の根本思想も忘れ去られていったのでしょう。(続く)
2作目『さらば』では、1作目とは打って変わってほとんどの乗組員が死んでいきます。
それも皆、格好良く、美しく死んでいきます。
当時私は子供でしたから、その物語に魅せられ、感化され、ほとんど『さらば』信者でした。
台詞もほとんど諳んじていたと思います(笑)。
ですから、上述した『ヤマト2』で設定が変更されたとき、ガッカリした記憶があります。
松本氏の言葉の持つ意味も、理解できませんでした。
20歳を過ぎて再びビデオテープを購入し、作品すべてを観直しました。
そこで気が付いたのは、1作目と2作目は、まったく趣の異なる作品だったということでした。
♪かなら〜ずここへ〜かえってくると〜♪と、主題歌で歌っていたはずのヤマトが、2作目『さらば』でのキャッチコピーは、「君は愛する人のために死ねるか!」ですから・・・。
これは、「愛する人」という言葉でオブラートに包んでいますが、つまりは「地球のために死ねるか!」で、「地球=祖国」、祖国防衛玉砕戦を描いていたわけです。
松本氏が苦言を呈したのは、ここだったんだ・・・と。
つづく。
つづき。
今でもヤマトファンの中では、『さらば』信者の方が多いように思いますし、実際、映画作品だけで比較すれば、TVシリーズの短縮版だった1作目に対して、端から劇場版として制作された『さらば』の方が仕上がりとしても素晴らしく、邦画アニメ映画史上の最高傑作だと私も思います。
ですが、『宇宙戦艦ヤマト』の本来のコンセプトは1作目だったはずだと思うのです。
「1作目のドラマは、『さらば』の隠れ蓑」といった発言を上のコメントの方がされていましたが、そんなことは信じたくもないですし、あるはずがないと思います。
1作目のヒットがなければ、『さらば』の存在などあり得なかったわけですから・・・。
「西崎氏が本当に描きたかったのは『さらば』の世界観」などともいわれますが、たとえそうだったとしても、オリジナルは紛れもなく1作目ですから・・・。
今回の実写版作品について、酷評はしましたが、アニメ「完結編」を観たときのような、怒りにも似た感覚はありません(笑)。
貴兄のコメントにある、「名作」とはいえないものの「意欲作」ではあった・・・という評に私も賛成です。
つづく。
< ブラック奄美さん。
つづき。
>昔の「良かったもの」が、ほとんど無くなり去ってしまっている
漫画やアニメの世界に限っていえば、そうとも言えないのではないでしょうか?
今世紀に入って、昭和の名作アニメが次々とリメイクされたり、この度の「ヤマト」をはじめ、数年前の「ヤッターマン」や、今話題になってる「あしたのジョー」など、昔、大人たちから認めてもらえなかった漫画やアニメが、今になって、一流の俳優さんを使って多額の予算をかけた作品に生まれ変わっていることなどを考えると、30年の時を経てようやく市民権を得たな・・・と思ったりしています。
昔の「良かったもの」が、今、見直されつつあるのではないでしょうか?
逆にいえば、昔の作品に頼らなければならないというのは、新しいクリエーターが生まれていない現状ともいえるかもしれませんが。
つづく。
つづき。
実際に、息子が小学生の頃、レンタルビデオで昭和のアニメ作品をよく借りてきて見せていたのですが、結構食いつきがいいんですよ。
時代背景が違いますから、理解出来ない部分もあったでしょうが、昔の作品はストーリーが単純明快ですから、小学生くらいの子供には、むしろわかりやすいんですね(スポ根ものなど特に)。
今の作品は、どうもストーリーが小難しくて、子供向けの良質の作品が少ないように思います。
「ヤマト」は、大人から見れば上述したような深いテーマがあり、子供から見ても、地球滅亡まで1年という時間の中で、はるか14万8千光年先の未知の宇宙へ旅立つ冒険物語という面白さがあり、大人も子供も楽しめる素晴らしい作品だったと思います。
若いクリエーターさんには、ぜひともそんな昔の名作からヒントを見つけて、新しい21世紀型の「良質のエンターテイメント」を作って欲しいですね。
おわり(笑)。
〜追伸〜
「旭日艦隊」は、そんな作品があることは知っていましたが、読んだことも観たことはありません。
機会を作って、ぜひ観てみたいと思います。
私は、テーマとか考えずに見てましたので、クールなデスラーが徐々に心を持つ様な変化をしていくのが好きでした。
1.「紺碧の艦隊」(ストーリー進行としてはこちらが先です)
http://www.showtime.jp/special/animation/konpeki/
2.「旭日の艦隊」
http://www.showtime.jp/special/animation/kyokujitsu
これらの作品も非常に評価の分かれる作品ですが、私自身は高く評価しています。(続く)
(タイトル=「(不遇戦艦・・・・オホンッ、もとい、「奇想戦艦アンドロメダ」って言うんですけど・・・・・(爆)」まあ、こんなことまで話し出すとキリが無いので、これはまたの機会に・・・・ということで・・・あらためて、おつきあいして頂いて本当にありがとうございました。
いい歳こいたオッサンが、子供みたいでしょ?(笑)
でも、子供の頃に夢中になったものを語るときには、人は誰でも子供に返るような気がします。
ご贔屓のデスラーは、この度は伊武さんの声だけの出演でした。
「宇宙戦艦ヤマト」は、西崎義展氏と松本零士氏の著作権訴訟などがあって、これだけの名作にも関わらず、長年封印されてきました。
ようやく和解が成立して、今回のような作品が生まれるに至りました。
似たような例で、名作『キャンディキャンディ』も、原作者と漫画家の間で権利が争われていて、10年以上、公に姿を現せない状況となっています(marquetryさんの世代じゃないですか?)。
作品は、作り手の所有物じゃない、ファンのものでもあることに気づいてほしいと思います。
こちらこそ、お付き合いいただきありがとうございます。
ヤマトのことを、こんなに熱く語ったのは、10歳代この頃以来です。
私の職場のスタッフは皆、私より若く、ガンダム世代ですから・・・。
ヤマト仲間はいません(苦笑)。
妻にこんな話しても、相手してもらえませんから・・・。
ご紹介いただいた件、時間があるときに観てみます。
今は、今回の実写版ヤマトのDVDが発売になった際、購入するか否か、思案中です(笑)。
つまり「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」とは見方を変えれば、偉大なる始祖であり心の師ともいえる「初代艦長沖田十三と彼に連なる息子達の物語」であると言い換えることも出来ます。現に第二作目で藤堂長官も同じ趣旨のを発言していますし、この見方に関しては異論は少ないものと推察します。またそうであればこそ、「ヤマト」がシリーズとして存在する意義もあるというものでしょう。(続く)
一つには「古代守」の「雪風」の時とは状況が違いすぎた・・・少なくともそのように視聴者には映った・・・・ということはあると思います。つまり「さらば」の終盤においては、「帰還して再起を図る」選択肢など無いほど、切羽詰り、刀折れ矢尽きていた状況に映りました。言い換えれば「事態の打開には特攻しか残されていないように視聴者には映った・・・・」ということです。そして彼らはその状況に粛々と己の命を捧げていった。視聴者は涙するしか無かった・・・・といったところではなかったのでしょうか?
今から思えば、「沖田の戒め」をやむなく破らざるを得ない羽目となった時、心のなかで沖田艦長と対峙するシーンをもっと入れておくべきだったのかも知れません。まあ、古代自身は「このヤマト自身という武器があるではないか」みたいなことを、故沖田艦長から言われていたようでしたが。
最後に残る疑問は、制作サイドの意向ですね。つまり今まで述べてきたように第二作目を見た結果としての「愛するもののために死ねるか?」では無く、制作サイドは、第二作目のポリシーとして、上映前にこのテーマを掲げてますからね。つまり制作者自らが鼻から第1作目を否定してかかっているようにもとられかねないわけで・・・・結果、ファンには「重苦しい謎と心配と、そして憤慨」が残されたというわけですね。
まあ、このあたりまでは整理してみたつもりですが、どうでしょうか。今晩はこれで本当に最後にしますね。長々と再び失礼しました。おやすみなさい。
RESS遅くなってスミマセン。
『さらば』が支持される理由は、私も概ね差異はありません。
問題は、なぜ1作目を否定するような作品が出来たか・・・ですね。
むしろ、1作目だけが異質で、2作目以降はすべて同じストーリー展開です。
そこには、確証はありませんが、2作目以降はN氏の独裁体制による暴走だと思っています。
突き詰めれば、そこに後年のN氏対M氏の確執につながった一端があるように思います。
が、これについては、あまり突っ込んだ私見を述べると、ブログ炎上にもなりかねませんので、この辺りで留め置きます。
N信者は、ある種の宗教的とも思えるほど心酔した意見をお持ちですから。
ひとつ、面白いブログを見つけたので紹介します。
http://otaking-ex.jp/wp/?p=11013
面白おかしく書かれてますが、ここで語られているN氏の姿は、私の想像する姿そのものでした。
ちなみに私はN派でもM派でもありません。
ヤマト派です。
しかし、少なくとも「根が単純な(笑)・・・・しかし「ヤマト」をとても愛する一ファン」としては「覗きたくない世界であった」ということは言えるのではないでしょうか?「誰がどうだ、彼がああだ」というようなことは敢えて言いませんが、「彼らは、純粋で無垢な青少年を相手にして仕事をしているんだという自覚は、少しは持ち合わせているのだろうか?」という疑問や、怒りにも似た感情はフツフツと沸きあがってきます。「良質なエンターテイメントは社会の空気だって変える」と心ひそかに考えているので、余計にそうです。(続く)
>覗きたくない世界であった
おっしゃるとおりでした。
下世話な話を持ち出して申し訳ありません。
「ヤマト」は、日本で初めて劇場版アニメとして大成功を治めた作品です。
それ以前、アニメを手掛けたために倒産に至った虫プロの例からみても、「アニメ=儲からない」といった見方が、当時はあったと思います。
おそらくアニメというエンターテイメントが、誰もあんなに商業ベースに乗るとは思っていなかったのでしょう。
その意味では、N氏を筆頭にこの作品を手掛けたスタッフがのちの世に残した功績は大だと思います。
しかし残念ながら、初めて故に、著作権を含めた産業システムが確立されていなかった不幸な作品でもあったのでしょう。
「エヴァンゲリオン」も好きな人、多いようですね。
私は、最近の作品はわからないのですが、近年の作品では、「ヤマト」のようにファンとは関係のないところでモメているといった話は聞きません。
そういった意味でも、後世に反面教師としての功績を残した作品でもあるかもしれません。