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金環日食〜天俄に曇て日の光も見えず、闇の夜の如くに成りたれば

金環日食〜天俄に曇て日の光も見えず、闇の夜の如くに成りたれば_e0158128_215624100.jpg今朝の金環日食は見られたでしょうか?
我が家では専用メガネはありませんでしたが、私のレイバンの濃いグラサンを使って家族で回し見しました(ホントは専用メガネじゃないと目に良くないんでしょうけどね)。
今朝の神戸は晴れでしたが、我が家から見てちょうど日食が始まった時間帯に薄い雲が掛かり、それが功を奏してか、グラサンでもちゃんと見えましたよ。
雲のせいもあったかもしれませんが、日食中、ちょっと暗くなりましたよね。
太陽の輝きのわりにはあたりが薄暗く、なんとなく不思議な感覚でしたね。

太陽が月に隠されてリングのように輝いて見える金環日食ですが、今回のように九州南部から東北南部までの広い範囲で観測できるというのは、大変貴重なことだそうですね。
日本全体では1987年9月に沖縄で観測されて以来25年ぶりだそうですが、東京では173年ぶり、大阪では282年ぶり、名古屋ではなんと932年ぶりのことだそうで、それを聞けば、実に貴重な体験だったんだと今更ながらに感激しています。
次に日本で金環日食が見られるのは2030年の北海道だそうですが、大坂で次に見られるのは300年後の2312年だそうですから、ほとんどの人が生きている間に見られたとしても1回、一度も見ることなく死んでいく人もたくさんいるわけで・・・。
まあ、別に見れなかったからといって不都合があるわけではありませんが、見なきゃなんか損な気がして、普段、天体なんて全く興味のない私ですが、今朝だけはミーハー気分で天体ショーを楽しみました。

さて、毎週初めには大河ドラマの稿をアップしている当ブログですが、今日は金環日食という歴史的な日なので、大河の稿はまだ後日に。
そういえば、今年の大河ドラマ「平清盛」の時代を描いた「平家物語」「源平盛衰記」のなかにも、金環日食らしき記述があるのをご存知でしょうか?
「天俄(にわか)に曇て日の光も見えず、闇の夜の如くに成りたれば・・・」
寿永2年(1183年)閏10月1日、現在の岡山県倉敷市玉島付近にあったとされる水島で、平重衡が率いる都落ちした平家と木曾義仲が率いる源氏が戦った「水島の合戦」を描写した「源平盛衰記」の記述です。
「源氏の軍兵共日蝕とは不知、いとど東西を失つて舟を退て、いづち共なく風に随つて遁行」
日食を知らなかった源氏は、太陽が欠けて暗くなっていったことを恐れて混乱し、一方の平家方は日食が起きることを予測しており、戦いを有利に進めて平家が勝利したというものです。

なぜ平家が日食を知っていたかについての記述はありませんが、当時、平家は公家として暦を作る仕事をしていたため、日食を予測する知識があったのではないかと言われているそうです。
この2年前に病没した平清盛には、1日を長くするために扇で夕日を招き返した・・・なんて伝説がありますから、このときの日食も、神となった清盛が神通力で平家を救うために起こしたものだったかもしれません(笑)。
ただ、平家が快勝したのはこのときぐらいで、こののち平家は敗走を繰り返し、やがては壇ノ浦の戦いでの滅亡に至るのですけどね。

あと、金環日食だったかどうかはわかりませんが、神話の中にある天照大御神天岩戸の話も、日食を描いたものではないかと言われていますよね。
古代の中国では、日食は不吉の象徴として恐れられてきたそうですし、ギリシャ神話のなかにも日食の記述があるそうです。
日食の原理も知られていなかった太古の昔も、科学が進歩した21世紀の現代でも、日食は常にその時代の人々を驚かせ、あるいは感動させ、非日常的な事象として記録されてきたんですね。
そんな歴史に思いをはせながら、同じ光景を見ることができたことを喜びと感じています。


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by sakanoueno-kumo | 2012-05-21 22:19 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)  

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