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江~姫たちの戦国~ 第7話「母の再婚」

 「中国大返し」という奇跡を起こした羽柴秀吉が、主君・織田信長の仇である明智光秀を打ち負かした「山崎の戦い」から半月後の、天正10年(1582年)6月27日、尾張・清洲城において織田家後継者ならびに遺領の分配を決めるための、織田家家臣重役会議が開かれる。世にいう「清洲会議」である。

 会議の列席者は、柴田勝家羽柴秀吉丹羽長秀池田恒興。もうひとりの重臣である滝川一益も本来ならば列席すべきだったものの、関東での北条氏との戦いに敗れ、敗走中のため会議に間に合わなかった。また、後継者候補の当事者である信長の次男・織田信雄、三男・織田信孝も、この時すでに、お互い後継者候補と自負して対立は表面化していたようで、清洲城には来ていたものの、この会議には列席していなかったらしい。

 会議に臨むそれぞれの立場をいうと、柴田勝家は「本能寺の変」が起こったとき北陸で上杉家と対峙しており、信長の弔い合戦には参加できなかった。羽柴秀吉は上述したとおり明智討伐の功労者。丹羽長秀や池田恒興は織田家の尾張統一以前からの古参の家臣で、秀吉と共に明智討伐に参戦していた。勝家は織田家筆頭家老という立場であったものの、ひとり明智討伐の功がない、不利な立場にあった。

 その勝家は、「山崎の戦い」の総大将だったことを理由に信孝を後継者に推した。しかし、秀吉がこれに反論。三男の信孝が次男の信雄を差し置いて後継者となるのは問題があるとし、さらに、信雄はすでに北畠氏へ養嗣に、信孝も神戸氏へ養嗣に出されていることもあり、信長と共に落命した嫡男・織田信忠の忘れ形見で信長の嫡孫でもある、三法師(後の秀信)を推した。これに池田恒興、丹羽長秀共に賛同。一説には、秀吉は長秀や恒興を事前に根回しして抱き込んでいたともいうが、その真偽はわからない。しかし、根回しがなくとも秀吉の主張は筋が通っていた。そもそも織田家の家督は、信長存命中にすでに長男の信忠が継いでおり、その嫡男である三法師が後継者となることは、当然の道理だったのである。それでも勝家は、三法師が幼いということを理由に信孝を推し続けたが、秀吉には明智討伐の功という強みもあり、結局は秀吉の前に屈し、後継者は数え3歳の三法師で決定、信雄と信孝の二人はその後見役として決着を見る。会議が終わって新しい“上様”に拝礼ということになり、三法師を抱いた秀吉の前に、ひとりひとりが来て平伏した。秀吉は軽く頷いて礼を返していたが、それはあたかも、秀吉が礼を受けているようだったという。

 こうして会議は、秀吉の思い通りに進んだ。「本能寺の変」から「中国大返し」、「山崎の戦い」までは、天が秀吉の天下取りに味方した偶然ともいえるが、ここからはまぎれもなく、秀吉の知略謀略を尽くした天下取りが始まる。

 この「清洲会議」以降、織田家における秀吉と勝家の立場が逆転した。信長の弔い合戦に遅れを取り、後継者争いに負け、さらに会議のもうひとつの議題であった信長の遺領配分においても、河内や丹波、山城を増領した秀吉に対し、勝家は北近江3郡の長浜城を得るにとどまり、事実上、織田筆頭の座を秀吉に奪われたかたちとなった。しかしこの後、そんな勝家のもとに、信長の妹・お市の方が嫁ぐことになったのである。

 ドラマ第1話の「小谷城落城」で、お市の夫・浅井長政が落命したのが天正元年(1573年)。通常、この時代は、主人亡き後は出家して夫を弔うことがほとんどだったが、まだ若かったお市は出家ぜず、9年間、3人の娘と信長の庇護のもと暮らしていたという。そのお市に着目した信孝が、織田家における秀吉の発言力が増すことを抑えるために、勝家との間を仲介した、というのがこれまで言われてきた説で、今回のドラマでもその説をとっていた。秀吉はお市に思慕していたものの、お市は「小谷城落城」以来、秀吉を毛嫌いしており、秀吉牽制のため勝家に嫁ぐことを決意した・・・と。このことによって、秀吉の「勝家憎し」の感情が、さらに増した・・・とも。

 しかし近年では、秀吉の仲介を伺わせる書状が見つかったことから、勝家とお市の結婚は秀吉が仲介したものという説が有力となっているらしい。となれば、上記のお市の決意も秀吉の感情もすべて否定され、結婚の理由も???となる。秀吉はなぜ、自身にとっては不利となるような結婚を仲介したのだろうか・・・。また、お市はなぜ、9年間も再婚することのなかった我が身を、このタイミングで勝家に捧げたのだろうか・・・。

 理由はいろいろ想像できる。信長の妹を嫁がせることによって、勝家の反秀吉の強硬姿勢を緩めるための懐柔策・・・いわゆる、手土産のようなもの・・・とか、もしくは、後継者争いや遺領配分など、あまりにも秀吉の思い通りにことを運びすぎたことにより、織田家内での反感を買うことを懸念し、彼の支持基盤を固めるためのカムフラージュ・・・とか、あるいは、秀吉が力を持つことを快く思っていないお市を、いずれは衝突することになるであろう勝家のもとに嫁がせ、一緒に葬り去ってしまおうと画策した・・・などなど。どれもこれも憶測の域をでないが、お市の側にしてみれば、いくら女性に結婚の自由がなかった時代とはいえ、旧主君の妹君。断ろうと思えば断れたはず。このタイミングで嫁ぐ決意をしたのは、織田家の行く末を案じた上で、勝家という人物が最も信頼できると判断したから・・・と、考えるのが一番合点がいく。そして、秀吉の台頭を快く思っていなかったという話も、案外本当のことだったのではないだろうか。

 そんな政略結婚だったにも関わらず、お市と3人の娘にとっては意外にも幸せな日々が待っていた。しかしそれは、ほんの束の間にすぎなかった・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2011-02-21 02:11 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(6) | Comments(4)  

Tracked from ショコラの日記帳 at 2011-02-21 22:43
タイトル : 【江~姫たちの戦国~】第7回と視聴率「母の...
第7回の視聴率は、前回の19.6%より更に下がって、18.5%でした。やはり、最低視聴率を更新してしまいました(汗)サル・秀吉(岸谷五朗)と渋い柴田勝家(大地康雄)が中心だと、ちょ...... more
Tracked from 早乙女乱子とSPIRIT.. at 2011-02-22 00:52
タイトル : 秀吉の策略 〜江・母の再婚〜
Ĺ˴塢θѼԤ뤿ˡȤϿĹ¹ˡդô뤳Ȥˡ ˴إȤ臘Ľˤʤ櫓Ȥ̣ƤǤäΤǤ� ȤˤƤߤСˤοͺ⻰ˤοؾ˾٤ǤϤʤȸƤ褦ϸϤۤäΤ褦˻פ롣 ̣ǤϡͥʡطϤΤޤޤ˼¸Ĥɤ륵֥ƥ٤ɬפǤꡢ줬ʬǤȹͤΤǤ�ĴʼҤ˿Ƥ⤤ ˤƤ⹾ˤäĤ̯Ե̣ ͤ餷̤ϤΤΡʢαDzͤƤΤ狼ʤȤΤνȤʤΤǤ� ˼¤ǤɤΤ褦˹ͤƤΤϤ狼ʤʤȤ⼫ʬβȤǤܤĹؤäƸϤ�뽨...... more
Tracked from 函館 Glass Life at 2011-02-22 18:11
タイトル : 大河ドラマ江、光秀(天海)再登場の方が…
どう見ても能動的な生き方をしたとは思われない江。 三度の結婚も自分の意思からではなく時の権力者に 翻弄されたもの{/hiyo_oro/} そんな江が自ら積極的に発言し自分で自分の人生を 切り開いたように描くのにはかなりの無理がありそ うです{/cat_6/} もしかして?と思って見ていましたが、清州会議に まで江が準主役で登場するとは{/panda_2/} 隣の部屋で聞き耳を立て織田家の重臣にもの申すな んて滑稽にしか映りません{/kuri_5/} 視聴率も20?を切ったそうですが、支持率20%を切...... more
Tracked from 虎党 団塊ジュニア の .. at 2011-02-22 21:00
タイトル : ぶっさいくな面の分際で
「織田家の世継ぎその名に値するのはお子だけですやろか?」利休の余計な一言で、織田信忠の子3歳の三法師を、文字通り担ぐ秀吉。信長の孫やのに、なんで親戚の江は知らんねん?「...... more
Tracked from しっとう?岩田亜矢那 at 2011-02-27 17:51
タイトル : 〔NHK大河ドラマ〕江〜姫たちの戦国〜 第7回「母の再婚..
事ある毎に言ってるが 清州会議は信長の後継者を決める会議ではない。 「織田弾正忠家の家督を誰が相続するか」を決める会議である。 そして、織田弾正忠家の家督は天正4年に既に 信長から嫡男(長男かどうかは不明)信忠に譲られている。 その信忠も本能寺の変において...... more
Tracked from こちら、きっどさん行政書.. at 2011-02-27 18:00
タイトル : 〔NHK大河ドラマ〕江~姫たちの戦国~ 第7回「母の再婚..
事ある毎に言ってるが 清州会議は信長の後継者を決める会議ではない。 「織田弾正忠家の家督を誰が相続するか」を決める会議である。 そして、織田弾正忠家の家督は天正4年に既に 信長から嫡男(長男かどうかは不明)信忠に譲られている。 その信忠も本能寺の変において行... more
Commented by marquetry at 2011-02-22 01:39
この物語からするに、お市は、最後に信長から聞いた、平和のため戦は手段で、その後どう維持して行くか?が本当の意味...という言葉に、すべての荒行を肝に落した...のかも知れませんね。お市に取って政略的だったのか?は知る術は有りませんが、女から見ると、譲れぬ一戦が有ったと、この物語にはあるように思います。...歴史的な事実はなぁ〜んにも解りませんが、何となく...。また、この決断のとき、お江が姉達とは別に絶対的反対にならなかった気持ちも、今までと違って、当時の女性目線で描かれているから...かと、感じています。とはいえ、やっぱりカジュアルなところが否めなく、少し違和感を感じる私です。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-22 16:46
< marquetryさん。
この時代の女性の記録というのは、ほとんど残っていません。
ですから、お市のこのときの心中などは、すべてのちの講談や物語などで作られた想像の世界でしかありません。
女性は、夫が歴史の表舞台にいるときのみ、少しだけ記録として残っているだけで、夫が死ぬと、妻の記録も歴史から消え去ります(よほど位の高い人は別ですが)。
お市も、1度目の夫が死んでからこの2度目の結婚までの間は、ほとんど何処で暮らしていたかもわかっていませんからね。
“未亡人”なんて言葉がいつからあるのか知りませんが、“未だ亡くならない人”ですからね(笑)。
夫と共に死ぬはずなのに、まだ死なない人ということで、今尚この言葉が残っていることが、考えて見れば不思議ですね。
この時代、夫が死んだ後の妻は、ある意味“一緒に死んだも同然”という考えだったのでしょう。
現代の女性は、夫が死んだ後のほうが、イキイキしてる人が多いようですが(笑)。

おっしゃるように、お市のこの2度目の結婚は、彼女なりの“戦”だったのかもしれませんね。
Commented by heitaroh at 2011-02-22 19:42
お市さんにはそんなに商品価値があったんですかね?
実際にはもう過去の人で、皆、彼女が柴田勝家に嫁ごうが関心無かったんじゃないかと・・・。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-02-23 09:17
< heitarohさん。
どうなんでしょうね・・・。
そのあたりは、貴兄のほうがお詳しいかと・・・?

過去の人といっても、一応は“元お屋形さま”の妹君ですから、無下にはできなかったんじゃないでしょうか?
勝家との婚儀は「清洲会議」の直後のようですから、お市の庇護先を何処にするかというのも、議題のひとつだったんですかね?
とすると、この縁組は勝家への払い下げ・・・?

そんなこといったら、のちの北ノ庄の悲劇がドラマチックじゃなくなっちゃうじゃないですか・・・(苦笑)。

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