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江~姫たちの戦国~ 第17話「家康の花嫁」

 「小牧・長久手の戦」以来、徳川家康に対しての再三に渡っての上洛要請を無視され続けた羽柴秀吉は、実妹の朝日(旭)姫継室として家康に差し出す。家康は、これより7年前の天正7年(1579年)に、織田信長の命令により正室・築山殿を死に追いやって以来(参照:江~姫たちの戦国~ 第3話「信長の秘密」)、正室を置いていなかった。そこに付け込んだ秀吉の懐柔策。家康としては、元は卑賤の出である秀吉の妹とはいえ、今をときめく関白殿下の妹君との縁談とあっては、断る理由が見当たるはずがなかった。このとき朝日姫は、姫とは名ばかりの40歳過ぎ。平成の現代ならまだまだ“女ざかり”といえるが(私としては十分ストライクゾーン・・・笑)、人生50年のこの時代では“老桜”といってもいい年齢。新妻とはとてもいい難く、後世の誰がどの角度から見ても、人質以外の何ものでもない形式だけの輿入れだった。

 このとき朝日姫には、夫がいたといわれ、秀吉に無理やり離縁させられたと伝わる。夫の名は佐治日向守という名と副田甚兵衛という名の二つの説が伝わっており、前者の佐治日向守説では、朝日と離縁させられたことを悲憤慷慨して自刃した・・・と伝わり、後者の副田甚兵衛説では、秀吉から離縁の条件として出された5万石の加増を蹴って出奔した・・・と伝わる。また、佐治日向守の死亡後、副田甚兵衛と再婚したとする説や、副田甚兵衛の別名が佐治日向守だったとする説もあり、結局のところどの説も決め手はないようである。ただ、こうして複数の伝承が残っていることからみても、朝日姫が家康に輿入れする際、秀吉に前夫と離縁させられたという逸話は、どうやら正しいように思える。朝日姫にしてみれば、兄が天下人となったがために降りかかった不幸。平成の現代でも、普通の人生を送るはずだった凡人が、異常な出世を遂げた優秀な兄弟を持ったばかりに、凡才の兄弟の生活まで翻弄され、逆に不幸な人生となってしまう・・・そんな話、珍しくないのではないだろうか。

 そんな秀吉の懐柔策も虚しく、家康は尚も上洛しようとしなかった。それでも諦めない秀吉は、とうとう次なる手として、「嫁いだ娘の病気見舞い」という名目で、実母である大政所を人質として送り込む。これに根負けした家康は、ようやく重い腰を上げ、上洛を決意する。お互い、「海千山千」のこの二人の駆け引きは、これまでも多くの物語で描かれてきた見応えのあるエピソードである。家康にしてみれば、すでに九州を除く西国諸侯を統一していた秀吉に勝ち目はなく、いずれは上洛して臣下の礼を取らなければならないのは明白だったが、九州征伐に向けて兵力を温存したい秀吉の心中を逆手にとっての引き伸ばし策だった。この策により家康は、しびれを切らした秀吉に妹どころか母親まで差し出させ、自分を高く売ることに成功した。「関白秀吉にそこまでさせた家康」という畏怖心を、周囲の諸侯に植えつけたわけである。一方で、関白が妹・母親まで差し出しているのに尚も挨拶に出ていかなければ、「家康は臆病者」との悪評が立つ恐れもある・・・秀吉にしてみれば、それを見越した作戦だったといえよう。権謀術数の限りを尽くした、まさに「狐と狸の化かし合い」だった。

 上洛した家康と秀吉の狂言の逸話は、実話とされている。天正14年(1586年)10月、上洛した家康が秀吉の弟・羽柴秀長の屋敷に入ったところ、待ちかねた秀吉は、少しの供回りだけを連れてその夜のうちに丸腰で家康を訪ね、二人だけで杯を交わしたという(もちろん、江が同席したという話はない・・・笑)。その際、秀吉は家康に対し、「いくら関白という位になったとは言え、自分が元は卑賤の出で、信長さまによって引き立てられた経緯は万人が知るところ。表面で従ってはいても、諸侯は腹の底では侮っている。そこで、明日の大坂城での謁見の際には、是非とも家康殿が自分に従うさまを、皆の前で見せてほしい。この秀吉が真の天下人となれるかどうかは、家康殿のお心ひとつ・・・。」と、口説いたという。関白となった秀吉にここまでいわれては、家康としては苦笑いするしかなかっただろう。“人たらし”といわれた秀吉ならではの、根回し作戦だった。

 翌日、家康は大坂城で秀吉に正式に謁見し、前夜の約束どおり臣下の礼をとった。ドラマで家康が秀吉の着用していた陣羽織を所望するシーンがあったが、この話はこのときより後日のことである。一説には、これも秀吉が事前に仕組んだシナリオだったとも。すでにこの時期、家康の言動が諸侯に与える影響大だったということがわかるエピソードである。そんな家康を臣下に組み入れたことにより、秀吉の天下統一への体制は磐石となった。ちょうどこのときとほぼ同じころ、秀吉は正親町天皇より豊臣姓を下賜され、12月には太政大臣に就任した。豊臣政権の誕生である。「本能寺の変」で天下統一を目前にした織田信長が落命してから、4年半という年月が過ぎていた。


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by sakanoueno-kumo | 2011-05-09 22:30 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(4) | Comments(0)  

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