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JIN -仁-(完結編) 第11話(最終章・後編)

 毎週、起稿してきたドラマ「JIN-仁-(完結編)」の鑑賞記。最終回を観終え、あまりの感動のため言葉を失った。私がここで何をいっても安っぽい言葉にしか聞こえず、感動を表す文章が見当たらないまま今日まで起稿が遅れた。人間、想像以上の感動を覚えると、言葉を失うようである。しかし、咲の手紙ではないが、この思いを忘れないように、やはり書き留めておきたいと思う。ゆえに、稚文、乱文はご容赦いただきたい。

 まず始めに、「結末は映画にて・・・」なんて終わり方ではなく、ちゃんと完結させてくれたことに感謝したい。結末は、村上もとか氏の原作とは違っていたそうだが、原作を知らない私としては、充分に満足いく結末だった。原作を知っている人の感想では、不満の声が聞かれるようだが、おそらく私がこのあと原作を読んだとしても、きっとドラマの結末のほうが良かったと思うだろう。原作には原作の良さがあり、ドラマにはドラマの上手さがあり、要は、どちらを先に見たか・・・ではないだろうか。私にとっては、このドラマの結末が、この物語の結末になった。

 彰義隊とは、徳川慶喜側近の旧幕臣を中心として結成した有志隊。「鳥羽・伏見の戦い」に敗れた慶喜は、江戸城に戻ると朝廷に対して恭順謹慎を表した。その慶喜の護衛江戸警備の名目で結成されたのが彰義隊である。頭取には渋沢成一郎、副頭取には天野八郎が投票によって選出され、幹事には本多敏三郎伴門五郎が就いた。隊士には旧幕臣のみならず、町人や博徒侠客も参加し、千人を越える規模になった。

 慶応4年(1868年)4月11日、新政府軍の参謀・西郷隆盛と、旧幕府軍の陸軍総裁・勝海舟との歴史的会談が行われ、江戸城は無血開城されることになり、慶喜も水戸に謹慎することで決着。しかし、それに不満を持った彰義隊は、徹底抗戦を主張。上野寛永寺に立てこもり、江戸の各地において新政府軍と衝突を起こす。そしてとうとう5月15日、上野に結集した彰義隊3千人に対して、新政府軍2万人が総攻撃を開始。その圧倒的な戦力の差から、開戦から1日も経たずに彰義隊は壊滅した。旧幕臣の彼らにとっては、結末は最初からわかっていた、いってみれば、死に場所を求めた決起だったのだろう。橘恭太郎が参戦した上野戦争というのは、そういった戦だった。

 「くだらぬ私が、ただ一つ誇れることがあるとするならば、それは最後まで、徳川の家臣として忠節を尽くしたということのみでございます。」
 そんな恭太郎の言葉に、ひとつだけ大きな勘違いをしていると諭す南方仁
 「恭太郎さんが命がけで守ってきたのは、徳川じゃなく、橘の家なんじゃないですか?」・・・と。

 江戸期の封建社会に生きる武士たちにとって、最も大切なものは、“家名”だった。その家名を汚すことないよう努め、家名を絶やすことのないよう家族、親族を大切にした。昭和期、民主主義社会となった日本は、高度経済成長を経て核家族化が進み、平成の現代では少子化未婚化が社会問題となっている。人は就きたい職業に就くことができ、住みたい場所に住めるようになった。一方で、親戚づきあいなどを疎んじ、家族を持つことさえ煩わしいといった人間が増えた。はたしてどちらが人間らしい社会なのだろう・・・。そんなことを考えさせられた、仁先生の言葉だった。

 それにしても、ときどきしか出てこなかったにも関わらず、強い印象を残してくれたのは、恭太郎と咲の母、気丈な母親像。子どもの前では決して弱音を吐かず、溢れんばかりの愛情を注ぎながらも決して甘やかさない。おそらく、武家の母親というのは、きっと栄のような人が殆どだったのだろう。私が思うに、昭和期にはまだ栄のような母親がたくさんいたように思う。平成の現代の、モンスターペアレントといわれる自己中心的な母親や、行き過ぎた愛情で過保護な母親、逆に子どもに愛情を持てずに虐待育児放棄を繰り返す幼稚な母親などが、なぜ増えてきたのだろう・・・と考えたときに、これも、核家族化などの進歩による弊害といえるかもしれない。坂本龍馬たちの奔走によって自由を手に入れた私たちは、大切な何かを忘れてきたようである。

 「戻るぜよ・・・あん世界へ!」
 全編を通して流れていた龍馬のこの言葉は、銃弾を受けた傷口から緑膿菌に感染したを救うための言葉だった。その声に導かれるように、元の世に戻った仁。そして、前編の第1話に繋がる。咲を救うために必要なホスミシンという薬を取りに、一旦、平成の世に戻った仁だったが、そうなれば当然、6年前と同じことが繰り返されるわけで、非常階段から落ちてタイムスリップしたのは、6年前の仁のほうだった。行き先はおそらく文久2年(1862年)、過去から戻ってきた仁が再び、生死をさまよう咲が待つ慶応4年(1868年)に戻ることはなかった。

 ここからは、答え合わせのストーリー。仁がタイムスリップした世界はパラレルワールド(平行世界)で、少しずつ違った時間軸の歴史に飛んだ、無限ループだったんじゃないかと。胎児性腫瘍の正体はバニシング・ツインといわれるもので、龍馬の声が聞こえた理由は、仁が龍馬の血を浴びたことで、その胎児性腫瘍に龍馬の人格が移った・・・と。しかし、これらはすべて、無理矢理科学的に理由付けしただけに過ぎず、本当のことはわからない。ただ、ひとつだけわかっているのは、仁が戻ってきた世界は、仁がタイムスリップしたことによって修正された世界で、仁が生きた歴史の延長線上にあること。だから当然、仁の元恋人の友永未来の存在もなかった。

 仁友堂の存在など、仁が幕末の時代に生きた痕跡は残されていたものの、幕末の歴史上に南方仁という存在は消えていた。すべては無に帰した・・・まるで夢を見ていたかのような虚しい結末・・・と思いきや、その虚しさは、橘家の子孫だと思われる女性・橘未来との出会いによって救われる。そこで知ったのは、仁が現代に取りにかえったホスミシンという薬が、何らかのかたちで恭太郎の手にわたり、咲が助かったこと。その後、咲は橘醫院を設立し、女医として天寿を全うしたこと。仁が龍馬に助言した保険制度の確立に、恭太郎が尽力したこと。そして何よりも感動したのは、野風が生んだ女児・安寿を、野風の死後、咲が養女として育て、その末裔が橘未来という女性であり、仁とめぐり合ったこと。
 「ずっと、あなたを待っていた気がします。」
 自分の子孫が未来で仁とめぐり合うことを願っていた野風の思いと、仁を想い続けたまま添い遂げることはなかった咲の想いと、幕末に心を置いたまま現代に戻ってしまった仁とが、ここに、歴史という一本の線で結ばれた。この結末はおそらく原作とは違ったものだろうと思うが、私は、このストーリーを考えた作家さんに感謝したい。

 そう、歴史とは、一本の太い線だと私は思う。学校の授業で習った歴史や史実といわれるものは、所詮は歴史の断片に過ぎない。学術的には、鎌倉時代室町時代江戸時代と、その節目節目でわかりやすく色分けしているが、実際の歴史というものは、そうやって簡単に区分できるものではなく、その時代に生きたすべての人の数だけ歴史があり、その人々の思いが次世代へと引き継がれ、かたちを変え、現代の私たちに繋がっている。野風と咲の思いが仁と繋がったように、私たちが先祖から受け継いだものは、単に遺伝子だけではなく、彼らが未来に託した“心”を受け継いでいるのである。歴史とは、“心の継承の足跡”といってもいい。そんな当たり前のことを、教えてくれた物語だった。このドラマを、歴史スペクタルと見るか、医療ドラマと見るか、SFファンタジーと見るかは様々だと思うが、私にとっては、まぎれもなく歴史ドラマだった。

 最後に、この物語のすべてだといってもいい、第1話冒頭のナレーションを記したい。このナレーションは、前偏後編では少し違っている。前偏では、詠み人は仁の元恋人・友永未来だった。

私たちは当り前だと思っている。
思い立てば地球の裏側でも行けることを。
いつでも想いを伝えることができることを。
平凡だが満ち足りた日々が続くであろうことを。
昼も夜も忘れてしまったかのような世界を。
でも、もしある日突然、その全てを失ってしまったら、鳥のような自由を、満たされた生活を、明るい夜空を、失ってしまったら。
闇ばかりの夜に、たった一人放り込まれてしまったら。
あなたはそこで光を見つけることができるだろうか。
その光をつかもうとするだろうか。
それとも、光なき世界に、光を与えようとするだろうか。
あなたのその手で。


 そして完結編の1話では、詠み人は仁に変わり、未来の問いかけに答えた連歌のように語る。

僕たちは当たり前だと思っている。
思い立てば地球の裏側に行けることを。
いつでも想いを伝えることができることを。
平凡だが満ち足りた日々が続くであろうことを。
昼も夜も忘れてしまった世界を。
けれど、それはすべて与えられたものだ。
誰もが歴史の中で戦い、もがき苦しみ、命を落とし、生き抜き、勝ち取ってきた結晶だ。
だから僕たちは、更なる光を与えなくてはならない。
僕たちのこの手で・・・。


 そして最終回のラストシーン咲の残した手紙を読んだ仁は、こう心に誓った。

この思いをいつまでも忘れまい、と思った。
けれど、俺の記憶もまた、全て、時の狭間に消えていくのかもしれない。
歴史の「修正力」によって・・・。
それでも、俺はもう忘れることはないだろう。
この日の美しさを。
当たり前のこの世界は、誰もが戦い、もがき苦しみ、命を落とし、勝ち取ってきた、無数の奇跡によって編み上げられていることを。
俺は忘れないだろう。
そして、新たな光を与えよう。
今度は、俺が未来のために、この手で・・・。
 

 未来の歴史は、私たちの手で作っていかねばならない・・・。まさしく、戦後最大の国難といわれる、今の日本に相応しい言葉かもしれない。でも、きっと明るい未来は訪れる。
神は乗り越えられる試練しか与えない・・・のだから・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2011-06-28 15:44 | その他ドラマ | Trackback(4) | Comments(2)  

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Commented by marquetry at 2011-07-12 20:06
私も、録画して観ました・・・たいていのドラマは、物語の完成度が高いほど、最後尻すぼみになりがちですが、このドラマは、すとんと腹に落ちるものがありましたね。そして未来も咲きも、この結末には報われる思いだったでしょう・・・。
私も、常々思います。当たり前の日常が、どれほどの思いの上に築かれたものかと。
奇跡といっていいほどの、今の自分の存在と、様々なものに触れ、感じることができるこの瞬間を、満喫し、この思いや願いを、どう未来へ繋ぐことができようかと。
久々に良いドラマだったと私も思います。
坂本竜馬も、単なる歴史ドラマよりずっと身近に感じましたし・・・内野の竜馬が結構気に入ってました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-07-13 00:24
< marquetryさん
私が歴史小説やドラマを好んで見るのは、現代の私たちの、生きるヒントがそこにあると思うからです。
私たちが生きる今の日本が、どのようなプロセスで作られてきたか・・・それは、物理的なことだけではなく、思想や宗教、哲学など形而上的な部分も含めて、その国の歴史を知ることは、その国の今を知ることでもあり、ひいては自分を知ることでもある・・・と。
この物語では、タイムスリップというSFストーリーで現代人を歴史の中に放りこみ、まさに肌で歴史を感じ、学び、自分を見つめていきます。
しかも、主人公の仁先生は、歴史オンチという設定。
これが良かったですよね。

当たり前だと思っている日常は、当たり前に出来上がったものではない。
未来の当たり前を作るために、私たちはどんな歴史を刻めばいいのか。
いろんなことを考えさせられたドラマでした。

内野龍馬は私も絶品だと思っています。
福山龍馬も悪くはなかったんですけどね・・・。

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