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名将、尾藤公氏の逝去を悼む。~野球は人生の縮図、社会の縮図~

 東日本大震災発生の5日前の3月6日、和歌山県立箕島高校野球部元監督の尾藤公氏が、膀胱ガンの為、68歳で亡くなられました。実は、この稿は尾藤氏が亡くなられた5日後の3月11日に起稿しようと思い、途中まで書きかけたところで東北の地震の報道が飛び込んできたため中断したものです。その後、地震のほとぼりが冷めてから起稿しようと思っていたのですが、そのタイミングを失ったまま2ヵ月以上が過ぎてしまいました。遅ればせばがら、本日、追悼の思いを込めて、起稿させていただきます。
 
 高校野球ファンにとっては、今さら尾藤さんの功績を語るまでもないとは思いますが、箕島高校の監督として、春8回夏6回、甲子園に出場、公立高校としては唯一の春夏連覇を含む、春3回夏1回の全国優勝に導いた、昭和の名将です。私たちの世代にとっては、既に亡くなられた徳島県立池田高校の蔦文也元監督と並んで、間違いなく『甲子園の顔』でした。

 しかし、そんな輝かしい記録よりも、私たちの脳裏に焼き付いているのは、『尾藤スマイル』といわれたベンチでの笑顔。それまで、“しごき”“鬼監督”といったイメージが強かった高校野球に、ベンチで笑顔を絶やさない“のびのび野球”を提唱した、最初の監督だったのではないでしょうか。守備を終えてグランドから走ってベンチに帰ってくる選手たちを、立ち上がって笑顔で向かえる尾藤監督の姿からは、心から選手を愛し、野球を愛していた尾藤さんの人柄が伝わってきたものです。

 そんな尾藤さんも、若い頃はスパルタ指導の“鬼監督”だったそうですが、1970年春に全国制覇を成し遂げた後、成績が振るわず、信任投票によって監督退任に追い込まれたそうです。その後、ボーリング場に勤務し、そこで接客を学んだことによって、これまでの指導方針を考え直し、再び監督に復帰してからは、練習の厳しさは変わらないものの、試合中は常に笑顔で接するようになったそうです。そこから、あの箕島黄金時代が始まったんですね。本番までは徹底的に鍛え上げ、ひとたび戦いが始まったら、選手たちを信頼して余計なプレッシャーを感じさせない。野球のみならず、人を使う人を育てる立場にいる者にとっては、お手本のような指導者像でした。

 尾藤さんを語るに、なんといっても外せないのは、1979年の夏大会3回戦、『神が創った試合』と語り継がれる、箕島対星稜戦の延長18回の激闘でしょう。私にとってあの試合は、高校野球史上最高の試合だと思っています。

 星稜 000 100 000 001 000 100 3

 箕島 000 100 000 001 000 101 4

 
 延長戦の名勝負という意味では、高校野球史には他にもいくつかあります。古くは1958年の板東英二投手と村椿輝雄投手の投げ合いや、1969年の三沢高校・太田幸司投手の力投、近年では、ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手と田中将大投手の投げ合いなどが、記憶に新しいところです。しかし、これらの試合はすべて、高校生離れした投手の力投がクローズアップされた試合。それに対して箕島対星稜戦は、プロ注目といった選手がひとりもおらず、まさに全員野球での延長18回でした。それゆえに、高校生らしいミスがたくさん起きます。しかし、箕島の選手たちはそのミスで意気消沈することなく、逆にそこから一意奮闘して挽回します。それは、尾藤監督がすべてを選手たちに任せていた、選手たちを信頼していたからこそ成し得たことでしょう。何度も“万事休す”の局面になりながら、最後まで決して諦めることなく、最後は神をも味方につけた尾藤箕島。高校野球史に永遠に語り継がれるであろうこの戦いは、同時に、尾藤公という名を名将として歴史に刻んだ戦いでもありました。

 後年、延長18回の対戦相手だった星稜高校元監督の山下智茂氏は「尾藤さんの笑顔を見ていると、この人は“待つ”“信ずる”“許す”ということが出来る人なのだと思った。僕にはそれが出来なかった。その未熟さを自分で研究して野球観を変えた。」と言っておられました。それ以後、山下監督も笑顔を絶やさないスタイルに変えたといいます。

 監督勇退後は高校野球の実況解説者として活躍されていました。その解説も、決してネガティブなことをいわない、いつも選手の側に立った解説で、聞いている私たちを清々しい気持ちにさせてくれるものでした。何年もの間、「決勝戦の解説は尾藤さん」というのが定番でしたね。特に印象的だったのは、2006年夏の決勝戦の、斎藤佑樹投手と田中将大投手と投げ合いで引き分け再試合となった早稲田実業対駒大苫小牧戦の2試合のラジオ解説が、奇しくも27年前に延長18回の熱闘を繰り広げた山下智茂氏尾藤さんとのダブル解説だったこと。歴史に残る戦いを演じた二人が、時を超えて、歴史に残る戦いの解説席に並んで座っていた・・・。なんとも、不思議な巡りあわせだと感じました。

 7年ほど前からに侵され、闘病生活を余儀なくされた尾藤さんでしたが、3度の難しい手術を経験しながらも、「自分は何度か死んだようなもの。でも命の延長戦に終わりはない。人生をあきらめてはいけない。だから最後まで楽しみたい。」と語り、常に前向きだったといいます。昨年9月に甲子園球場で行われた、延長18回を戦った箕島・星稜のOB戦には、鎮痛剤を投与し、気力を振り絞って車椅子で参加されている姿をTVで観ました。そのときの言葉だったと思いますが、「命のほうは延長16回くらいまできているようだ。」と言っておられたと思います。これは一見、弱気な言葉に聞こえますが、延長16回といえば箕島・星稜戦で最大の奇跡が起きた回。星稜1点リードで迎えた16回裏の箕島の攻撃。2死ランナー無しの場面で、2年生の森川選手の打った打球は1塁ファールグランドへのポップフライ。誰もが星稜の勝利を確信した瞬間でしたが、ファーストを守っていた星稜の加藤選手が、グランドの土と人工芝の間に足を取られて転倒、ボールを取ることが出来ませんでした。命拾いをした箕島・森川選手は、その後、レフトへホームラン。土壇場で箕島は3−3の同点に追いつきます。このとき実況アナウンサーは「奇跡としかいいようがありません。」と叫んでいたのを今でも覚えています。打った森川選手は、それまで公式戦はおろか、練習試合でもホームランを打った経験がなかったそうです。まさに、神を味方につけた16回裏の攻撃。ご自身の闘病生活を、延長16回に擬えた尾藤さんの言葉は、もう一度、奇跡が起きることを信じていた言葉だったのではないでしょうか。

 その思いも虚しく、3月6日に尾藤公さんはこの世を去りました。残念ながら尾藤さんの人生の延長戦は終わってしまいましたが、しかし、彼に影響を受けた他校の監督が今でもたくさん活躍しておられること思えば、尾藤スピリッツの延長戦は、まだまだ甲子園に生き続けているといえるでしょう。それは、終わりのない延長戦です。

 最後に、私が好きな尾藤さんの言葉を記します。
 「野球というのは素晴らしいスポーツですよ。球技で、人間が得点するのは野球だけ。サッカーの場合はボールだし、ラグビーはボールと人の両方。でも、野球は人間だけ。だからこそ、人間臭いドラマが生まれる。野球というのは人生の縮図、社会の縮図ですよ。」(『高校野球熱闘の世紀。』より)

 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。


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by sakanoueno-kumo | 2011-05-14 00:03 | 高校野球 | Comments(0)  

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