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江~姫たちの戦国~ 第23話「人質秀忠」

 豊臣秀吉は、徳川家康を通じて北条氏政北条氏直父子に対し再三上洛を求めていたが、北条氏は一向に従おうとしなかった。徳川氏と北条氏は、家康の次女の督姫を氏直に嫁がせ、同盟関係にあった。天正16年(1588年)、九州平定を終えた秀吉は後陽成天皇聚楽第に招き、諸大名の起請文をとった。これが北条氏への圧力となり、同年8月22日に北条氏規(氏政の弟)が上洛し、秀吉の謁見をうけた。氏規は懸案の上野沼田領問題が解決すれば、兄氏政も上京するといい、秀吉はともかく氏政を上京させよと要求した。沼田領問題とは、徳川・北条の両氏が和議した際、沼田領は北条氏の所領にすると決まっていたものを、家康家臣の信濃上田城を本拠とする真田昌幸が、沼田城の対岸には先祖代々の墓があるという理由で、この地から手を引かず、両者の間でもめていた問題のこと。このとき秀吉は、沼田領の三分の二を北条氏の領地とし、名胡桃(なぐるみ)の地は真田氏のものとすると裁定した。

 ところが翌年の天正17年(1589年)10月、沼田城の北条勢が、真田領の名胡桃城を攻略してしまう。これを聞いた秀吉は豊臣政権への反逆と見なし、11月、家康を通じて最後通達を氏直に送りつけた。これを受けた氏直は地位の確保・上洛の延期など強気な態度を示した。名胡桃城攻略は、秀吉が発した「惣無事令」に背いており、北条征伐の大義名分となる。もはや豊臣政権と北条氏の激突は避けられない状況にあった。

 そんな緊迫した状況下の天正18年(1590年)1月、家康の三男・徳川秀忠(竹千代)が上洛した。理由はドラマのとおり、北条征伐の準備が着々と進むなか、徳川家は娘の督姫を嫁がせるなど北条氏と同盟関係にあったため、豊臣家に誠意を見せるため、いわば“人質”として送り出されたもの。秀忠は、井伊直政酒井忠世内藤清成青山忠成を共に1月3日に駿府を立ち、13日に入京。その翌日の14日には、秀吉の実妹で家康の継室だった朝日姫が聚楽第にて病没しているので、ドラマのように臨終に立ち会ったかもしれない。その翌日の15日に、秀忠の元服の儀が行われたのもドラマのとおり。このとき秀吉の実母・大政所が直々に秀忠の髪を結ったというのも実話である。娘の死の悲しみも覚めやらぬ翌日に、政治的大役を任された大政所の心中は、どのような思いだっただろうか。

 この秀忠の上洛は、結局5日間という短さだった。秀吉にしてみれば、家康の誠意さえ確認できれば十分、秀忠を無事に帰国させることで、自身の心の広さを諸大名に知らしめることのほうが、この場合、効果的だったのだろう。家康も、そんな秀吉の性格をわかった上での秀忠上洛だったのかもしれない。5日間だけの人質・・・まさに、ドラマ中の秀忠の台詞どおり、「猿芝居」だった。

 めずらしく通説どおりの展開だった今話だが、ただ1点違うのは、肝心のお江は、この時期すでに豊臣秀勝再婚していたと思われる。したがって朝日姫の臨終に立ちあってもいなければ、秀忠と出会うこともなかった。このとき、お江17歳、秀忠11歳。二人が夫婦となるのはこの5年後、お江22歳、秀忠16歳のときである。一般に、温厚で従順な人物だったと伝わる秀忠だが、ドラマでの秀忠は、言いたいことをズケズケと口に出す少々弄れた男のようだ。お互いの第一印象は良くなさそうなお江と秀忠。今後の展開を楽しみにしたい。

 2月10日、北条征伐の先鋒を命じられた徳川家康は2万5千の東海道軍を率いて駿府城を出発、上杉景勝前田利家も東海道軍と連携する形で信濃から北条領国へ進行した。3月には秀吉自身も聚楽第を出陣、20日に駿河で家康と合流し、29日には松田康長山中城豊臣秀次率いる2万の軍勢で攻め掛かり落城、その後、足柄城・新城など次々に落城させ、小田原城包囲の体制を整えるべく石垣山に城を築いて本陣とした。

 有名な「小田原の一夜城」として知られる石垣山城は、小田原城を眼下に見下ろす笠懸山の上に、約80日間で築かれたと伝えられる。その名の通り石垣を用いた本格的な城で、本丸、二の丸、西曲輪、馬出し曲輪などを備えていたという。ただし、天守閣まであったかどうかは定かではない。秀吉は小田原城攻めを急がず、余裕を見せつけるかのように、千利休淀殿ら愛妾を呼んで大茶会などを連日開いた。一方、上杉・前田の北陸軍も各諸城を撃破し、5月には河越城鉢形城が落城した。5月24日には氏規の韮山城も落ち、北条方の主要な支城は落城した。援軍も望めず孤立した小田原城中の籠城兵は、石垣山城を眼前に豊臣勢の強大さを思い知らされ、なし崩し的に内部崩壊。7月6日ついに小田原城は開城し、氏政・氏照兄弟は切腹、氏直は家康の嘆願もあり高野山へ送られた。これにより、北条早雲以来、五代・百年に渡って関東に覇を唱えた北条氏は滅んだ。

 ここに、豊臣秀吉の天下統一は完全なものとなった。しかし、磐石なものとはならなかったことは、後世の知るところである。


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by sakanoueno-kumo | 2011-06-20 17:50 | 江~姫たちの戦国~ | Trackback(3) | Comments(2)

 

Tracked from あしたまにあーな at 2011-06-21 01:37
タイトル : 江 -姫たちの戦国- 第23回「人質秀忠」
前回さわりだけ登場した秀忠が今回は全面に登場します。前回も感じたことではありますが、向井理を見ているととても戦国の世の中に存在するような感じしないのが不思議です。しかし、それを演技の面で今回は完全にカバーしていました。クールでつっけんどんな態度を示すことによって、今まで感じていた違和感を完全に払拭することができたのです。 そんな秀忠と絡んでいくことになるのが江でした。前回まで姉上である茶々の話ばっかりだったので、江が登場してメインになっていくのも久しぶりな感じがします。茶々を見てみると秀吉の奥方とし...... more
Tracked from ショコラの日記帳 at 2011-06-21 10:13
タイトル : 【江】第23回と視聴率「人質秀忠」
第23回の視聴率は、前回の18.3%より少し下がって、18.0%でした。 公式発表ではありませんが、2013年(次々回)の大河ドラマは、震災関連プロジェクトの一環として、福島出身の新島...... more
Tracked from 早乙女乱子とSPIRIT.. at 2011-06-21 22:31
タイトル : 秀忠という男 〜江・人質秀忠〜
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Commented by heitaroh at 2011-07-03 09:45
取り急ぎ私が今回、関東に来て思ったことが二点。
まず、真田家の領土は意外に大きかったんですね。
小領主という印象しか持っておりませんでしたが、面積だけを見れば殆ど一国に相当する領土を持っていたんだと。ただ、山が多いので石高が低い・・・ということでした。

次に、鉢形城に行ってきましたが、この城の堅固さには目を見張りました。
これほど、要害らしい要害は平地が多い武蔵野では珍しいので・・・と。
あ、時間切れです。また、寄せてもらいます。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-07-04 14:18
< heitarohさん
>真田家の領土は意外に大きかった
そうですか。
私も真田家といえば、内陸の小領主といったイメージを持っていました。
真田太平記などでもそのように描かれてますしね。

小田原城はわかりますが、鉢形城や川越城の位置関係が私は今イチわかっておりません(苦笑)。
貴兄は、この度の関東出陣で、名立たる名城・名所を制覇しておられるようで・・・。
羨ましいかぎりです。

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