大津いじめ自殺事件について思うこと。
昨年10月に起きた市立中学2年の男子生徒がいじめられた末に自殺した事件で、事件発生後に大津市教育委員会が実施した全校生徒を対象にアンケート結果の内容が、遺族が大津市と加害者を相手取って起こした訴訟の証拠品として今頃になって開示されました。
それにより、「自殺の練習の強要」や「葬式ごっこ」など、これまで公表されていなかった驚愕の内容が発覚し、にわかにマスコミなどで取り上げられるようになったようです。
「いじめ」は昔から存在します。
かくいう私も、小学生の頃にはいじめられた経験もいじめた経験もどちらもありますし、中学生の頃には上級生から呼び出されていわれのないイチャモンをつけられ、いわゆる「可愛がり」を受けたこともあります。
あと、つまらないことが発端で大勢のクラスメイトからしばらくの間無視されたこともありましたが、あれは結構キツかったですね。
学校を離れれば仲の良い友達でさえ、教室では他のクラスメイトの目を気にして私と口をきこうとしない・・・でもそれも、明日は我が身と思えば無理からぬことなんですよね。
大人社会と同じく、子供たちの社会も力関係を計るというのは生きていく上で重要な術です。
女の子のことはわかりませんが、男の子なら、大なり小なりそのような経験があるはずで、人生一度も「いじめ」に関わったことがない人は(傍観者的な関わりも含めて)、少ないんじゃないでしょうか。
でも、昔のいじめは今のような陰険で卑劣なものではなかった・・・なんてことをいう人もいますが、私はそうは思いません。
そもそも、いじめとは陰険で卑劣なものですから・・・。
なんでも「今どきの子どもは・・・」といった論調で片付けるのもいかがなものかと・・・。
たしかに、「自殺の練習の強要」や「葬式ごっこ」などと聞けば、かなり度を越した状況だったことが伺えますが、元来、子どもの悪事というのはエスカレートしだすと歯止めが効かなくなるものだと思いますし、このような卑劣ないじめを悪びれることなくやってしまえるのは、子供であるがゆえだと思います。
陰険で卑劣というよりも、「幼稚」なんですよ。
でも、その幼稚な行為によって人ひとりの命が失われてしまったことには違いありません。
この度の問題は、これほどエスカレートするまで大人が何も手を打たなかったことで、この場合、担任教師は何をやっていたんだ?・・・という観点にならざるを得ないでしょう。
子どもの悪ノリを制止できるのは子どもではありません、大人です。
私は長年、週末に小学生相手の少年野球の指導者をしていますが、教育のプロでもなく、土日のみ子供たちと接する素人の私でも、子供たちの力関係はちゃんと把握しているつもりです。
なかには、大人の見ている前では素直で可愛げのある子どもを装い、裏で舌を出しているずる賢い子もいますし、すぐに嘘をつく子、隠れて弱い者いじめをする子などもいますが、いずれも、子供たちは大人を欺いているつもりでいるかもしれませんが、大人の目から見ればすべてお見通しです。
言い方は悪いですが、所詮、相手は子どもですから。
土日だけの私ですらわかることですから、月曜から金曜までフルに子供たちと接している担任の先生が、自分のクラスで起きているいじめに気付かないなんてことはあり得ないと思います。
もし、本当に気づいていなかったとすれば、それこそ問答無用で教師失格だと思いますし、気付いていたにも関わらず見て見ぬふりをしていたとすれば、教師としてというよりひとりの大人としての資質の問題です。
私は、なんでも学校に責任を押し付ける風潮も快く思っていませんが、この度の件に関していえば、問題解決のためにほとんど何もしていない担任教師や、保身のために事実を隠蔽しようとする教育委員会の腐った体質は責められて然るべきで、見過ごすわけにはいきません。
一昨日、大津市教育委員会事務局と中学校に滋賀県警が家宅捜索に入ったようですが、いじめ問題に警察が介入することが適切かどうかはわかりませんが、保身のことしか考えられない教育委員会に任せていても埒があかないでしょうから、やむを得ないといったところでしょうか。
警察の捜査が入ったことにより、今後この問題の焦点は加害生徒の立件まで行くのか・・・ということになろうかと思いますが、おそらく教師が罪に問われることはありません(せいぜい同じ穴の狢である大津市教委が下す生ぬるい罰則程度でしょう)。
それだけに、彼らは世論に晒されて、社会的制裁をもっと受けてもらわなければならないでしょう。
何度も言いますが、学校における「いじめ問題」は今に始まったことではありません。
もし、巷で言われているように、昨今のいじめが昔に比べて凶悪化しているとするならば、それは「今どきの子ども」たちのせいではなく、それを見過ごしている「今どきの教育者」たちにこそ原因があるのではないでしょうか。
だって、あれだけハッキリしたアンケート結果が出ていたのもかかわらず、「いじめと自殺の因果関係は認められない」なんてことを平気で言える人たちですから・・・。
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by sakanoueno-kumo | 2012-07-13 10:56 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(16)

親愛なるアッティクスへ 今、大津市立中学2年の男子生徒が自殺した問題・・・。 確かに学校と大津市教育委員会の対応などは酷いですね。 なんか、「いじめ件数に数値目標を設けているから、学校側はいじめを隠蔽しようとする」・・・という話も聞きましたが、こんなのに目標数値なんて設ければこういう本末転倒みたいなことになりますよ。 ただ、私が使っているネットのスタートページに毎日、ユーチューブが提示されるのですが、何気なく見ていたらそこに「大津いじめ問題云々」という言葉が見え、「?」と思い、見てみたら、...... more

子供のことはお見通しとのことですが、これは自意識過剰です。
私も子供の頃は、少年野球をやってました。打てないので、万年補欠でした。
ある試合の日、監督は私に言いました。次の試合では、代打にだしてあげると。次の試合では、負けていて、とうとう自分の代打の出番は回ってきませんでした。
そして、子供ながらに泣きました。
周りは試合に出れないことを悲しんだと思ったようですが、騙されたことを憤り、泣いたんです。
それから20数年経ちますが、あの嘘をいまだに覚えています。
子供はあなたが思っている以上に、直感で読み取っているんですよ。分かっていると思われてることすら、子供は気づいてるものです。感覚だけで生きている子供ならではなので、大半の大人はそれを失ってます。


そもそも「次の試合では、負けていて、とうとう自分の代打の出番は回ってきませんでした。」と自分が出れなかった理由はわかっているのに、無条件で嘘をつかれたというような思い込みが理解できません。
あなたが試合にでれなかったのは、監督が最後まで試合を捨てなかった結果です。それはそんなに悪いことでしょうか?
もし万年補欠のあなたが試合に出されていたとしても、それはチャンスを与えられたわけではなく情けをかけられたということです。それはそんなに嬉しいことでしょうか?
子供の世界であれ、大人の世界であれ世間は色々な事情が絡み合って回っています。
大人は嘘つきですから、大人になったあなたの書き込みも随分と嘘にまみれているなという印象です。
自意識過剰?・・・自信過剰の間違いでは?
いずれにせよ、仰られる論点がそもそもズレています。
わたしが「すべてお見通し」だと言ったのは、子ども同士の力関係や、子どもが大人に対してつく嘘のことです。
大人がつく嘘の話をしているのではありません。
チーム内で仮にひとりの子が仲間はずれになっていたり、われわれ指導者が見ていない休憩時間にあった喧嘩やイザコザ、いじめなど、子供たちが如何にしてそれを秘そうとしても、大人は気づくものだ・・・と言っているのです。
逆にいえば、それがわからない大人は、子どもと真剣に向き合っていないからでしょう。
貴方がいうような、大人の言葉に子どもは知らず知らずのうちに傷ついているとか、子どもは大人を直感で見ているとか、そんな話を今しているのではありません。
もう一度本文をよ~く読んでください。
つづく
つづき
ただ、的外れでもせっかく頂いたコメントなので、そのことについてお話させてもらえば、代打で出すと言いながら、試合の展開上それが叶わなかったなんてことは、至極当たり前にあることです。
監督さんによっては、試合後に約束を果たせなかったことを詫びる人もいますが、何も言わない人のほうが多いとおもいます。
ですが、後者の監督さんがデリカシーがないかといえば、決してそうではありません。
泣いている子の思いを横目で見ながら、あえて黙っているのです。
つづく
つづき
そもそも、スポーツの世界ではそのようなことは当たり前のことです。
小学校のうちはまだマシ、中学、高校になればもっと厳しい世界が待っています。
下級生にポジションを奪われて上級生が補欠になるなんてよくある話で、それでクサってしまうような子はそれまでです。
そういう悔しい経験を乗り越えて大人になっていくんですよ。
よく、野球部出身だと就職に有利だと言われますが、その場合レギュラーより補欠の方が有利だということをご存知ですか?
万年補欠でありながら、途中でケツを割ることなく最後まで続けた子・・・企業にとってこれほど高い評価に値する人材はありません。
悔しい経験をたくさん乗り越えてきている子ですから・・・。
貴方がその当時、代打に出れなくて悔し泣きをした気持ちはよくわかります。
ですが、それを20年経った今でも「大人の嘘」だと言って根に持っている貴方は、かなりネガティブな人生を歩んできた方だと思わずにいられません。
私は子育てについて常に妻にも言ってきたことは、自分の子供のことは親が一番よくわかっている・・・なんて絶対に思っちゃイケナイということです。
親だから見えないことがたくさんあるということを、親は自覚しなければならない・・・と。
その意味では、私たちのような立場で子どもに接している人間のほうが、客観的に見えている部分がたくさんあると思いますし、そこをちゃんと理解してくれて私たちに任せてくれる保護者の方は、本当の意味で子育て上手だと思います。
ですが、いじめに気づいていいながら「見て見ぬふり」をしていたこの度の教師のような例をみれば、信頼して子どもを任せるのは難しいものがありますね。
少年野球や塾やお稽古ごとは、そこの指導者と合わなければ辞めさす事もできますが、学校はそうはいきませんからね。
私がお答えする前に、私の言いたいことのほとんどを言っていただいてありがとうございます(笑)。
ことはどうやら、「すべてお見通し」と言った私の言葉がお気に召さなかったようで、的外れな代打云々の話なったようです。
俺のこの悔しい気持ちを監督はわかってくれてなかったじゃないか!!・・・みたいな(汗)。
そういう話をしているのではないんですけどね。
>子供の世界であれ、大人の世界であれ世間は色々な事情が絡み合って回ってる。
まさしく仰るとおりで、その子供の世界の色々な事情を、周りの大人はできるだけ理解してあげなければなりません。
でも、大人と違って子供の事情というのは、ごくごく狭い世界で絡み合っていることですから、大人がちゃんと向き合って接していれば、見通せないことはないと思います。
その意味では、この度の大津の事件は、正面から向きあってくれる大人がいなかった結果といえるでしょう。
残念なことです。

少なくとも反面教師として、私は守れないことを子供に約束なんかしません。
今回の事件では、イジメを隠し、保身に走る学校の大人たちに、残っている生徒たちも、不信感を抱いています。
世界は厳しいから?
そんな言い訳をしてて、子供に不信感を持たれたら、おしまいですよ?
がんばっても報われないとは、全く意味が違いますので、誤解しないでください。
貴殿の少年野球時代の監督さんが代打に出すと約束してその約束を守らなかったことと、この度の大津のいじめ事件で保身に走る大人たちとは、全く別のものでしょう。
貴殿の監督さんは保身のために約束を守らなかったのですか?
上の「嘘つきな大人」さんのコメントをよ~く読んでください。
貴殿の監督さんは、監督として当然の仕事をしたために約束を果たせなかったのです。
大津の教員たちは、教員としての仕事を全くしてなかったのです。
その違いがわかりませんか?
貴殿の監督さんは、きっと万年補欠なのに頑張ってる貴殿の姿を見ていて、代打で使ってあげたいと本気で思っていたんですよ。
でも、試合の展開上残念ながらそれができなかった。
それは嘘ではありません。
大津の教員たちは、いじめに気づいていながら自分たちの保身のためにそれを隠蔽しようとしたんですよ。
このふたつを同じ土俵で語る貴殿の感覚が理解できません。

ただ論点が違いすぎるので、平行線ですね。
貴方の記事に合わせて、野球の例を出したのが悪かったのを認めます。
事件に限って言えば、
表面だけではなく、事件の内容を掘り下げて調べて、熟考されることをお勧めします。
正面から向き合うという次元ではないですから。
歴史好きのようですから、竹中重治の斉藤家時代といえば、少しは理解しやすいですかね。
亡くなった子は、最後の力すら奪われていたことが不憫で仕方ありません。
竹中半兵衛の斉藤家時代?
申し訳ないが、仰りたいことがさっぱりわかりません。
もともと最初の貴方のコメントは、私が「すべてお見通し」と発言したことが気に入らなくての批判だったんじゃないんですか?
思い上がるな!と言いたかったんでしょ?
貴方の最初のコメントに、本件のいじめ問題に関する内容はどこにもないじゃないですか!
それを途中からイジメにこじつけようとするから話が支離滅裂になるんですよ。
>正面から向き合うという次元ではない。
仰るとおりで、事はそんな簡単な問題ではありません。
私は、正面から向き合えば「いじめ問題」が解決する、なんて一言も言ってませんよ。
子どもと正面から向き合おうとせず、保身ばかりに走る関係者を批判しているだけです。
「いじめに気付いていなかった」なんてことはあり得ない!と言っているだけです。
ここまでエスカレートするまでに何とか手を打てなかったのか!と問題提起しているだけです。
私に文章力がないのか貴方に読解力がないのか、いずれにせよ、論点がズレてる上に話がすり替わっているようなので、これ以上の議論は無意味かと思います。

親だから見えないことがたくさんあるということを、親は自覚しなければならない・・・と。
といいつつ、客観的に見えるだろう教員や野球のコーチは子供たちの意識の大部分が見えるのでしょうか?
親だから一番よくわかっているということはないでしょうし、教員も別の部分が見えるだけで一番よくわかるわけではないでしょう。
すべての責任を教員だけに押し付けるのではなく、地域社会との連携をどう作っていくかが重要なのではないでしょうか。
sakanoueno-kumoさんの論調であれば、野球のコーチも子供たちがよく見えているはずなので適任者の一人になるのではないでしょうか。調停者として利害関係がないことが重要ですから。この意味でも教員は生徒を評価するという立場にある以上、実は調停者に向いていません。

最後に、ヨクサルの子供たちさんが感じたことは、スポーツを勝つことに目標を置いた監督と楽しむことと理解していた選手のすれ違いなのではないかと思います。勝つことが目標であればパフォーマンスの悪い選手は出さないでしょうし、楽しむことが目標であれば全員を出すようにすることが正解だと思います。
コメントありがとうございます。
上のコメントでも何度も言っているのですが、私は「意識の大部分が見える」なんてひとことも言ってませんよ。
私が「お見通し」だと言ったのは、子供たち間の力関係であり、大人を欺こうとする“嘘”だと何度も言ってるのですけどね。
もう一度、よーく文章を読んでください。
なんで皆さん、勝手に過大解釈するのでしょう?
私はすべての責任を教員だけに押し付けたりはしてませんし、なんでも学校に責任を押し付ける風潮も快く思っていないと本文中で述べています。
これも、よ~く読みなおしてください。
私が責めているのは、学校の隠蔽体質と無策と無責任さです。
「いじめ問題」自体をすべて教職員のせいにしているのではありません。
なぜ、文章のある部分だけを切り取って短絡的な解釈をするのでしょう?
何度も言いますが、よ~く読んでちゃんと理解してからコメントしてください。
あと、もうひとつ。
>勝つことが目標であればパフォーマンスの悪い選手は出さないでしょうし、楽しむことが目標であれば全員を出すようにすることが正解
極論を言えばそのとおりですが、そんなに簡単に割り切れるのなら指導者は苦労しません。
少年野球ですから、勝つことよりも野球の楽しみを感じて欲しい・・・でも、負けてばかりではつまらないし、勝つ喜びも味わって欲しい・・・そんな思いで監督さんは日々葛藤しているのです。
貴方のおっしゃるような、白か黒か極端な理屈で世の中は成り立っていませんよ。
もうちょっと血の通った考え方をしてください。