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映画『プリンセス・トヨトミ 』鑑賞記 その1 ~荒唐無稽とはいえない「大阪国」~

映画『プリンセス・トヨトミ』を観ました。
作家・万城目学氏の長編小説が原作の物語で、豊臣家の末裔を守るため400年もの間ひそかに受け継がれてきた「大阪国」と、それを知らずに大阪へやってきた会計監査院たちの攻防のストーリーで、いわばパラレルワールド的な作品です。
e0158128_10532615.jpg会計監査院の松平、鳥居、旭ゲーンズブールの3人は、財団法人OJOという団体の予算を調査するうちに、謎の「大阪国」の存在を知ることになります。
会計検査院とは、国および国の出資する政府関係機関の決算、独立行政法人および国が補助金等の財政援助を与えている地方公共団体の会計などに関する検査を行い、法に基づいて決算検査報告を作成することを主要な任務としている組織です。
平たくいえば、一般企業に税務署が調べに来るように、公的機関の決算や会計が不正に行われていないかをチェックする組織ですね。
法律上は行政機関となるのですが、内閣に対し独立した地位を有していることが憲法で定められており、国の公的な機関でありながら、立法・行政・司法の三権いずれからも独立しているという特殊な組織でもあります。
と、偉そうに解説していますが、私も今調べて知ったことです(笑)。
つまり、縁がない人にとっては全く接することのない方々ですね。

この物語での「大阪国」なるものが建国されるに至った起源は、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣まで遡ります。
私たちが知る歴史では、この戦いによって豊臣秀吉の血をひく豊臣秀頼は生母の淀殿と共に陥落する大坂城内で自刃して果て、秀頼の嫡子・豊臣国松も徳川方に捉えられ斬首、豊臣家の血筋は絶えたとされているのですが、この物語では、その国松がからくも難を逃れ、その血筋は徳川幕府の目を盗みながら細々ながらも続いていたという設定。
豊臣家は当時の大坂の民から親しまれていたこと、またその後、大坂の民たちの徳川新政権に対する反発もあって、国松および豊臣家の血筋を守り抜くために、大坂城の地下に秘密組織が作られたのが「大阪国」の始まりであったと・・・。
その後、明治維新の際に資金不足に陥っていた当時の太政官政府が、「大阪国」を正式に国として承認する条約を「大阪国」と締結。
これにより、「大阪国」は日本国という主権国家から承認を受けているれっきとした「国」となり、条約によって大阪国の運営資金を日本の国家予算に組み込む(肩代わりする)ことになったと。
ただし、条約では「大阪国はその存在を外部に公表してはならない」とも定められており、大阪国民は普段は日本国民として暮らしている。
会計監査院の松平は、35年間で日本国政府から175億円もの補助金を受けていた財団法人OJOという団体が、公になっていない「大阪国」の隠れ蓑であることを知り、この不正を明るみにするために対決する・・・。

なんとも荒唐無稽な話ですが、俳優さんたちの真剣な演技に途中からグイグイ引き込まれ、なんとなくあってもおかしくないような気にさせられました(笑)。
とりわけ、堤真一さんと中井貴一さんは、毎度のことながら素晴らしいですね。
実にバカバカしい設定のはずなのに、この二人の真剣な演技を観ていると、なんか半ドキュメンタリー映画のように思えてくる(笑)。
でもよくよく観れば、物語の発想は壮大ですが、テーマは「親子愛」というありきたりの設定で少々がっかり。
正直言って、俳優さんたちの演技力があってこその作品・・・なんて言ったら、少々辛口でしょうか。

ただ、「大阪国」という設定はあながち的外れでもないように思います。
大阪人は日本人である前に大阪人であることに誇りを持っているところはたしかにあって、ある意味、大阪は日本のなかでも独立国的な存在であるとは思いますね。
この物語の設定も、同じ大都市でも名古屋や福岡や札幌ではなく、大阪だから成り立つ設定のような気がします。
大阪人は東京にいっても決して関西弁を捨てようとしませんし、何かにつけ東京に対してライバル心をむき出しにするのも、自分たちこそが日本の中心であるという自負からくるものだといえます(でも実際には東京が日本の中心であることは動かし難い事実で、大阪人が東京を嫌うのはコンプレックス以外の何ものでもないような気がしますけどね)。
そんな大阪人気質はいつ頃から始まったのでしょうか。
物語の設定にもあったように、徳川家と豊臣家の確執がそのまま江戸対大坂の敵対心を生み、それが400年後の現在にも残っているといった分析もありますし、実際、当時の大坂の人たちにしてみれば、豊臣家の滅亡によって関西の経済は一気に冷え込んだでしょうから、新政権の徳川幕府をスンナリ受け入れられない空気はあったでしょう。
今でも、大阪人は徳川家康が嫌いで、秀吉びいきの人が多いといいますもんね。

「大坂夏の陣」後の大坂は、一時松平忠明の領地となりましたが、豊臣残党による再決起を警戒した将軍・徳川秀忠は、まもなく大坂を直轄地としました。
直轄地にはお殿様(藩主)がいませんから、おのずとお上に対する忠誠心は薄くなります。
そんな背景もあって、大坂の民はいつまでも太閤秀吉を懐かしく思っていたかもしれません。
加えて大坂には武士が少なく、一説には、江戸時代中期の大坂の人口は、町人14万人に対して侍は900人ほどしかいなかったといいますから、街を侍が歩いている光景など殆どなかったに等しいでしょう。
一方で江戸は、参勤交代で常に地方から来た侍たちでごった返していました。
つまり、江戸は侍(エリート)のまちだったのに対して、大坂は庶民のまちだったわけです。
そうした大坂の歴史的成立過程をみても、250年以上続いた徳川政権下において大坂は明らかに異質なまちだったはずで、ある意味「大阪国」だったかもしれません。

先にも述べましたが、実際に大阪人は徳川嫌い豊臣びいきの人が多く、そんな人たちが生み出したのか、秀頼や国松、さらには淀殿の生存説が数多く存在します。
そんな話をしようと思いましたが、すでに随分と長文になってしまったので、続きはまた後日ということで・・・。

映画『プリンセス・トヨトミ 』鑑賞記 その2 ~豊臣家の不死鳥伝説~


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by sakanoueno-kumo | 2012-05-17 17:04 | 映画・小説・漫画 | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2013-07-11 13:48
逆鱗に触れるかもしれませんが、私は大阪人が蜂起した時、繁華街から人が誰もいなくなったのを見て、大阪には生粋の大阪人ばかりで、観光客なんておらんのかい!って思わず、突っ込みたくなりました(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2013-07-12 19:02
< heitarohさん

いや、たぶん殆どの人が同じことを思ったんじゃないですか?
でも、それを言っちゃあ無粋というものです(笑)。

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