江~姫たちの戦国~ 第8話「初めての父」
信行の死後、勝家は信長の家臣となる。しかし、一度は信長に刃を向けた身、最初は警戒され、主だった戦には参戦できない時期を過ごす。そんな中、与えられた少ないチャンスに勝家はすべて先鋒として武功をあげ、その勇猛さから次第に信長の信頼を得るところとなり、いつしか信長の天下統一に向けての片腕となっていった。そして朝倉氏滅亡後、信長麾下の佐々成政、不破光治、佐久間盛政、前田利家らを率いて、長きにわたって越前を支配していた加賀一向一揆を平定。その功により、越前国北ノ庄(現在の福井県福井市)を与えられ、織田家中で最も多くの領土を有するようになる。能力重視の信長配下の中で、最も代表的なサクセスストーリーとして誰もが羽柴秀吉を思い浮かべるが、勝家とて決して平坦な道だったわけではなく、努力で掴んだ織田家筆頭家老の地位だった。
柴田勝家といえば、“鬼柴田”と異名からも想像するように、武骨な武闘派の武将をイメージしがちだが、統治能力にも長けた人物だったようで、善政を敷き、領地をよく治めたといわれる。だからこそ、織田家で最も多くの領地を与えられたとも考えられているらしい。また、最初に刀狩をしたのは秀吉ではなく、勝家だったという説もあるとか。勝家は回収した刀を、新しい農具や釘などに代えていた、などという話も残っている。武勇においても、行政面においても、信長の天下統一に欠かせない人物だったようだ。
信長の死後、勝家は明智光秀討伐に参戦できなかったこともあり、前話の清洲会議では羽柴秀吉にイニシアティブをとられ、織田家筆頭の地位を秀吉に奪われることとなる。一般に、それ以前から勝家と秀吉は性格が合わなかったともいわれ、小説などでは信長の生前から二人の不仲が描かれることが多い。しかし実際にはそれを裏付ける史料は残されていない。そもそも木下藤吉郎という名で活動していた秀吉が、天正元年(1573年)頃から名乗った“羽柴”という姓は、柴田勝家の“柴”と、もうひとりの重臣・丹羽長秀の“羽”を一文字ずつもらったものだといわれている。少なくともこの頃はまだ、秀吉にとって勝家は大先輩にあたる人物で、尊敬する存在だったのではないだろうか。勝家にしても、まさか将来、名字の一文字を与えた人物と対峙することになろうとは、夢々思わなかったことだろう。そしてそれが、自身の最後の戦になろうとも・・・。
そんな勝家のもとに嫁いだ、お市の方。前話の稿でも述べたとおり、この結婚は信長の三男・織田信孝の仲介だったという説や、近年では秀吉の仲介だったという説が有力になっているそうだが、結婚の理由については、どれも想像の域をでない。勝家にはこのとき正室はいなかった。お市が初めての正室だったという説もあるが、これも定かではない。正室はいなかったものの側室は複数いたという話もあるが、これも明確ではないようだ。武勇にも行政面にも優れた勝家だったが、そっち方面は不器用な男だったのだろうか。
いずれにしても勝家にとっては60歳を過ぎてからの結婚。理由はどうあれ、彼にとって美貌で知れたお市とのこの結婚は、信長の横死の知らせ以上に「青天の霹靂」だったのではないかと想像する。彼は、二回り以上離れた新妻と3人の娘たちをたいそう大切にしたとか。勝家にとってお市は、“眩いほどの奥さん”だったのだろう。
「多少なりとも、それがしに、想いを寄せてもらいたいのでございます。」
このような台詞を勝家に吐かせたのは、いかにも女性脚本家らしいメロドラマの世界ではあるが、とはいえ、私がもし勝家の立場なら、天下の情勢など忘れて、妻と残り少ない余生を穏やかに過ごせたら・・・などと思ったかもしれない。60歳といえば、人生50年の当時でいえば明らかに余生。武勇で知れた勝家といえども、わずかでも、そんな想いが心をよぎっていたとしても、何ら不思議ではない。
しかし、そんな想いを世情は許すはずがなかった。
勝家とお市の穏やかな日々は、1年と続くことはなかった。
ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2011-02-28 02:32 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(7) | Comments(2)

「見納めじゃ」琵琶湖に別れを告げる市やけど、三姉妹が一生独身で、福井に骨を埋めると思ったんか?震え過ぎむせ過ぎ身内なのにへりくだり過ぎこんな柴田勝家は嫌だのコントか「カ...... more

武将の御守り 柴田勝家 ええっと 今年の大河には いろんな愛称がありまして ファンタジー大河 お笑い大河 コント大河などは まだイイ方で 近頃は 失笑大河とか ...... more

【第8回の視聴率は、2/28(月)追加予定】勝家(大地康雄)が江(上野樹里)を張り飛ばして叱りました♪初めて、ちゃんとしつけができて、良かったです♪(^^)下手に史実を歪めて...... more

ϡľȤȤƷޤ뤳Ȥˡ ȤϤʤ㡹Ƚ顣 δΤʤϼ褦Ȥ뤬ºݤ˴碌ȸƤ٤ʤ 㤢ˤʤäƤޤ֤ʤͤ ԤⲿȤƾȤפȤƷޤ褦ȤΤΡ ȤäηϱʤΤ«ɡȤϤ֤ǤȤ Ǥ⼸ȤϤӤäȼ롣 ĿŪˤϹʥäꤹ롣 ͥ٤ǻԤȤȤ̿ȤȤˤʤ顢ʤȶˤޤʤ ĤȸƤФ졢ͤȤ̾⤤ƱϤǤߤƤ餷ʿIJȤǤϰֹϤͿƤ ιФ뼸աؤ̵Ǥʤä顢ϲμǤ٤ϡʤ褯ɽΤȻפ ȤΤ餺Τ餺Τˡ...... more

清洲会議→三法師が織田家の世継ぎと決定。そして市は柴田勝家に嫁ぐことにしたと。母の再婚に反対する茶々と初。そして江は。。天正十年・秋。母の再婚によって城替えとなって祝言...... more

最初のスタッフ紹介のロールを見ていて気付いたのが 上方ことば指導 井上裕季子 それ以外の地方の言葉の指導者 今回はクレジットされていない。 尾張ことば指導 稲垣あけみ がいた筈だが、どこへ行った?これは 織田家臣団には尾張ことばは使わせていない って事と...... more

最初のスタッフ紹介のロールを見ていて気付いたのが 上方ことば指導 井上裕季子 それ以外の地方の言葉の指導者 今回はクレジットされていない。 尾張ことば指導 稲垣あけみ がいた筈だが、どこへ行った?これは 織田家臣団には尾張ことばを使わせていな... more
有り得る話でしょうね。
今、かなり、バタバタしていて、なかなか、ゆっくりコメントが出来ません。
また、落ち着きましたら、まとめて・・・(笑)。
>信長が秀吉と勝家を重用したのは二人には子がなかったから
ごめんなさい・・・その意味がよくわからないのですが、後継者がいないから、どれだけ力を与えても、織田家を脅かすことはない・・・ということでしょうか?
それとも、後継者がいないから、他の武将ほど自家の繁栄に執着がない・・・とか?
特に秀吉には、秀勝を養子にしてますから、秀吉がいくら力を持っても、のちの織田家は安泰・・・といったところだったのでしょうか。