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松井秀喜選手の5打席連続敬遠を指示した馬淵史郎監督のインタビュー記事に思う。

もうすぐ夏の高校野球甲子園大会が始まりますが、昔の高校野球ネタで大変興味深い記事を見つけたので、本日はその記事について、わたしの思うところを述べさせていただきたいと思います。
先日、日米通算500本塁打を達成した、現・MLBアスレチックスの松井秀喜選手が1992年夏の高校野球甲子園大会で、5打席連続で敬遠されたというエピソードはあまりにも有名ですが、その敬遠を指示した明徳義塾馬淵史郎監督が、そのときの采配について語ったインタビュー記事です。
まずは、記事本文をそのまま記載します。
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松井秀喜5連続敬遠指示の監督 「人を敬うからこそ敬遠」
まもなく今年も高校野球の甲子園大会が始まるが、高知の明徳義塾・馬淵史郎監督は今年で監督生活21年。計21度の甲子園出場で通算36勝20敗。2002年夏には優勝旗を取った高校球界きっての名将をインタビューした。

──馬淵監督といえば、1992年大会の対星稜(石川)戦の「松井秀喜5連続敬遠」を語らずにはいられません。
「そやね。おかげさまで有名になりました。私は今でも間違った作戦だったとは思っていない。あの年の星稜は、高校球児の中に1人だけプロがいるようなものだった。あれ以前も、あれ以降も、松井くんほどの大打者と僕は出会っていません。甲子園で勝つための練習をやってきて、その甲子園で負けるための作戦を立てる監督なんておらんでしょ? 勝つためには松井くんを打たせてはいかんかった」

──高校野球ファンの心理を逆撫でしたのは、7回表2死無走者の場面でさえ、松井選手を歩かせたことでした。
「その時点で3-2だったでしょ。これが2点差だったら、ホームラン打たせてやりましたよ。しかし、1点差だった。もしホームランを打たれたら同点になるわけですよ。たとえヒットで終わったとしても、松井くんが打つことによって他の選手が勢いづく。そういう波及効果も恐れていました。僅少差の展開では、たとえ2死であっても歩かせることのリスクは大きいんですよ。敬遠は逃げじゃない。そこは理解してもらいたい。ただ、選手は監督の作戦に従っただけなんだから、子供たちへのバッシングはかわいそうだった。子供たちに申し訳ないことをしたと思っています」

──当時のナインに対する負い目があるということですか。
「それはない。負い目があったら監督を続けていません。あんな作戦を取って負けていたら監督を辞めていたでしょうが、勝ったわけやからね。
そもそも私は野球のルールを犯したわけやない。松井くんと勝負して抑えられるとしたら、インコースの高めしか打ち取る方法はなかったはずです。だけど胸元だけを攻めて、デッドボールを当ててケガでもさせてしまった方がよっぽど汚い野球だと思いますよ。
 野球では『盗塁』とか『刺殺』というように、盗むとか殺すといった不謹慎な言葉が使われている。その中でキレイな言葉といったら『敬遠』ぐらいのものですよ。人を敬うからこそ敬遠なわけです」

※週刊ポスト2011年8月12日号
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いろんな考え方があって然りだとは思いますが、私はこのインタビュー記事を読んで、馬淵監督は最も大切なことを忘れていると思わずにいられませんでした。
それは、高校野球は“勝負ごと”である以前に部活動であり、“教育の一環”であるということ。
高校球児はプロ野球選手のように、勝敗や成績がすべてではありません。
もちろん“勝負ごと”である以上、勝利を目標にして戦うわけですが、“教育の一環”である以上、勝つためのプロセスが重要だと思います。
勝負ごとに勝つための“指揮官”としての馬淵氏は、なるほど優れたスキルを持った方なのかもしれませんが、社会に出る前の子どもたちを指導する“教育者”としては、申し訳ありませんが、およそ相応しくない方だと思えてなりません。。

>勝つためには松井くんを打たせてはいかんかった

たしかに松井選手との勝負を避けたことで、明徳はこの試合に勝つことができました。
しかし、明徳ナインはこの試合で何を学び、何を得たのでしょう。
得たものといえば、世間からのバッシングだけだったのでは?
たしか、次の試合では世間からの白眼視に硬直して力を発揮できず、結果はボロ負けだったと記憶しています。
高校生の彼らにとっては、あの世論はあまりにも重荷だったと思います。
社会に出れば、上手くいく可能性の極めて低い事柄に、あえて挑まなければならない場面がままあります。
松井選手とて、勝負したからといって5打席連続本塁打ということは、たぶんなかったでしょう。
たとえ1打席でも松井選手を抑えることができたら、彼らの勲章になったでしょうし、勝負したことで試合に負けたとしても、そこから学び得ることはたくさんあったと思います。

>そもそも私は野球のルールを犯したわけやない

たしかにルールには反していませんが、倫理には反していると思います。
そもそも、ルールに反していなければ何をやってもいいという考え方が、指導者、教育者としていかがなものでしょう。
「法を犯したわけじゃない」といって、時間外取引という裏技を使ってニッポン放送株を買収しまくった若い実業家もいましたよね。
あれと同じです。

というのも、この5打席連続敬遠に限らず、馬淵野球にはそういった手段を選ばない倫理に反した行為が多く見られます。
たとえば、昨夏の沖縄代表興南高校と対戦した2回戦、相手投手が投球モーションに入ろうとすると打者はバッターボックスを外すといった遅延行為を再三繰り返し、主審から注意を受けていました。
おそらく、大会ナンバーワン左腕の島袋洋奨投手を容易には打ち崩せないだろうとみて、島袋投手をイラつかせるための心理作戦だったのでしょう。

他にも同試合では、明徳のブルペン(高校野球の場合、ファールグランド)で投球練習をしている捕手が落球して、そのボールがフィールド内に転がり込んだため試合が中断するといった場面も何度かありました。
これも、おそらく故意だと思います(少年野球ならともかく、甲子園に出場するような高校球児が、1試合の中でそう何度もミスをするとは思えません)。
こんな姑息な心理作戦は、今どきプロでもやりません。
でも、馬淵さんはそんな姑息な手段を高校生に教えているわけですよ。
このように、ルールに反していなければ何をやってもいいといった考え方が、教育の場である部活動に持ち込まれるのは、わたしは賛成できません。

とはいっても、私は馬淵史郎監督と面識があるわけではありませんので、あくまで氏の野球観からみた個人的意見です。
実際には、どんな方かは知りません。
ただ、スポーツにおける指揮官の采配というのは、その方のものの考え方が映しだされるものだと思いますけどね。

>人を敬うからこそ敬遠

なるほど、上手いこと言ったなと思ってしまいそうになりますが、本来の“敬遠”という言葉の持つ意味を辞書で調べてみると、「表面では敬うような態度で、実際には関わりを持たないようにする」とあります。
決して馬淵さんのいわれるような、キレイな言葉ではありません。
本当に心から敬う気持ちがあるならば、その人と関わりを持ちたいと思うのが人間でしょう。

後年、ビッグになった松井秀喜選手は、「あの敬遠で自分に箔がついた」と語っていましたが、松井選手にとってはそうだったかもしれませんが、あのとき敬遠した明徳の河野和洋投手は、「松井を5打席連続で敬遠した投手」というレッテルがいつまでもついてまわり、その後の野球生活では辛い思いをしたと聞きます。
馬淵監督がいう、勝つために必要だった作戦は、そんな代償を払っての勝利だったということです。
それでも、「今でも間違った作戦だったとは思っていない」と語る馬淵史郎監督の野球観は、私はどうにも好きになれません。




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by sakanoueno-kumo | 2011-08-03 22:02 | 高校野球 | Trackback(2) | Comments(79)  

Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2011-08-06 10:11
タイトル : スポーツ観にみる目的意識のはき違えに対する捕捉 前編
親愛なるアッティクスへ 藤山雷太(初代日本商工会議所会頭)翁の話だったかと思うのですが、あるとき、通りかかった新入社員を捕まえて、「どうだ、仕事は楽しいか?」と聞き、その新人君が、「はい、楽しいです」と答えたことろ、「そんなに楽しいなら、給料はいらないだろう」と言うので、新人君が、「そんなぁ」と言うと、翁は急に真顔になって、「会社は、君たちに楽しくないことをさせているから、その対価として、給料を払っているんだ」と言った・・・という話を聞いたことがあります。 まあ、一方では、本田技研創業者の本田...... more
Tracked from 平太郎独白録 親愛なるア.. at 2011-08-08 10:45
タイトル : スポーツ観にみる目的意識のはき違えに対する捕捉 後編
親愛なるアッティクスへ 続きです。 「勝てば楽しい。楽しくなる為にやっている」という論に対する、拙ブログで当方が述べた「目的意識の差」・・・というのは、わかりやすく言えば、昨日述べたような接待ゴルフを思い浮かべて頂ければいいと思います。 彼らは、何の為にゴルフをやっているのか・・・です。 相手に勝って、自分が気持ちよくなるのが目的ではなく、相手に気持ちよくプレーをしてもらって、その後の商談に結びつけるのが目的だからです。 私は接待されたことはありませんが、人の話では大変みたいです...... more
Commented by スポーツマンシップ at 2011-08-05 21:05 x
初めてコメント致します。
貴方の御意見に同感です。
馬淵監督の言動から「自省&自制」という言葉を御存じなのかと疑いたくなります。「野球を通しての人間形成が指導方針です」とよく言えたものだなあと呆れるばかりです。週刊ポストの記事も読みましたが、突っ込みどころ満載で品が無いという印象です。昨夏の興南戦はみていませんが、遅延行為や故意に試合中断する場面が何度もあったんですか? 本当なら選手が学生である以上、教育者として失格ですね。 選手は将棋の駒ではなく、人間である。

長文失礼致しました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-08-05 23:41
< スポーツマンシップさん。
コメントありがとうございます。
このような私見を起稿して、てっきりお叱りのコメントを賜るかと覚悟していましたが、共感していただいて恐悦至極です。
おっしゃるように、「自省&自制」が微塵にも感じられませんね。
松井選手への敬遠は、馬淵さんも監督になられてまだ浅い頃で、今思えば間違いだったという自省の言葉があれば、私も氏を見直すところなんですけどね。

昨夏の興南戦で球審から注意された件や、試合が度々中断したというのは事実ですが、故意であったかどうかは私見です。
Commented by heitaroh at 2011-08-06 10:12
日本人は興業と修行の区別を割り切るのが苦手なんですよね。
この点で、私も以前書いたものの中に思い当たるものがあったのでTBさせていただきました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-08-06 23:59
< heitarohさん。
高校野球は興業ではないと思いますが・・・。
TB読ませていただきましたので、その件については貴ブログにて。
Commented by 福岡男児 at 2011-08-07 21:08 x
小生は1960年生まれの多少古びた福岡人です。誰かさんとは違って貴方と同じく高校野球は興業ではないと考えています。100歩譲って興業だとしても観衆に感動を与えることが出来なければ凋落の道をたどるでしょう。厳しいビジネスの世界で生きる者なら「CSR」や「UCD」という言葉は御存じだと思うのですが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2011-08-08 11:25
< 福岡男児さん
>誰かさんとは違って・・・という意味がよくわかりませんが、共感していただき恐悦至極です。
もちろん、高校野球を興業と考え、ビジネスにしている人たちがいるのは否定しませんが、直接現場に携わる者は、そうであってはならないと思います。

>「CSR」や「UCD」

その観点からきたのが、昨年ベストセラーになった「もしドラ」でしたね。
そこでのCSRやUCDは、“感動”だったと思います。
5打席連続敬遠から“感動”は生まれませんね。
Commented by ララ at 2012-02-16 02:23 x
馬淵監督は、世間を大きく騒がせ迷惑を掛けたお詫びにと、明徳の学校長に野球部監督の辞表を提出しようとした。しかし、学校長は「間違っていることをしたんじゃないんだから。あそこで監督を辞めさせたら、それこそ教育にならんでしょう」との考えから「もう過ぎた事。今日からまた頑張りなさい」と辞表を受け取らずに慰留、馬淵はそのまま野球部監督を続けた←wikiから抜粋
「今でも間違った作戦だったとは思っていない」私にはこの言葉の真意は分かります。
それと明徳の河野和洋選手、今でも野球続けていますよ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-02-16 14:42
< ララさん
コメントありがとうございます。
本文中でも述べましたが、いろんなご意見があって当然だと思います。
あのとき、監督の指揮を信じて戦った球児たちのことを思えば、あの作戦は間違いだったなんて言うべきではない、というご意見は理解できます。
でも、であれば、一番いいのは何も語らないことではないでしょうか。
少なくとも、「週刊ポスト」のようなゴシップ記事を主とした下世話な雑誌のインタビューで軽はずみに語るようなことではないのでは・・・?

河野和洋さんのことはよく知りません。
記事中にあるYouTubeの動画では、今ではいい思い出だと語っておられますが、ずいぶん以前(米国独立リーグに渡っていた頃)にテレビのインタビューに答えられていたときは、「5打席連続敬遠の河野」というレッテルを剥がすためにアメリカに渡ったという旨のことを語っておられました。
“いい思い出”になるまでには、それなりの時間を要したんじゃないでしょうかね。
Commented by mabutikyou at 2012-02-18 09:47 x
甲子園を見ている人は甲子園での采配や態度で判断しますが、
監督の教育とは、3年間の日々で培われるものだと思う。
たかだか2時間半の1試合で監督と生徒の絆や想いを判断するのは
可笑しいのではないでしょうか。野球は対戦相手があり、ましてや
甲子園は今まで練習試合をしたことや情報もないチームと戦い、
勝ちあがらないといけない戦いです。
そのなかで最善の作戦を考え生徒を信じ勝ちにこだわるのが
教育だと思う。負けても良いと思って無策で戦う事からは
何も生まれないでしょう。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-02-20 13:56
< mabutikyouさん

>監督の教育とは、3年間の日々で培われるもの

おっしゃるとおりだと思います。
では、その3年間の日々は何のためにあるのですか?
その「たかだか2時間半」のためにあるんじゃないんですか?
その1試合だけで判断するのはおかしいといいますが、そこが3年間の全ての結集なんじゃないんですか?
守備を重視してきたチーム、攻撃力を鍛えてきたチーム、機動力に重きをおいてきたチーム、基本に忠実でセオリーを重視した組織力のチーム、比較的自由なプレースタイルで個々の個性を生かしたチームなどなど、その「たかだか2時間半」で監督さんがどういう野球を目指してきたかが全てわかるといっても過言ではないでしょうし、どれが正解というものでもありません。
で、私は馬淵氏のような、勝つためには手段を選ばないといったスタイルの野球は“好まない”と言っているのです。
本文中でも述べているとおり、あくまで私の個人的な意見です。

>負けても良いと思って無策で戦う事からは何も生まれない

これも尤もです。
じゃあ敬遠をさせないチームは「無策」なんですか?
遅延行為が「良策」なんですか?
おっしゃってることが理にかなってませんね。

Commented by 中年ニート at 2012-12-08 13:38 x
馬淵史郎監督って愛媛県(現在の西予市、旧西宇和郡三瓶町)出身でしょう。
郷土出身の正岡子規が、死の床で野球用語の訳語を考えられていたことをお忘れか?
さればこそ、一見すれば激しい用語が野球用語には頻出するのが頷ける。「死」に「盗塁」に「捕殺」に「併殺」、更には「犠牲」と…
馬淵監督は明徳義塾では社会科教諭でもあるはず。このあたりを勉強、あるいは伝聞していなければ、信用に値しまい!!

しかし星稜松井秀喜は、「NYY松井秀喜」としての最終試合のWS(2009年の第6戦)で、1試合6打点、この内4打点を浴びせた名投手Pedro Martinezを(2年浪人後だが)引退に追い遣り、松井は日本選手初のMLB・WS-MVPに名を残した。

今では、明徳馬淵に、松井に対する「先見の明」があったと言う意見も漸増傾向のようだが、高校野球でで「5打席連続四球」はいかがなものかと思う。
Commented by sakanoueno-kumo at 2012-12-10 15:10
< 中年ニートさん

コメントありがとうございます。
なんか、お叱りを受けているようなコメントですが、一応は拙文に同意していただいているものと解釈します(笑)。

たしかに子規が訳した野球用語がいまでも使われていますが、子規が訳したのは「打者」「走者」「直球」「飛球」などで、「死球」や「盗塁」は子規ではなかったんじゃないですかね(正確な情報ではありません)。
仮に子規が訳した言葉だったとしても、「デッドボール=死球」「スチール=盗み」といった具合にほぼ直訳ですから、もともとが激しい言葉だったわけです。
死の淵で和訳したから過激な用語になったという解釈は無理があるかな・・・と。

>馬渕監督に松井に対する「先見の明」があった

そんなもん、あの時点で松井が超高校級の選手であることは誰しもがわかっていたことですよ(笑)。
さすがに、ワールドシリーズでMVPになるとまでは予見しなかったでしょうが、それを持ってして5打席連続敬遠が「先見の明」だという意見は、実に片腹痛いです。
Commented by 鬼侍 at 2014-08-24 16:27 x

 人それぞれ意見はあると思いますが、馬淵監督の練習姿勢や学校での授業、生徒や部員との関わりまで否定してしまう言葉が多いのではないでしょうか。五連続で敬遠した監督、と言うレッテルを張られる覚悟で、敬遠を指示し、教え子を勝利に導こうとしたその覚悟が分かるのでしょうか。自ら足を運んでまで対策を練り、考えついた作戦を否定するのでしょうか。それが、結果的に世論の反感を買ってしまったと言え、自分の作戦や教え子を信じて五連続敬遠を敢行したことは、評価できる面もあるのではと思います。
 それまで五連続敬遠ということがなかったがために、物議が醸され、以後はそういったことは見られなくなりましたが、その世論や三回戦終了後の馬淵監督の涙などから、野球に関心のある全ての人々が、この問題について考えることができていると思います。また、試合後に涙を流し、選手にまで迷惑を掛けてしまったことを反省したり、一時は辞表を出すほどに悩みぬいたりと、馬淵監督のその後の行動から、当時の明徳の選手は色々と考えることができたと思います。
 自分が言うのもなんですが、一度は「甲子園が割れた日」ぐらい読んで、当事者となった人々の気持ちを考えてみては?
Commented by sakanoueno-kumo at 2014-08-24 18:56
< 鬼侍さん

貴方がおっしゃらっれたとおり、人それぞれ意見はあります。
わたしはわたしの考えを述べたまでです。
バッシングを受けることを覚悟の上であの作戦を強行したとおっしゃいますが、それは、こどもたちにも試合前に言ってたんでしょうかね?
明日の試合の作戦によって、君たちは世間から白眼視されます・・・その覚悟のうえで試合に臨んでください・・・そうすれば勝てます・・・と。
だったら、少しは評価します。

あと、五連続敬遠に対する考えは賛否両論ですが、では、本文中で私が述べた、遅延作戦や焦らし作戦などはどう思われますか?
あまりにも目に余るため主審からも注意を受けていたこの姑息な作戦も、貴方は肯定ですか?
だったら、私とはまったく考えかたが違う方だということでしょうから、意見を交わしても平行線でしょう。
わたしは、そういった姑息な作戦を子供たちに教える氏の野球を好きになれないと言っているまでです。
貴方のご意見を否定するところではありません。
Commented by 博一 at 2014-10-05 01:08 x
初めまして。
ほとんど同感です。
あの5打席連続敬遠は今では松井秀喜氏の打者としての偉大さを物語るエピソードとして有名で、その点のみ取りあげて見れば「松井さんやっぱり凄いな~」で終わる話なのですが、実際はどうでしょう。

彼は「間違っていなかった」と言ってますが、当の選手たちはどうだったんでしょうか。
あのとき、明徳の選手の中に、甲子園という大舞台で、星稜・松井選手との勝負を『敬遠』したいと思う選手が、はたして一人でもいたんでしょうか。
馬渕監督の判断が正しかったのかどうかは、そこで決まると思います。
Commented by sakanoueno-kumo at 2014-10-06 10:49
< 博一 さん

コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。
といっても、いつも選手と思いが通じる采配が正しいとはいえませんし、ときには選手の思いに反して非情な決断をしなければならないときもあると思います。
ただ、それでも、そのときは伝わらなくても、何年か経ってその意味が伝われば、それはそれでOKだと思うのですが、この「5打席連続敬遠」や、私が本文中で述べた遅延行為や焦らし作戦などが、果たして時が経って「良かった」と思えたかどうか・・・。
指揮官として、勝つための采配としては「間違っていなかった」のかもしれませんが、指導者として、教育者として子供たちに何を残せたか・・・という観点に立っても「間違っていなかった」といえるのかを聞いてみたいです。
Commented by ハイテンダー at 2015-07-10 20:39 x
確実に打つ人というある意味信頼にも近いバッターに対して打たれたら負ける場面で、正面からいくのは無策でしょう。
普通に投げたら負けるために放ったただの手加減。
それだけ相手を敬っていますし
また勝負事の厳しさを教えることも教育。
一人強者がいるだけでは物事はうまくいかない、野球は総合力ということも立派に教えております。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-07-10 21:52
< ハイテンダーさん

>打たれたら負ける場面で、正面からいくのは無策

おっしゃるとおりだと思います。
だから、このときの5打席のうち、1打席目、2打席目、5打席目の敬遠は、ありだと思います。
いずれもスコアリングポジションに走者がいて、しかも1塁ベースが空いていましたからね。
でも、3打席目の一死1塁、4打席目の二死無走者の場面でも、敬遠が得策でしょうか?
それはもはや野球ではないとわたしは思います。
たしかにルール違反ではありません。
あとは、それぞれの考え方でしょうね。

>一人強者がいるだけでは物事はうまくいかない、野球は総合力ということも立派に教えている

なるほど。
おっしゃることはわからないでもないです。
でも、そのためには、ルールに反していなければ、どんな手を使ってもいいという教え方は、わたしは好きになれません。
Commented by 馬淵は子供 at 2015-08-06 17:01 x
まぁ法を犯すより道理にかなってないわ。世間が見てない草野球の監督でもしてたら。芸能人が恋愛したりするのが問題になったりするが一般人なんか当たり前に近い事柄っしょ。しかし世間が注目するからいろいろ叩かれる。それこそ法を犯したわけでない。意味わかりますか?世の中共存なんですわ。法を犯さんだら何やってもええなら楽やろなぁ。それなら倫理、道徳とか必要ないね。倫理、道徳より勝負は勝てばって言うとる人間ね限って逆の立場になったら吠えるんだな、これが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-08-06 18:33
< 馬淵は子供さん

批判はかまいませんが、誹謗中傷はやめてください。
ここはわたしのブログであり、2ちゃんねるではありません。
Commented by 腹痛 at 2015-08-08 10:28 x
こんにちは。
読まさせてもらいました。
小生の意見は高校野球に教育の一環ってこと自体が難しいのではないかと思います。
いい選手は野球の強い高校に行くわけですし。それって高校からしたら甲子園に行くっていうだけで、宣伝になってますしね。それって本当に教育になってますかね?

すいません。教えてください。
<教育の一環である以上勝つためのプロセスが重要だと思います。
とのことですが、5連続敬遠はプロセス的によくなかったということなのでしょうか?

それとこのあと明徳がバッシングを受けてましたよね。メガホン投げつけの件もそうですし、世間のバッシングもひどいものがありましたよね。電話とかで脅迫とかもありましたよね。これは馬渕さんのせいなのでしょうか?
このとき小生は小学生で実際テレビでみてました。アナウンサーと解説者がいけませんね~といってましたが、こういうのも世論を動かしたりしてるように思えますがどうでしょうか?メガホンを投げつけた星陵の人の教育はどうなっているのでしょうか?これが教育の一環なのでしょうか?脅迫をした人やバッシングをした人には罪はないのでしょうか?小学生なりに世の中ってこわいなと思ったことを覚えてます。これも私の意見です。意見ですので見解が違ってもご了承ください。
以上です。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-08-09 13:08
< 腹痛さん

コメントありがとうございます。
ご質問にお答えします。

>甲子園に行くっていうだけ、宣伝になっている

それを言い出したら話がややこしくなります。
そういう大人の事情は別にして、ここでは、馬淵さんの指導方針についての教育論です。
学校経営の在り方とかは、また別の話です。

>5連続敬遠はプロセス的によくなかったということなのでしょうか?

わたしはそう思います。
連続敬遠だけで言えば、いろんな意見があろうかと思いますが、本文中でも述べたように、遅延行為や焦らし行為など、勝つための手段としてはあまりにも姑息すぎる。
ルールに反していなければ何をやってもいいというプロセスは、少なくとも部活動である高校野球には適切ではないとわたしは思います。

>世間のバッシングもひどいものがありましたよね。電話とかで脅迫とかもありましたよね。これは馬渕さんのせいなのでしょうか?

選手たちは、まったく予想もしていなかったでしょうが、馬淵さんは、そういうバッシングを受けるかもしれないことを予想できたはずです。
でも、選手たちまでもが白眼視されるのは、可愛そうな話です。
それを子供達にやらせた監督の責任は重いと思います。

>アナウンサーと解説者がいけませんね~といってましたが、こういうのも世論を動かしたりしてるように思えますがどうでしょうか?

それが多くの人の率直な見方で、特に助長したとは思いません。
だって、アナウンサーの声など聞こえていない観客席の人たちが、あれほどのブーイングだったわけですから、アナウンサーの言葉がなくとも、結果は同じだったでしょう。
それと、わたしの記憶では、解説者が「いけませんねぇ」といったのは、敬遠に対してではなく、メガホンを投げつけた観客に対してだったと思いますが?

>メガホンを投げつけた星陵の人の教育はどうなっているのでしょうか?これが教育の一環なのでしょうか?脅迫をした人やバッシングをした人には罪はないのでしょうか?

もちろん、最低な行為だと思います。
でも、それと馬淵野球の賛否は別問題ですよ。
馬淵さんのことを批判する前に、脅迫やバッシングをした人を批判しろ!・・・というご意見は、あまりにも論点が幼稚ではないでしょうか?
観客の話は別問題で、どっちのほうが悪いとか、そんな話ではありません。
Commented by 腹痛 at 2015-08-09 23:38 x
お願いします。
アナウンサーの件ですが、一度動画サイトで見てください。敬遠に対していっております。確認してください。
よく見てない証拠です。これはABC朝日放送が助長してますよ。

プロセスがどうかは意見の食い違いで分かれますので別にいどうでもいいですが、馬淵さんって預言者なんでしょうか?超能力者?バッシングを受けるってわかったんですかね?すごいですね?予想できたといいきれるのですか?

それとね、最後に幼稚とは失礼ですね?この文章は高校野球の教育についてを書いて、馬渕さんと同じくらいこういうこともありますから、高校野球と教育はどうなってますかと書いたんですよ。私の文章でメガホンの件と馬渕さんの件を比較してますか?たとえ比較したとしても私は馬淵さんの敬遠はメガホンとか脅迫と比べてどうなのと聞いてみたかっただけなのです。

はっきりいいまして、4連続敬遠なんて大事ではないですよ。じゃ負けた星陵の監督は何してたの?どんな采配したの?松井だのみ?それこそ教育の一環っていうのがおかしくないですか?
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-08-10 00:00
< 腹痛さん

>プロセスがどうかは意見の食い違いで分かれますので別にいどうでもいい
>はっきりいいまして、4連続敬遠なんて大事ではないですよ。

この稿の主題はそこです。
その主題を、「どうでもいい」「大事ではない」とおっしゃる貴殿とは、議論になりません。
この稿の要点は、馬淵氏のインタビュー記事に対して、その考え方が正しいと思うか、間違っていると思うかであって、アナウンサーのコメントがどうとか、メガホンを投げた観客がどうとか、星陵の応援団の教育がなってないとか、そんな話をしているのではありません。
まったく論点がずれています。
話になりません。
Commented by 高校野球好きの人 at 2015-08-10 02:35 x
馬渕監督を批判する人は例えば星稜が勝ってたとしたら、敬遠したのが星稜の松井以外の選手だったとしたら同じように批判したのでしょうか。
正直この議論自体、結果論だと思いますし、作戦の是非を問うならともかく人格批判にまで及んでませんか。
そこまでいったらただの誹謗中傷ですよ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-08-10 16:20
< 高校野球好きの人さん

コメントありがとうございます。
おっしゃるように、あの試合に星稜が負けたことで、松井選手が悲劇のヒーロー扱いとなり、より明徳がヒール扱いになったことは確かだと思います。
でも、観客席のブーイングが一気に激しくなったのは、まだ勝敗の行方がわからない7回表の二死無走者での敬遠の場面で、星稜が負けたから批判が出たわけではありません。
球場全体が怒号に包まれるという、高校野球史上類を見ない異様な雰囲気を作り出した前代未聞の采配だったわけで、たとえ星稜が勝っていたとしても、やはり批判は大きかったのではないでしょうか。
高野連会長も、試合後すぐに苦言を発していましたしね。
結果論だとは思いませんが。

それと、人格批判をしたつもりもありません。
ただ、指揮官としてではなく、教育者としての資質については批判しました。
あくまで、職務、職責に対する批判のつもりです。
Commented by 野球知らずの野球好き at 2015-08-14 00:41 x
子供ながらにあのときの反響はよく覚えています。
実際、ルールに反していないのであれば勝つための手段として問題がないといえばその通りだと思います。
人にはそれぞれ考えがありますからそこを否定するつもりはありません。
ただあのときの采配で何を子供に教えられるのでしょうか?
勝ったほうは官軍になりえたのでしょうか?
指導者、監督の指示に従うのが選手、子供たちです。ですが時として反論も出るでしょう。しかしあのときあの場所であの作戦を否定できるほど高校生は大人ではなかったと思っています。
今でもあのときの映像を観ると残念でたまりません。

「人を敬うからこそ敬遠」 全く意味がわかりません。少なくともあのときの誰を救ったのかは学のない自分には一生理解できないことでしょう。


Commented by sakanoueno-kumo at 2015-08-17 20:10
< 野球知らずの野球好きさん

コメントありがとうございます。
全くもって、おっしゃるとおりだと思います。
もちろん、勝負ごとである以上、勝利を目標にしなければ意味がありませんが、そのために、ルールに反していなければ、どんな手段を使ってもかまわないというやり方は、少なくとも学校教育の場では間違っているとわたしは思います。

>「人を敬うからこそ敬遠」

残念ながら、正当化するための屁理屈にしか聞こえませんね。
Commented by 腹痛 at 2015-08-21 12:14 x
>球場全体が怒号に包まれるという、高校野球史上類を見ない異様な雰囲気を作り出した前代未聞の采配だったわけで、たとえ星稜が勝っていたとしても、やはり批判は大きかったのではないでしょうか。

話がおかしいじゃないですか?
私には>この稿の要点は、馬淵氏のインタビュー記事に対して、その考え方が正しいと思うか、間違っていると思うかであって、アナウンサーのコメントがどうとか、メガホンを投げた観客がどうとか、星陵の応援団の教育がなってないとか、そんな話をしているのではありません。って言ってるくせに、異様な雰囲気を作ったってどういうことですか?敬遠と関係ないんでしょ?外野が言ってることは関係ないんでしょ?敬遠で脅迫があろうが、高校野球で物を投げ込んでも関係ないんでしょ?言ってることおかしくない?敬遠で馬渕さんのこと言うんなら雰囲気とか言うな。口にだすな。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-08-21 12:34
< 腹痛さん

わたしのコメントは、上の「高校野球好きの人」さんのご意見に対してお答えしたものです。
あなたは本当に理解力がないですね。
文章のつながりをみればわかるでしょう?
まあ、何を言っても伝わらないでしょうから、このぐらいでやめます。
わたしへのご批判はご自由にどうぞ。
ただ、批判を超えて誹謗中傷と判断した場合は、即刻削除させていただきますので、あしからずご了承ください。


Commented by takes at 2015-08-24 21:51 x
突然申し訳ありません。最近この敬遠問題について関心をもったところ、監督の発言が載っているこのサイトを見つけました。私はsakanoueno-kumoさんの意見に賛同します。
馬淵監督が教育者として犯した最大のミスは選手たち(星稜の選手も含む)の気持ちを汲み取ることができなかったことではないかと思います。
松井選手の気持ちは言うまでもないと思います。そこまでの野球人生をかけてきた甲子園という舞台で、その努力の成果を発揮する機会さえ与えられなかったのですから。松井選手自身は文句は言っていませんが、それは彼の人徳の素晴らしさを示すだけであって、だからいいということにはならないでしょう。
他方、明徳の選手ですが、私自身ずっと投手をしていますが、あの場面、自分も甲子園に出れるほど努力してきた人間で、目の前には世代最強のバッターがいる。おそらくこの対決が最初で最後になるかもしれない。仮に打ち取れば一生の宝に、打たれてもそれはそれで素晴らしい経験になるでしょう(私なら「俺はあの松井と勝負したんだぞ」と自慢するかもしれません笑)。このような状況で勝負したくない選手なんているはずがないと思いますし、そう信じています。
そのような気持ちも考えず、ましてや明徳の選手の将来を潰してしまいかねないような(実際に潰された選手もいますね)判断をした馬淵監督の考えが正しいとはどうしても思えません。馬淵監督がこのことをわかっていたという点について、揚げ足を撮ろうとしている方もいるようですが、教育者である以上、絶対にこの程度のことは予想できてしかるべきです。むしろそれができないなら、それこそ教育者としての能力不足を表すと思います。

上の腹痛という方は「星稜が勝っていればここまで問題にならなかったのでは」という質問に対して、「試合が決着がついていない段階であれだけの反応があったからそんなことはないだろう」という極自然な解答の論理さえ理解できないような方のようですから相手にされる必要はないかと笑。

長文申し訳ありませんでした。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-08-25 00:09
< takesさん

コメントありがとうございます。
また、賛同していただいて恐縮です
この稿は4年も前に起稿したものですが、いまだにこうしてコメントいただくほど反響があり、少々驚いています。
5打席連続敬遠でいえば、20年以上前の出来事なわけで、でも、いまだにこうして検索して本稿に意見する方が多いということを思えば、やはり、賛否両論含めて、いまだに色褪せない、史上類を見ない采配だったということだと思います。
つまり、どうあれ普通じゃなかったってことですよね。
で、わたしは、その普通じゃない采配をしてまで勝利至上主義を指導する馬渕氏のやり方が、教育者としてありか?なしか?・・・と、問題提起しているだけなんですけどね。
ところが、よくわからないトンチンカンな論点で責めてくる方がおられるので、困ったものです。

>仮に打ち取れば一生の宝に、打たれてもそれはそれで素晴らしい経験になるでしょう

わたしもそう思います。
ですが、そんなこと言ってて負けたら何にもならんじゃないか!・・・勝利こそが一生の宝であり、素晴らしい経験になるんだ!・・・と、馬淵氏のやり方を肯定する方々は言うわけです。
でも、それこそ結果論で、あの試合に明徳は勝ったからまだいいもので、もし、あれだけの手段を講じてなお負けていたら、それこそ何も残らない、「俺たちは甲子園に何をしにいったんだ?」といった感情になったんじゃないでしょうか?
勝てばいいという考え方は、あまりにも短絡すぎだとわたしは思います。
Commented by 腹痛 at 2015-09-14 12:27 x
いいですね。私の文章のつながりは否定して、自分の文章のつながりはこうていですか?いいですね自分勝手で。理解力はあなたが私の文章は理解せずに全否定ですから、あなたの理解力のなさはわかりました。これを誹謗中傷は判断するかはあなたの理解力に任せます。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-09-14 18:08
< 腹痛さん

そうですね。
わたしに理解力がないので、あなたのハイレベルなお話はまったく理解できません。
あしからず。
Commented by えるくん at 2015-11-01 16:29 x
初めまして。何年も前の記事について失礼させていただきます。
①結果論であって、批判するような事例ではないと思います。批判したいなら代替案を提示していただきたかったです。これでは、単に非難になります。ヒューマニズムは素敵だから否定するつもりはありませんが、ヒューマニズム語っても勝負に勝てるとは思えません。
②要は、当時の4番打者松井選手のホームランが見えなかったことに対して、高校野球に高校生らしさを求めた世間は、明徳義塾と5番打者月岩選手に対して誹謗中傷を繰り返す本末転倒な行為をされています。犯罪行為に対しての時効は理解します。選手の遅延行為や試合中断行為があったから気に食わないと言うのは、それこそ幼稚な意見です。実際、暴力的な行為やブラッシュボール、バッテリーのサインを盗み共有していないので可愛い行為だと思います。沖縄は戦争で、被害を受けたから裏金問題にも目を瞑って、指笛を吹いても良いですよって事なのかな。
③私は高知県民ですが、当時の立場が逆転した場合、石川県民のような教育論を語る理性を失った野放図な輩になっていた可能性を否定しません。神学や宗教を勉強していない上に牧師ではない為、理性に対して攻撃出来ます。
④それから、敬遠という言葉に敬うと云う国語的な意味があると言ったのはインタビューだから洒落のような気が…。本来的な意味は故意四球であって、論点ズレてるよーな。
⑤最後にテーマに関係ありませんが、馬淵さんほど生徒思いの教育者は数多いらっしゃらないと思います。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-11-02 11:28
< えるくんさん

お答えします。
① 批判したいなら代替案を提示していただきたかった

>政治家のようなことを言わないでください。
高校野球に5打席連続敬遠が「あり」か「なし」かという話で、私は「なし」だと思うだけで、代替え案などありません。
好き嫌いの意見に代替え案など必要ありません。

② 明徳義塾と5番打者月岩選手に対して誹謗中傷を繰り返す本末転倒な行為

>わたしはそんなこと一言も言ってませんよ。
よく読んでください。

③ 遅延行為や試合中断行為があったから気に食わないと言うのは、それこそ幼稚な意見

>そうでしょうか?
主審から注意を受けるような行為を批判することが幼稚でしょうか?
だったら、わたしと貴方はまったく意見が違いますので、議論の余地はありませんね。

④ 敬遠という言葉に敬うと云う国語的な意味があると言ったのはインタビューだから洒落のような気が…

>それもとり方でしょう。
わたしには、屁理屈をつけて無理に美化しようとしているように聞こえました。
これは、わたし個人の印象です。

⑤ 馬淵さんほど生徒思いの教育者は数多いらっしゃらないと思います。

>それは、わたしにはわかりません。
わたしは、単に氏の采配からみえる野球観から私見を言ったまでです。

以上です。
わたしはわたしの考えを述べたまでで、貴方の考えを否定するつもりはありません。
Commented by えるくん at 2015-11-02 22:50 x
こんばんは。お忙しいときにご回答ありがとうございます。
①は、結果論と言いたかっただけなのですけどね、はい。いえ、構いませんが…
②はテーマに相応しくなくて申し訳ありません。ただ、5番打者を研究した結果勝った訳だからそういうプロセスを経た①への帰結です。世間はあまりにも5番打者を過小評価し過ぎです。筆者は敬遠に固執し過ぎです。
更に、甲子園に出場すること、連勝することは意味のある行為です。指名されれば契約金とれる訳ですので、勝ち上がることで契約金を高額に出来ます。これ、重要です。
但し、明徳義塾からプロで大成している選手はいらっしゃらないので必要ないと言われれば、それまでですけれどね。堪忍。
③危険行為や、悪魔のような狡猾な作戦を取っている訳ではありません。故意か過失かを判断する天使のような公平性、心の余裕さえ筆者は持ち合わせていないという事ですね。【審判にしか必要ありませんでしたね。】
④⑤はなるほど、です。納得しました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-11-02 23:26
< えるくんさん

>筆者は敬遠に固執し過ぎです。

何度も言いますが、5打席連続敬遠が「あり」か「なし」かの話です。
敬遠に固執するのは当然でしょう?
その賛否はどうあれ、前代未聞の作戦だったことは間違いないわけですから。

>悪魔のような狡猾な作戦を取っている訳ではありません。

極悪非道な行為ではありませんが、「姑息」です。
そんな「姑息」な手段を子どもたちに教えることにわたしは嫌悪感を感じます。
これがプロ野球なら批判はしません。

以上です。
Commented by 銀将 at 2016-01-11 04:52 x
私は敬遠がなぜ問題になるのか理解できないです。勝負において相手の力をルール内で充分に発揮させないというのは勝つための定石であると思います。
問題は勝負というものを分かっていない観客サイドにあるのではないでしょうか?私が高校の時打ちこんでいた将棋では相手の力を発揮させないのは常識でしたし、団体戦でも最も弱いメンバー(だいたい私)が捨て駒になっていました。そしてこれらが上手い選手、チームは観客に称賛されました。もし野球がそうでないとしたら、それは競技とはいえないのではないでしょうか?
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-01-12 17:52
> 銀将さん

定石という観点で語るならば、1、2、5打席目の敬遠はありですが、3打席目の一死1塁、4打席目の二死無走者の場面での敬遠は、野球の定石から外れています。
もちろん、将棋も定石崩しがあるでしょうから、野球でも、すべて定石通りが正しい攻め方というわけではありませんが。
あとは、個々の考え方でしょう。

「捨て駒」という作戦は、野球で言えば犠打がそれにあたります。
敬遠を捨て駒に例えるのは、少し違うんじゃないかと・・・。

勝負事の上において、相手の力を発揮させないという作戦は間違いではないと思います。
ただ、一方で、スポーツの世界では、姑息な作戦を良しとしないのも事実です。
柔道などの武道では、ポイントをとったあと逃げてばかりで攻めないと、教育的指導を受けますよね。
礼に始まって礼に終わる高校野球は、ある種、武道に近いところがあると思います。
それがナンセンスだと言われるのなら、そもそもの考えが違うので、たぶん相容れることはないと思います。
Commented by 松井ファン at 2016-02-21 22:26 x
ファンからすれば松井のHRが見れなかったから怒ったんじゃなくて勝負しなかったから怒ったんです。トッププロとアマが勝負しても打率なら6割程度、HR率なら1割あるかないか。
松井がワールドシリーズで活躍したことを引き合いに出してる方もいますが、松井が高卒で即巨人の4番でしたか?そもそも1回戦で松井はHR打ちましたか?
当時の松井のスイングスピードはトッププロと同等以上だったかもしれませんが、それ以外はまだまだ高校生。エースが投げれないとはいえ抑える確率も高かったはず。それを絶対にHRを打たれると決めつけて試合に臨んだ馬淵監督の心の弱さと選手を信用していない所に腹が立ちます。
筆者が言うような姑息な手段も含めて、自分が3年間教えてきた選手たちを信用せずして何が教育者ですか!?明徳の選手たちは馬淵監督の事を恨んでいないらしいですが、選手を信用しない監督が選手に支持されてるってどういうことなんですかね?馬淵監督は子供たちを教育しているというより洗脳してるんじゃないかと思っちゃいます。

とはいえ、高校野球のあり方についての考えは人それぞれですし、勝利至上主義を植え付けることが将来に繋がると考える指導者もたくさんいますからこれが馬淵さん流の教育方針なんでしょうね。
万人受けするやり方ではないでしょうが、ここの書き込みを見てると馬淵流に賛同する方もいますから馬淵監督が考えを改めることはないでしょう。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-02-23 00:56
> 松井ファンさん

コメントありがとうございます。
この稿を起稿したのは5年も前なのですが、未だにこうしてコメントいただくことに驚いています。
それだけ世間の関心が高かった事例だということでしょうね。
馬淵氏の策を肯定するか否定するかの違いは、高校野球を勝負事とみるか教育の一環としてみるかによるのだろうと思います。
あくまで勝負事と見る方は、ルールに反していないのだから何が悪いんだ!と主張されます。
わたしは、高校野球は教育の一環として、マキャベリズムであってはならないと思っています。
そもそもの捉え方が違うので、お互い理解し合うことは難しいんだろうと思います。
Commented by 甲子園の土 at 2016-02-23 07:28 x
コメント失礼いたします

大変興味深く読ませていただきました
この大会の2年後に甲子園の土を踏んだ者です

筆者さまの仰られることや世論の大多数の批判もよく分かります

わたしのあくまで感想としましては、連続敬遠はアリだったと思います

馬淵監督は野球に対する情熱、甲子園で勝たせる為のチーム作り、球児への厳しい接し方全て「名将」に相応しい方であったと記憶しております
明徳義塾と練習試合もしましたが、選手のプレイはもちろん、挨拶や道具の扱い方、野球に対する心構えが既に超高校級でした

ここまでやるからあの常勝チームなんだな、ここまでやらないとあのチームは出来上がらないのだなと当時感じたものです

甲子園常連校は情報収集や心理戦も生半可ではありません
地方大会ではあえてクセを晒し、甲子園では逆手にとるなどそれらはすべて「勝つ」ための手段です

憶測で恐縮ですが、おそらくあの当時のメンバーで馬淵監督を批判する選手はいないと思います

高校生で「勝つ」ためになりふり構わず、あそこまでしても勝とうとする姿勢を体現できたことは、世間の厳しい声も含め、教育上良い面も少なからずあったかと思います

プロ野球選手で活躍を目標とする球児たちが、プロに入る前に大人の事情もふまえた勝負に徹する姿勢を学べたことは幸せだったと私は思いたいですね

わたしの母校も、明徳義塾をはじめ当時の常勝チームはまだまだ軍隊式の厳しい指導が多かったと思います
今の球児にはそれこそ敬遠されがちかもしれませんね

私見を長々と失礼いたしました
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-02-25 04:09
> 甲子園の土さん

貴重なご意見ありがとうございます。
わたしは、甲子園の土を踏んだこともなければ、それ相応の高いレベルでの野球も知りませんから、甲子園に出られた方のご意見は重く受け止めさせていただきます。
アリだと言われる方を否定するつもりはありません。
ただ、わたしは、どうしても勝つために手段を選ばないというやり方は好きにはなれません。
百歩譲って5打席連続敬遠は認めたとしても、故意に焦らしたり、遅延行為をしたりといった主審に注意されるような策は、やり過ぎだと思います。
これは、あくまでわたしの考えです。
Commented by セイバーもスモールも大事 at 2016-03-21 14:09 x
はじめまして。
私なりの意見を述べさせていただきます。

高校野球も教育の一環と理解しながらも、何年も選手達の練習を間近でみている監督としては、何としても勝たせてあげたいと思い、「勝たせる」事が何年もの辛い練習の報いになると思ってしまうものと推測できます。

ここまではほとんどの人が共通認識として持っているとは思うのですが、ランナーなしの場面も含めての連続敬遠が、「勝たせる」為とはいえアリかナシかで意見が割れています。


敬遠には出塁させるというリスクも伴うわけで、私は連続敬遠そのものは高校野球でも作戦として「アリ」だと思っています。
「怪我で退場させる目的でわざと死球をぶつける」などのレベルでしたら論外ですが。。。


ただ、全盛期のバリーボンズでも本塁打率は.150程度です。
ピッチャーのレベルや金属バットを考慮しても、当時の松井選手の本塁打率は.100以下なのは間違いないでしょう。
5連続敬遠したことによって、世間の大バッシングを受けて、次戦でも選手達が萎縮してしまった事を考えれば、本塁打を打たれる僅かな確率と天秤に掛けたときに、走者なしの場面は勝負すべきであったと思っています。

全打席敬遠と、走者がいる場面だけの敬遠では、世論の印象が全く異なることは言うまでもありません。
全打席敬遠を実行した際の世間の反応を予測する力や、それが選手たちに及ぼす影響を見通す眼力、ホームランを打たれる確率と様々な事象を天秤にかけるバランス感覚などが、当時の馬淵さんには欠けていたのだと思っています。

仮に松井選手への敬遠自体は間違っていなくとも、少なからずそれの影響もあり結果的に次戦敗退している訳ですし。

私は敬遠は「アリ」ですが、起こるであろう世間の反応が選手へ及ぼす影響など、様々な事をトータルで判断出来ていれば、結果的に明徳の選手ももっと勝ち進んでいた可能性もありますし、「教育の一環」としても相応しかったのではないかと思っています。

結果的に、教育者として選手を批判の目に晒し、指揮官としてそこを予測・判断できずに次戦敗退にしてしまっています。
教育者と指揮官、どちらに重きを置くかは学校側の方針などもあるでしょうが、どちらの立場としてもあまり良くない結果を招いた采配をした事をもう少し自覚して欲しいとは思います。

長文失礼いたしました。
Commented by セイバーもスモールも大事 at 2016-03-21 14:12 x

書き忘れてしまったので、追記失礼します。

「ルールを犯したわけではない」という馬淵さんの言葉は「ルールに反していなければ何をしても良い」とは少し違うので、主さんの書き方ですと馬淵さん批判のフィルターを掛けてしまう恐れがあるので、そこは提言させていただきます。
Commented by 田吾作 at 2016-03-21 19:10 x
本日センバツ甲子園で明徳の試合があり(珍しく一回戦で敗退、しかも大敗)、その関係で検索をしていて貴ブログに辿り着きました。

大変興味深く読ませていただきました。私はブログ主さんの見解に全面的に賛成です。なにより分かりやすく、明確かつ明快で論点がまったくブレておらず、良識にあふれていると思います。

馬淵監督はなぜ今でもあの5打席連続敬遠を「間違った作戦だと思っていない」と言い張るのでしょうか。恐らくはそれを認めないことで自分自身を支えているということなのでしょう。そこを認めてしまったら、たぶん自分自身を保つことができなくなるということなんだと思います。

つまり、あの馬淵監督という人は強い人ではないということです。自分の間違いを認めるということは精神力のいることで、弱い人間にはできないことです。

今でも監督を続けており、監督として教育者としてかなりいい評判を目にします。それはたぶん自分で作ってしまった「5打席連続敬遠」という亡霊をかき消したいという一心で頑張っているということのように思えます。

半端ないほどの負けず嫌いなのでしょう。それは野球部の監督としては結構なことですが、弱い人間ほど負けを受け入れることができません。弱い心がかなりの確率で訪れそうな「負け」の予想に耐えられなくなり、盲目になり、後先のことも考えられなくなってあんな手段を選ばせた…。あの「5打席連続敬遠」はそうして生まれたのだと思いますし、根本的にその、他を顧みないほどの異常な負けず嫌いが解決されていないからこそ、ご指摘の遅延行為や「連続敬遠の第二弾」が生じてきているのだと思います。

こんな自分勝手な心理話はご興味なかったと思いますが、どうか長文・拙文ご容赦下さい。

ありがとうございました。またいろいろ読まさせていただきます。それでは失礼します。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-03-22 19:52
> セイバーもスモールも大事さん

コメントありがとうございます。

< 本塁打を打たれる僅かな確率と天秤に掛けたときに
< ホームランを打たれる確率と様々な事象を天秤にかけるバランス感覚などが、当時の馬淵さんには欠けていた

おっしゃりたいことはわからなくはないですが、わたしは、本塁打率とか世論とかの話ではなく、単純に、5打席連続敬遠という作戦そのものを快く思っていません。
5打席連続敬遠をしなくても星稜は負けていたかもしれませんし、大バッシングがなくとも次の試合で明徳は負けていたかもしれないので、すべては結果論になっちゃいますからね。
ただ単に、勝つための手段として全打席敬遠という作戦を打ち出し、それを子どもたちに実行させたことに嫌悪感を覚えます。
これはあくまで、わたし個人の意見です。

< 教育者と指揮官、どちらに重きを置くかは学校側の方針

いや、それは教育者でなければならないでしょう。
なぜなら、高校野球は部活動以外のなにものでもないからです。

< 「ルールを犯したわけではない」という馬淵さんの言葉は「ルールに反していなければ何をしても良い」とは少し違う

そうでしょうか?
では、この言葉はどう解釈すればいいのですか?
「ルールを犯したわけではない」という言葉の次に続くのは、「だから責められる言われはない」ということであり、つまりは、「ルールさえ犯さなければいい」ということなんじゃないでしょうか?
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-03-22 20:07
> 田吾作さん

コメントありがとうございます。
弱い人間とか負けず嫌いとかは、馬淵氏の人間性に関わる話になりますので控えさせてもらいます。
そもそも、人間性まで批評できるほど、わたしは馬淵氏を知りません。

わたしが思うに、あの作戦を間違いだったということは、あのとき馬淵氏の采配を信じて戦った球児たちに失礼であり、あえてご本人が言う必要はないと思います。
かといって、このような雑誌の取材に応じて、「間違ってなかった」などと語る必要もありません。
いちばんいいのは、何も語らないことだったと思います。

この稿を書いたのは5年前の夏ですが、このとき、『週刊ポスト』のようなゴシップ誌に、語らなくてもいいような言い訳がましい記事が掲載されて物議を醸していました。
それを読んで嫌悪感を覚え、この稿を起稿しました。
それが、5年経ったいまでも、こうしてコメントをいただいてることに、改めてこの出来事の世間の関心の高さを知りました。
Commented by セイバーもスモールも大事 at 2016-03-29 12:55 x
コメントのお返事ありがとうございます。


<<教育者と指揮官、どちらに重きを置くかは学校側の方針
<<いや、それは教育者でなければならないでしょう。
なぜなら、高校野球は部活動以外のなにものでもないからです。


高校は義務教育ではありません。
人間教育に力を入れるのか勝負に徹するのかプロ入り出来るような育成をするのか学校側が方針を打ち出し、保護者や生徒がそれを踏まえて学校を選ぶ訳です。
「高校野球」や「部活動」は人間教育の場である、というのは正論ですが飽くまで主さんの願望であり主観だと思います。
極論すれば、「ウチの学校はどんな卑怯な手を使ってでも甲子園で優勝を目指します」という学校があって、選手や保護者がそれを踏まえた上で「それでも甲子園に行きたい」となって入部となれば、その方針に誰も文句をいう筋合いはない訳です。
私自身も、部活動は人間教育の場であって欲しいと思っていますが、飽くまでそれは私の意見なので、学校毎やチーム毎の方針は尊重すべきだとも思っています。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-03-29 14:21
> セイバーもスモールも大事さん

なるほど。
たしかに、私立高校は教育委員会の管理下に置かれていませんからね。
その意味では、学校ごとの方針があってもいいかもしれません。

ただ、一方で、公立高校も私立高校も、高野連の管理下にあります。
その高野連の基本理念として、「教育の一環としての学生野球」をうたっており、野球を通じての人間形成を提唱しています。
だからこそ、教育上あるまじき行動が見られた場合、厳重注意や勧告、ひどい場合には対外試合禁止などの処分があるわけです(その賛否は別として)。
実際、本文でも述べたとおり、この年の大会では遅延行為や焦らし作戦が目立ったため、主審から注意を受けてましたからね。
やはり、義務教育ではなくとも、守らなければならない一線があるとわたしは思います。

貴殿のご意見は、むしろ大学野球なみの理屈だと思います。
大学リーグでは、プロさながらの反則スレスレの行為がありますし、部員が不祥事を起こしたからといって、チームとしての責任を問われることはありません。
すでに18歳以上の大人として、責任は個々にあるということなんでしょうね。
学校での人間教育は高校まで、ということなんでしょう。

貴重なコメントありがとうございました。
Commented by にわか at 2016-11-02 23:27 x
教育の一環とおっしゃいますが、明文化されたルールの中で敬遠が否定されていないのに敬遠が姑息であると言うなら、野球自体が教育に相応しくないスポーツということになってしまうのではないですか?
ルールを守っている以上、姑息ではありません。倫理にも反していない。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-11-03 00:24
> にわかさん

であれば、なぜ、あれほどまでに世論はバッシングしたのですか?
高野連会長までもが苦言を呈したのはなぜですか?
ルールに反していなければ何の問題もないのであれば、あんな大きな騒ぎにはならなかったのでは?
Commented by にわか at 2016-11-04 17:43 x
物議をかもしたかもしれませんが、今になっても結論は出てませんよね。高野連の会長に対する批判だってありました。
だから、誰も悪くないし、倫理的に間違ってる人なんていませんよ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-11-07 23:09
> にわかさん

正直、この稿に関しては、さんざん議論してウンザリしています。
わたしの意見は上のコメント欄ですべて吐き尽くしていますので、そちらを一読ください。
Commented by a at 2018-11-16 07:57 x
敬遠肯定派の代表的意見である「ルールを犯したわけではない」は厳密には間違っています。野球規則1.03には、こう記されています。
 <守備側は、相手のバッターがランナーとなることを防ぎ、ランナーとなった場合は、その進塁を最小限にとどめるように努める。>
当たり前のことですが、敬遠はランナーを出します。戦術上仕方ない場合もありますが、第4打席ではランナーなしの状態で敬遠。無条件にランナーを出しています。それを含めて5回も敬遠でランナーを出しています。ランナーを出さないようにするには三振か打たせてとるか、いずれにせよ勝負しなければなりません。よって規則違反です。
審判も最低限、明徳側に注意することくらいはしなければなりませんでしたが、特になにもしていません。
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-11-16 17:45
> aさん

コメントありがとうございます。
う~ん・・・でも、それは規則違反というよりセオリー違反ではないでしょうか?
私はその野球規則の記載文を知らないのでよくわかりませんが、「とどめるように努める」とあるだけで、「とどめなければならない」ではないわけですし、実際、それをやったからといって味方が損するだけで、罰則はありません。
ランナーなしの状態で敬遠は、通常のセオリーではありえない作戦で、普通に考えれば、いたずらにピンチを招くだけの愚行ですが、馬渕さんの考えでは、松井と勝負するより、セオリーを無視してでもランナーを背負うほうがリスクが少ないと判断したのでしょう。
それに対して、審判が注意するというのは、ちょっと難しいでしょうね。
せいぜい、高野連が苦言を呈するぐらいが精一杯かと。
Commented by 一言 at 2018-11-17 14:14 x
いや~。皆さん熱く議論しておられますね。

松井の5打席敬遠については(私はほとんど高校野球を見ないので)知っていましたが、『敬遠された松井秀喜』『敬遠をさせた馬淵監督』というのは頭にあっても、『敬遠をしなくてはならなかった投手の河野和洋』のことは頭になかったです。

松井がその後偉大な選手になったので、『松井の心理』は話題になるが、敬遠された選手がいるなら、敬遠した投手がいるのに、その『存在』というのは思い当たらなかったです。確かに投手からすると、この後大変だったろうな、と思います。

それと >人を敬うからこそ敬遠 と言う言葉も、私は「あーなるほどなー」と聞き流していましたが、確かに意味はブログ主さんの言う通りですね。

良い記事ありがとうございました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-11-19 02:01
> 一言さん

この話題の関心の高さに驚いています。
それだけ普通ではない出来事だったということでしょう。

結局、議論を要約すると、スポーツの勝ち負けに関する考え方の違いだと思います。
勝つことに意義があるという人と勝つためのプロセスに意義があるという人の議論ですから、どこまでいっても結論はでないでしょう。
で、わたしは、ただ勝てばいいいという考えには賛同できないという考えを発言したまでです。
プロ野球じゃないですからね。
高校生ですから。
でも、そこに賛否両論があるのは、当然のことだと思います。
Commented by 甲子園経験者 at 2019-03-06 12:44 x
>なぜ、あれほどまでに世論はバッシングしたのですか?

馬鹿が騒いだだけ。
ハロウィーンでばか騒ぎしていろいろやらかすクズといっしょ。

>高野連会長までもが苦言を呈したのはなぜですか?

馬鹿げた世論に迎合しただけ。

あと、ファンが怒ったとか言ってる奴もいるようだけど、たかが部活の大会なんだから、観客のために試合してるわけじゃねえ。
客は選手に迷惑かけるな!
Commented by sakanoueno-kumo at 2019-03-06 15:35
> 甲子園経験者さん

あなたのご意見のなかで、ひとつだけ正論があります。
高校球児は観客のために試合をしているわけじゃないということ。
これはもっともなことで、彼らは自分たちのためにプレーすればいいと思います。
だから、メガホンを投げ込んだりして進行の妨害するなどは、決してやってはいけないことだったでしょう。

ただ、それ以外のあなたのご意見は、実に的はずれです。
ハロウィーンではしゃぐ若者たちと同じだという意見も、甚だトンチンカンな例えです。
馬渕さんの采配に対する賛否はそれぞれあって然りだと思いますが、あなたのご意見は、まったく論点のずれた単なる批難ですよ。
なにより、「馬鹿」だの「クズ」だのといった誹謗中傷をこのような場所に吐き捨てる稚拙さが、あなたの程度の低さを物語っている。
甲子園経験者ということですが、学校名は明かさないほうがいいですよ。
その学校の卒業生が皆、あなたのようなレベルの低い人間だと思われてしまいますから。
Commented by 野球 at 2020-04-22 17:40 x
監督の差が出た試合だよね。
星稜の出塁数と残塁数見りゃわかるよ。
2点しか取れないのは監督の戦略ミス。
それに敬遠って無料で1塁にいけるわけで。
チームの主力が5打席5出塁してロースコアで負けるって明らかに采配ミスでしょ
この年の星稜は名前先行の優勝候補で優勝できる地力はなかったと思う。
それに山下監督がやや天狗になっているとしか思えないコメントを連発していたのも気になっていた。
要するに油断していた監督が足元すくわれたんじゃないかな?
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-04-22 23:00
> 野球さん

コメントありがとうございます。
でも、それは結果論だと思います。
もし5番打者の選手が打っていたら、結果は大きく変わっていたでしょうが、残念ながらこの日は5番の子が不発に終わってしまいました。
結果は紙一重ですから。
それと、本稿は五打席連続敬遠が有りか無しかの問題提起が主題で、勝敗はまた別の話です。
本稿の主題とは無関係のご意見かと。
Commented by S Yam at 2020-05-21 00:48 x
中学野球で挫折した60歳のサラリーマンです。
今年の夏の甲子園が中止となりました。
本当に残念で、選手の気持ちを考えると、言葉が見つかりません。何を言っても受け入れられないと思います。
そんな中で、馬淵さんが選手に話してる内容が目に止まりました。至極、真っ当です。この言葉が本当ならば⁈ 私はこの方からの言葉を真っ当とは思いましたが、心に響きません。勝ちが全てとか、ルールに違反が無ければ良しなど、正当化した作戦に腹が立って仕方ありません。日本人の道徳感やモラルが法律の隙間を埋め、社会を形成している現代に於いて、この方に子供を預けたいと絶対に思いません!このような指導者が野球ファンを減らすことに繋がると思っています。ラグビーの精神(にわか知識)に心が傾きます。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-05-21 09:55
> S Yamさん

今年の高校球児は本当に可愛そうですね。
野球だけでなく、インターハイもすべて中止ですから、今年の3年生は本当に気の毒としか言いようがありません。
緊急事態宣言もほぼ解かれ、季節的にもウイルスが沈静化する夏に向かっているのに、3ヶ月先のことをこんなに早く決めなきゃならなかったのでしょうか?
もとより重症化しない十代の子たちのイベントまで取り上げる必要はなかったんじゃないかとわたしは思います。
昨今の自粛警察とか言われる見当違いな輩も含めて、日本中が神経質になりすぎててどうにもならないですね。
昨日、松坂大輔さんが、「出来ない」ことを決めるだけではなく、「出来ることは何か…」を考えてほしいとコメントしていましたが、まさしく、従来の形ではなくとも、何か、最後の舞台をつくってあげてほしいです。

馬渕さんの件に関しては、このコメント欄で散々述べてまいりましたので、繰り返しの弁は控えます。
Commented by 元高校球児として at 2020-06-05 14:08 x
もし高校野球が教育の一環であって勝敗や成績は二の次だとするならトーナメント制の大会も全国大会も必要ありません
ご近所同士でリーグ戦なり定期戦でもやっていればいいんですよ
彼らは高校野球の頂点に立つために、楽しくもないむしろ苦しいばかりの練習をこなしているのです
それを勝敗や成績が全てではないと言ってしまったら、彼らは一体何のためにやってるのでしょうか?
礼儀を身につけるため?精神力を鍛えるため?社会性を身につけるため?野球は競技であって倫理観や人間力を高めるためのツールではありません。そんなものは親が教えればいいんです。

>河野和洋投手は、「松井を5打席連続で敬遠した投手」というレッテルがいつまでもついてまわり、その後の野球生活では辛い思いをしたと聞きます。

そもそも敬遠=卑怯という歪んだ倫理観がそうさせたんでしょう。それは敬遠が彼をそのようにしたわけではなく、社会が彼をそのようなつらい思いをさせたのです。
自らの歪んだ高校野球に対する幻想を高校生に押し付け、責任は選手たちに着せている社会が悪いのです。
高校野球を選手としてやっていた立場から言わせれば、「何でお前らのために試合を棒に振る真似をしなきゃいけないんだ?」と感じます。
高校野球はショービジネスじゃありません。観客のマスターベーションのためにやっているわけではありません。彼らは長い人生の中でたった1度しか訪れない3年間を野球に捧げているんです。だから彼らは自分自身のために試合をしているのです。自分が気持ち良くなれなかったからといって批判する権利も誹謗中傷する権利などないのです。敬遠=卑怯(非倫理的)だと揶揄するのは、あまりにも合理性にも蓋然性にも欠け、競技というものの本質を理解していない馬鹿げた事なんです。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-06-05 14:20
> 元高校球児としてさん

5打席連続敬遠の是非に関しては、上のコメントでさんざん言い尽くしていますので、堂々巡りの議論をうんざりしています。
上のコメントをお読みください。

じゃあ、本文中で述べた遅延行為や故意落球などによる試合進行妨害も、勝つためなら有りとお考えですか?
だとすれば、基本的な考え方がわたしと全然違いますので、理解し合えないと思います。
Commented by 磯野山平 at 2020-08-18 10:43 x
「勝負したことで試合に負けたとしても、そこから学び得ることはたくさんあったと思います。」やはり勝負すべきではなかった、格上の相手に真正面から挑むのは愚かだったと学ぶでしょうね。
Commented by 磯野山平 at 2020-08-18 10:55 x
「あのとき敬遠した明徳の河野和洋投手は、「松井を5打席連続で敬遠した投手」というレッテルがいつまでもついてまわり、その後の野球生活では辛い思いをしたと聞きます。」 これは結果論である。 
Commented by 磯野山平 at 2020-08-18 11:35 x
「でも、3打席目の一死1塁、4打席目の二死無走者の場面でも、敬遠が得策でしょうか?
それはもはや野球ではないとわたしは思います。」得策かどうかはその人の判断によると思います。だが、自分と考えが違うから「野球ではない」は言い過ぎ。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-08-18 12:15
> 磯野山平さん

「それはもはや野球ではない」と意見を押し付けてはいません。
そのあとに「わたしは思います。」と続けています。
つまり私個人の考えを述べたまでです。
そして、そのあとに「あとは、それぞれの考え方でしょうね。」
と続けています。
肯定する人に意見を否定してもいません。

文章の一部だけを抜き取って批判するのは、ずいぶんと荒っぽいコメントですね。
あまり酷いと削除させていただきます。
Commented by 磯野山平 at 2020-08-18 13:10 x
「でも、観客席のブーイングが一気に激しくなったのは、まだ勝敗の行方がわからない7回表の二死無走者での敬遠の場面で、星稜が負けたから批判が出たわけではありません。
球場全体が怒号に包まれるという、高校野球史上類を見ない異様な雰囲気を作り出した前代未聞の采配だったわけで、たとえ星稜が勝っていたとしても、やはり批判は大きかったのではないでしょうか。」ブーイングが一気に激しくなったのは、7回ではなく、9回2死3塁で松井を1塁に歩かせた後の事。そのときメガホンなどが投げ込まれた。これ全て星稜の応援席の話。アナウンサーが「いけませんねぇ」と言ったのはメガホンを投げ込む行為に対して。また、「球場全体が怒号に包まれた」のは星稜応援団の声が球場を包んだと言うべき。そりゃ星稜サイドにしてみれば文句も言いたくなるでしょう、今まで松井頼みで勝ち続けて来たんだから。だからといって馬淵監督が非難されるべき、とはならないでしょう。
Commented by 磯野山平 at 2020-08-18 13:52 x
「「それはもはや野球ではない」と意見を押し付けてはいません。
そのあとに「わたしは思います。」と続けています。
つまり私個人の考えを述べたまでです。」わたしは思いますをつけようがつけまいが、あなたが自分の意見を述べたことには変わりない。それに対しての私の意見を述べたまで。
Commented by 磯野山平 at 2020-08-18 14:18 x
「極悪非道な行為ではありませんが、「姑息」です。
そんな「姑息」な手段を子どもたちに教えることにわたしは嫌悪感を感じます。」姑息な手段を‥感じます、はあなたと同意見。全打席敬遠策にあなたが嫌悪感を抱くのも理解できる。でも、全打席敬遠は姑息な手段だとは思わない。姑息という言葉の意味を間違えてはいませんか。
Commented by 磯野山平 at 2020-08-18 14:54 x
「プロ野球なら批判はしません。」は大変心外。私はあなたが、もっと野球に詳しい方だと思っていました。全打席敬遠なんて野球のセオリーにはないですよ。プロは絶対やりません。もしやったとしたら、観客が黙っていないでしょう、それこそ金返せで、暴動が起きるでしょう。プロは見せる野球をやらないといけない。お客さんを楽しませなきゃプロじゃない。ランナーもいないのに、バッターが怖くて敬遠なんて、お前ピッチャーやめろの話でしょ。でも高校野球は違う。高校野球は観客を楽しませる必要はない。確かに松井と明徳のエースの対決を楽しみにしていた人、もっと言えば松井の超高校級の特大ホームランを期待した人も多くいたと思うが、そんな人たちはあくまでも娯楽気分、でもやってる球児たちは真剣なんです。みんな勝ちたいんです。そして、監督は勝たしてやりたい。それだけです。松井が可哀想とか言う意見もありますが、それじゃあ石川県大会で、松井にバカスカホームランを打たれて、打ちのめされたピッチャーはどうなりますか。明らかに弱い相手を完膚なきまでに叩きのめす、これが教育的でしょうか、という話になってきますよね。勝負は勝負と割り切って考えていいんじゃないでしょうか。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-08-18 14:59
> 磯野山平さん

よくコメントを読んでください。
わたしが「姑息」と言ったのは、その前の「えるくん」という方のコメント③の遅延行為や焦らし作戦に対する回答です。
五打席連続敬遠に対してではありません。
その2つほど前のコメントから読み直してください。
そのうえで、この行為も姑息とは感じないとあなたがおっしゃるのであれば、わたしとは全く意見が違いますので、これ以上話をする必要はないかと思います。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-08-18 15:04
> 磯野山平さん

追記です。
「プロ野球なら批判はしません。」と言ったのも、敬遠のことではありません。
上記のつづきです。
Commented by 磯野山平 at 2020-08-19 09:07 x
「わたしが「姑息」と言ったのは、その前の「えるくん」という方のコメント③の遅延行為や焦らし作戦に対する回答です。
五打席連続敬遠に対してではありません。」
「「プロ野球なら批判はしません。」と言ったのも、敬遠のことではありません。」
おっしゃる通り、私のミスです。申し訳ありませんでした。私は遅延行為や焦らし作戦のことは知りませんが、もしも審判から注意を受けるようなことを、監督が選手に指示していた事が事実だとしたら、教育者にあるまじきことと非難されて然るべきだと思います。
謝罪ついでにもう一つ。全打席敬遠、プロは絶対やらないと言いましたが、調べてみたらやった実例が何件かありました。いい加減なことを言ってしまい申し訳ありません。消化試合において、相手チームの選手の打率やホームラン数を抑えるためだそうです。ただし、試合を有利にするための全打席敬遠は、間違ってもしないと信じています。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-08-19 10:48
> 磯野山平さん

ご理解いただき、ありがとうございます。
遅延行為や焦らし作戦が監督の指示であったかどうかは、わたしの憶測にすぎません。
ただ、あの試合は相手投手の島袋がモーションに入ろうとすると打席を外すという行為が何度もあり、主審から注意をされていたのは事実です。
あと、ブルペンキャッチャーの再三の落球で試合中断というのも。
普通に考えて、監督の指示なくして、あれはないと思いますけどね。
確かに、5打席連続敬遠については賛否両論あろうかと思いますが、それは一例として、上述したように勝つために手段を選ばないという氏のやり方が、わたしはどうも好きにはなれません。

>消化試合において、相手チームの選手の打率やホームラン数を抑えるため

阪神・掛布と中日・宇野の大敬遠合戦ですね。
わたしは当時高校生で、掛布の大ファンでしたが、たしかにあればゲンナリしました。
あと、王貞治の当時のプロ野球本塁打記録55本にあと1本と迫った阪神のバースも、シーズン終わりの巨人戦は全打席敬遠でした。
あれも観客席からは超ブーイングでしたね。
でも、プロ野球はそういうもんだと思います。
掛布と宇野の件にしても、タイトルを獲らせてやりたいという双方の監督の親心からきたもの。
それで翌年の給料が変わりますからね。
あと、プロ野球の場合、観客席にスタッフを置いてサインを盗んだり、敵の主力打者にビーンボールを投げたり、反則まがいの卑怯な手段はままあることだと思います。
なので、「プロ野球なら批判はしません。」と発言しました。

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