江~姫たちの戦国~ 第14話「離縁せよ」
秀吉軍10万、信雄・家康軍1万5千といわれるこの戦は、数の上では圧倒的有利に思えた秀吉方だったが、思わぬ苦戦を強いられることになる。家康・信雄軍は秀吉包囲戦を展開し、3月15日には尾張の小牧山に本陣を構え、17日には羽黒に陣していた森長可を撃破した。これに対し大坂を出陣した秀吉軍は、29日に楽田に本陣を置き対峙した。羽黒で敗北した長可と池田恒興は、家康を小牧に釘付けにして三河を攻撃する後方攪乱を秀吉に提議し、秀吉の甥である羽柴秀次を大将として侵入した。しかし、事前に情報が漏れて、4月9日、長久手において家康軍の奇襲を受けて惨敗し、長可・恒興をはじめ2500の兵を失い、命からがら敗走する。戦は家康方の完勝に終わった。このため秀次は、秀吉から激しい叱責を受けたという。
その後、秀吉軍は撤退し、6月には家康も清洲に戻った。予想外の敗北を喫した秀吉だったが、ここからが秀吉の本領発揮。信雄をあの手この手で懐柔し、家康に無断で信雄との単独講和に成功する。家康にしてみれば、自分に断りなく信雄が単独講和してしまったため、戦うための大義名分を失ってしまった。やむなく、11月に浜松城に引き揚げようとするが、知多半島の大野川で渡し船が見当たらずに困窮してしまった。このとき、この辺りの領主である、お江の夫・佐治一成が渡し船を用意し、家康の引き揚げに協力したという。水軍を指揮下に置く一成としては、渡し船の用意などわけないことで、しかも、家康が主君・信雄の同盟者であったことを思えば、一成の行為は至極当たり前のことだった。
しかし、これを知った秀吉は、一成が家康に便宜をはかった点を自身に対する背信行為とみなした。すぐさま、「長姉のお茶々が病気のため、見舞いに来るように」との偽手紙を送ってお江を上方へ呼び寄せ、彼女が上方へ着くや否や結婚したばかりの二人の仲を引き裂き、一成を大野城から退去させた。お江と一成の結婚生活は、一年にも満たなかったのである。16歳の一成と12歳のお江の夫婦関係が、はたして名実ともに夫婦になり得ていたかは知る由もないが、お江にとってこの結婚は、秀吉の都合に始まり秀吉の都合で終わった、あまりにも短い結婚生活。ドラマのように、秀吉に直接怒りをぶつけたかどうかはわからないが、大きな心の傷になったことは間違いないだろう。
上記のエピソードから想定すると、お江が呼び戻されたのは天正12年(1584年)の暮れと考えられるが、他の説としては、この5年後の淀殿(お茶々)が妊娠した天正17年(1589年)とする説や、秀吉が別の理由で二人の仲を裂いたとする説もあるらしい。5年後の説では、お江は一成との間に二人の娘をもうけ、お江が離縁となった後、一人は悲嘆のあまりに入水し、もう一人は盲目となって出家し、京都の嵯峨野に庵を結んで暮らしたといわれる。また、お江との仲を裂かれた一成は、秀吉の仕打ちに憤り、武将の座を捨てて僧侶になったという説や、あるいは憤りの余り切腹して果てたといった説もあるようだが、これらの話は秀吉の妹・朝日姫の夫だった副田甚兵衛の行動と混同されてできた説とみるのが正しいようである。
実際の一成は、伊勢安濃津城主の織田信包に仕えて5千石を知行し、家老として活躍したことがわかっている。慶長3年(1598年)に信包が丹波柏原城主に転封となった際にも一成は従い、寛永11年(1634年)に66歳で病没した。54歳で江が死去した8年後のことである。幼いながら、ほんの一瞬でも夫婦だったお江と一成。のちに徳川将軍御台所となったお江を、丹波の田舎侍となった一成はどのような思いで見ていたのだろうか。それは、今となっては知る術はない。
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by sakanoueno-kumo | 2011-04-18 03:00 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(3) | Comments(2)

【第14回の視聴率は4/18(月)追加予定】江、いつも秀吉に逆らってばかりいたのに、秀吉は江が好きみたいでしたね♪(^^)江をお嫁に出してしまったら、何か淋しいみたいで・・・茶...... more

天守閣の出ない大阪城なんて 利休が登場して有難い言葉を言ってくれなかったので、ドラマ度合いがほぼセロでついに99%コントだ。まともなのは家康が出てくる数シーンのみ。それ ...... more

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一成のその後が気になったので、無事、生きてたことが分かって良かったです(^^)
一成はのちに、信長と側室・お鍋の方の娘で、やはり従妹にあたる於振を正室に迎えたといわれています。
一成と江がその後会うことはなかっただろうと思いますが、もし会ったとしたら一成が江に平伏す立場、なんか不憫ですね。
ドラマでは江が可哀想に描かれていましたが、一成のほうがもっと可哀想なのでは?・・・みたいな(笑)。