豊臣秀吉は6本指で、ひとつの眼球にふたつの瞳があった?
ルイス・フロイス『日本史』豊臣秀吉編 I 第16章
「優秀な武将で戦闘に熟練していたが、気品に欠けていた。身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった。眼がとび出ており、支那人のように鬚が少なかった。極度に淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺していた。抜け目なき策略家であった。」
これ以降、海外では、この「6本指説」が広く信じられてきたが、日本では、フロイス以外にこの点にふれる史料がないことや、フロイスの記述には多分に私怨が含まれているという理由から否定的な意見が多く、“邪説”とされてきた。

(← 6本あるようには見えないが・・・。)
そのフロイスの記述を裏付ける史料として、秀吉の旧友、前田利家が記した回想録が、近年になって見つかっている。その内容は次のとおり。
前田利家『国祖遺言』
「大閤様は右之手おやゆひ一ツ多六御座候然時蒲生飛 生飛弾殿肥前様金森法印御三人しゆらく(聚楽)にて大納言様へ御出入ませす御居間のそは四畳半敷御かこいにて夜半迄御 咄候其時上様ほとの御人成か御若キ時六ツゆひを御きりすて候ハん事にて候ヲ左なく事ニ候信長公大こう様ヲ異名に六ツめかな とゝ御意候由御物語共候色々御物語然之事」
この利家の談話からわかるのは、秀吉は右手の親指が1本多かったということ。要訳すると、「上様(秀吉)ほどのお人ならば、若いときに6本目の指をお切りなればよかったのに、そうされないので信長公は“六ツめ”と異名されていた。」と語っているもので、この談話を信じれば、フロイスの記述が“邪説”でないということになる。
生まれつき手足の指が多い人のことを「多指症」というそうだが、これはそれほど珍しいことではないらしい。主にアフリカやヨーロッパに多いそうだが、東アジアでも1000人に1人ぐらいの割合で生まれるそうだ。ということは、戦国時代(織豊時代)の我が国の人口は約1200万人と言われるから、単純計算で1万人程度は「多指症」の人がいたということになる。ただ、戦国時代でも現代でも多指症に生まれた場合、幼児の間に切断して5本指にするのが一般的で(通常6本目の指は役に立たない場合が多いらしい)、その意味では、秀吉のように6本指のまま大人になった例は、当時としても珍しかったのかもしれない。
では何故、秀吉は6本指のままだったのか・・・。ここからは私の想像だが、6本目の指を幼い頃に切り落とす慣習は、武士階級や、ある程度の身分の者に限られていたのではないだろうか。農民の家に生まれた秀吉は6本指のまま成長し、その後、武士となったことから、武家社会では珍しい存在となった。成長してから切り落とすことも出来たかもしれないが、彼はあえてそれをせず、周囲から奇異な目で見られることを逆に反骨心にして、天下人への出世街道を上っていったのではないだろうか・・・と。

(たしかに、この肖像画の右手の描き方も、少々不自然な気がしないでもない。 →)
“猿”“禿げ鼠”とあだ名されたことが、これほどまで後世に伝わっているのに対し、利家の談話にある“六ツめ”というあだ名は、現在でもあまり知られていない。これを逆に考えると、秀吉が“六ツめ”というあだ名を歴史の記録から削除するために、あえて、 “猿”“禿げ鼠”というあだ名が後世に伝わるように操作した・・・と考えるのは、穿ち過ぎだろうか。(あえて猿顔に肖像画を描かせた、なんてことはないと思うが。)秀吉にとって一番のコンプレックスは、卑賤の出自でも醜悪な容貌でもなく、6本指だったのでは・・・と。
作家・司馬遼太郎氏が、小学校の教科書向けに書いた文章『洪庵のたいまつ』の中で、生まれつき病弱だった緒方洪庵について、こう述べている。
「人間は、人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるばねになる。」
たしかにそのとおりで、たとえば野口英世は、1歳のときの火傷で左手の5本の指がくっついてしまい、その後13歳のときに指を切り離す手術を受けるも、生涯、左手の指は自由に動かなかった、という話は有名。発明王のトーマス・エジソンは生まれつきの難聴障害に苦しんだというし、ヘレン・ケラーにいたっては視力・聴力ともに失った人。そうしたハンデキャップを克服して名を成した偉人というのは歴史上たくさんいて、子供向けの伝記などでは、そんな逸話が大いにクローズアップされるものである。
しかし、秀吉の「6本指説」にふれた伝記は少ない。近年まで邪説とされてきたこともあり、しかも6本指にまつわるエピソードや史料が少ないことを考えれば、これまでは当然だったかもしれないが、現在では真説と考える歴史家も多く、もっとスポットを当てていいのではないだろうか。6本指のコンプレックスをバネにして、天下人になった豊臣秀吉・・・と。
ちなみに、秀吉にはもうひとつ、一つの眼球に二つの瞳があった(重瞳)という説もある。もっとも、これについての信憑性はきわめて薄く、まともに論じられることはめったにない。重瞳については、古代中国の伝説上の聖王である舜が重瞳であったという伝承があり、日本においても重瞳は貴人の相と考えられていたらしく、おそらく秀吉のそれは、天下人となったあとの権威付けのためか、もしくは後の世に作られた伝承と考えてよさそうである。
6本指にしても重瞳にしても、事実であれ虚像であれ、そんな常人とは異なった身体的特徴の伝承が残っていること自体が、豊臣秀吉という人物の歴史上の存在感の大きさといえるだろう。
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by sakanoueno-kumo | 2011-08-19 00:53 | 歴史考察 | Trackback(1) | Comments(14)

親愛なるアッティクスへ 以前、私の友人に、鹿児島の有名な温泉どころ、指宿からきていた人物がいたのですが、彼が、福岡に来て、2つ驚いたことがあったと言ってました。 ひとつは、居酒屋に入って、「お酒下さい」と言ったら、日本酒が出てきたこと。 (鹿児島では、酒と言ったら、普通に焼酎が出てくるんだそうです。) 二つめは、アパートに入って、風呂に入ろうと思い、蛇口をひねったら、いつまで経っても、お湯が出ない・・・。 家主に言いに行ったら、「ガスつけましたか?」と言われ、「ガス?」と言ったとか・・・...... more
1000人にひとりと言っても現代の私の周囲では聞いたことがないので、あまり、うかとは信じがたい内容ですが、下賤の出である秀吉がそのまま、成長してしまうというのはじゅうぶんに頷ける話だと思います。
秀吉の遺体は後年、江戸幕府によって墓から引きずり出されて腐ったまま磔にされたと聞きましたので、今となっては確認のしようがないでしょうが、ただ、もし、真実そうだったなら、いくら秀吉が消し去ったとしても、こんなおしいしい話を、死体を引きずり出して磔にしたような人たちが放っておくとは思えませんよ。
伊達政宗が自ら隻眼だったのを嫌って、生前に描かせたものにはすべて両目にしていても、しっかり、隻眼だったことが伝わっているわけですしね。
まあ、秀吉と政宗を同じに考える必要はないと思いますが。
私の周囲でも聞いたことはありませんが、1000人にひとりというのは一応、家庭の医学書に載っている情報ですし、ネットで調べてみても、多指症の幼児を持つ親の、手術に関する相談の書き込みが結構ヒットしますから、現代でも珍しい話でもないようです。
有名人では、元メジャーリーガー(2007年引退)でドミニカ出身のアントニオ・アルフォンセカ投手が、両手両足ともに6本指で、"Six Fingers" というニックネームもついていたとか。
彼の場合、6本ともちゃんと機能していたそうですから、それって反則なんじゃないの?・・・なんて思ったりしました(笑)。
日本人では、秀吉と同じく親指が2本ある場合が多いそうです。
まあ、たしかに秀吉が隠そうと操作しても、これだけインパクトの強い話が消えることはないでしょう。
でも、フロイスの記述だけならまだしも、利家の談話まで見つかったとあらば、もはや疑い難いといっていいと思うのですけどね。
ではなぜ、これまであまり知られていなかったのか・・・そこが、不思議なところです。
日本においては、昔から、人と変わった体形の者を<異端児>扱いにする風習があり、現在も残っていますが、
<古代インカや古代日本にいて、障害を持った子は、シャーマン扱いで、崇められた時代があった。>のは事実のようで、
障害者を異端児扱いにし、差別する世の中は、私にとっては、文明(文化)が遅れた社会に思えます。
レス遅くなって申し訳ありません。
現在、公私共に多忙を極めており、何卒ご容赦ください。
昔は小学校の教科書に載ってたんですか?
私の時代には載ってなかったと思います(私が忘れてるだけかもしれませんが・・・)。
おっしゃるとおりで、日本人はまわりと一緒であることで安心する気質ですから、変わった特徴を持つ人を異端児扱いするきらいがありますよね。
おそらくそれは、同一民族の国民性がそうさせたものでしょうね。
皆同じ肌の色で、同じ髪の色で、同じ瞳の色であることに安心する。
おっしゃるように、非常に偏狭な、遅れた社会かもしれません。

1000人にひとりと言いますから、結構な確立だと思うのですが、私の周りでは聞いたことがありません。
幼少の頃に切断手術してしまって、案外知らないだけかもしれませんが・・・。

まさか秀吉とおそろいだったとは!(笑)
しかも、右手の親指ってところまでまったく同じでビックリ…!!
将来天下人になってくれないかな…(笑)
やっぱり、小さいときに切断するのが一般的なんですねー。
蹄みたいになって可愛いのに…
たしかに、6本目の指は全然役に立ってない感じだし、むしろ、グーにするとき邪魔そうです…(苦笑)
マジですか?
ていうか、それってそんなに明るく話せることなんですか?
蹄みたいで可愛いなんて、なんか、めっちゃ楽観的なコメントをいただいてますが、よそさまのお子さんの身体のことを、軽々に笑うことはできません。
貴重なコメントありがとうございました。

日本では人と違うことを恐れ、人と違うと差別やいじめの対象になりやすい、またいじめられたと感じる側が悲観して活躍できなくなったり自殺するなども多い中、
秀吉が昔、低い身分から天下を取っていくまでの【負けない、くじけない精神】をもっと大人が学び、子供にも教えるべきなんですね。
まあいじめという事だと いじめる側をなくすことがもちろん大事ですがいじめをそもそも受け取らない、秀吉の精神に大いに学ぶべき点がありますね。
秀吉母親もすごい、体内に太陽が宿ったと言ってたのは本当ですか?すると小さい子供の頃から多分6本指は周囲からのいじめの対象になるかもしれないのを、はねのけて育っていったということですよね?
それはきっと母親が支えたに違いない。
ところで世界は広く、実際は、瞳が2つ、手指が6本、背が低いままおとなになった人、男女両性を持っている人、など、いろいろな人が実際居ます 寛容が大事ですね。
日本だと違うことは行けないがあまりにも強く、何とか幼いうちに直して人並にというのがとても強いので身内で隠し親類にも教えず隠し通して、話題にもならないと思われます。
何事も、良い所を学び悪いところを治すのが進歩への道でしょうね。
コメントありがとうございます。
秀吉が6本指のコンプレックスをバネにしたというのは私の想像にすぎませんが、人と違うということは、たぶん現代以上に白眼視されたと思います。
昔は、普通と違うというだけで、「不吉」と考えられましたからね。
(双子なども不吉だといわれて片方が殺されていた時代でしたからね)
今以上に生きづらかったと想像します。
そんな時代に、コンプレックスを抱えながら天下人にまで成り上がった秀吉の原動力は、コンプレックスを個性に変えるほどの精神力と、持ち前の「明るさ」だったのでしょう。
イマ風にいえば、「ポジティブシンキング」ですね。
コンプレックスを抱えて悩む現代っ子にも、ぜひ見習ってほしいものです。
ところが、残念ながら天下人となってからの秀吉は、「ポジティブシンキング」をなくしてしまった。
とくに秀頼が生まれてからの晩年は、ネガティブ一色です。
満たされていないときのほうがポジティブでいられたというのも、人間の不思議なところですね。

御存知かもしれませんが、「逆説の日本史」の井沢元彦が、この件に興味を持ち「新太閤記、六本指の男」(ちょっと違ったかもしれないが意味はこういう内容)で本を書こうとして、出版社に企画を持ち込んだそうですが、全て断られたそうです。身体障害者の差別につながると思われたらしく(井沢元彦もこういうことを公表した方が差別を理解することにつながる、と思ったようですが)、秀吉に六本指があったというのはタブーになっているようです。残念な話ですが。
昔の稿へのコメントありがとうございます。
ブログを始めて間もない頃の稿は文章が稚拙なので恥ずかしいのですが・・・。
井沢元彦さんの話は知りませんでした。
それが本当のことなら、残念な話ですね。
『独眼竜政宗』が許されて『六本指秀吉』がなぜタブーなのか、理解に苦しみます。
先天性というのがいけないのでしょうか。
そんなタブーに抗ってか、三谷幸喜さん監督の映画『清州会議』で、6本指には一言も触れていませんが、劇中の秀吉は何かを隠すようにずっと右手に手袋をしており、ある1シーンだけ手袋を外す場面があったのですが、明らかに6本指でした。
秀吉はその5本目と6本目の指を布で縛って、それを隠すように手袋をはめます。
よーく見てないとわからないのですが、さすがは三谷さん、細かい部分までこだわってるなあと。
逸話を知っている人だけがわかるってやつですね。
映倫の人も逸話を知らなかったんじゃないでしょうか。

戦国史大好き、卓球大好きなオッサンです。
楽しく、拝読させていただきました。秀吉の6本指、信憑性は高いと思います。
まあ、5本であろうが、6本であろうが、ドラマや伝記物作るときに、その時に応じて諸説を利用すればいいと思っているんで。
また、貴ブログにお邪魔させて頂きます。
コメントありがとうございます。
この6本指説がドラマなどで描かれることはほとんどありません。
わたしの知る限りでは、上のコメントでも述べたとおり、三谷幸喜さん監督の映画『清州会議』ぐらいでしょうか。
先天的な身体の奇形というのは、描きづらいのでしょうね。