『ドラえもん』は子ども社会の縮図。

というのも、あそこに登場する、のび太、ジャイアン、スネ夫の関係は、まさしく子ども社会、ひいては男社会の縮図だといってよく、男3人以上が集まれば必ずこの型にはまるといっても過言ではないと思うからです。
のび太ばかりが集まれば平和になるかというと、その中からジャイアン的存在になる者が必ず出てきますし、ジャイアンばかりが集まれば、その中で弱い者はのび太になる。
で、上にも下にもならずにすんだ(あるいはなれなかった)者は、長いものに撒かれてスネ夫になります。
子供社会においてはさらに顕著で、誰もが皆、ジャイアンになったりのび太になったりしながら大人になっていくものだと思うんですね。
女の子のことはわかりませんが、男の子であれば、大人になる過程で少なからずジャイアン、のび太のどちらにもなった経験があるんじゃないでしょうか(どちらが多かったかはあると思いますが)。
誰もが共感できるこの縮図が、『ドラえもん』という作品が長く支持されてきた理由のひとつかなと・・・。
ところが最近のアニメでは、昔に比べてジャイアンが優しくなっているようです。
特に映画でのジャイアンは、乱暴者だけど仲間思いのいいヤツで、藤子不二雄氏の原作漫画のような横暴で理不尽なイジメっ子ではありません。
これは、教育現場や子どもを持つ親からの声を反映し、「いじめ」という社会問題への配慮だとか。
理解に苦しみますね。
「いじめ」は昔から存在しますし、「いじめ」を世の中からなくすことは不可能だと思います。
であれば、教育現場は「いじめ」をなくすことを考えるのではなく、「いじめ」はあるものだと考えて、それによる被害を少しでも小さくする考え方に対策を切り替えるべきでしょう。
その意味では、ジャイアンを優しく描くことが「いじめ」対策になるとは思えません。
だって、現実の子どもたちの社会には必ず横暴なジャイアンがいるのに、アニメの世界ではみんな仲良しでいいヤツしか出てこないのですから、そんな“非現実的”な物語に誰が共感するでしょうか。
浄化された空気や水の中では生き物は強く育ちません。
きれいなものだけを見せていれば、きれいな心に育つというものではないと思います。
昔の『ドラえもん』の中に出てくるジャイアンはあくまで横暴なイジメっ子で、虫の居所が悪いと暴力を振るい、自分に従わないヤツは仲間はずれにし、自分が欲しいと思ったものは力づくで取り上げます。
でも、物語ではそんなジャイアンが必ず最後にしっぺ返しを食う結末が待っていました。
それを見て子どもたちはカタルシスを感じ、一方で、意地悪をすれば必ずバチが当たるといった教訓を得るわけです。
『水戸黄門』と同じですね。
そんな「勧善懲悪」的ストーリーこそが、子どもには最もわかりやすく効果的だと思いますし、この場合ほとんどの子はのび太に感情移入するでしょうから(ジャイアンに感情移入する子はまずいないでしょう)、弱者の気持ちになって考えるという学習効果を得ることができます(ジャイアン=悪玉、のび太=善玉という考えは短絡的だというご意見もあろうかと思いますが、それはひとまず置いといて、ここでは、弱い者いじめをすれば必ずしっぺ返しを食うという意味での勧善懲悪です)。
はっきり言って、みんなお手手つないで仲良しこよし・・・なんて、世の母親の幻想にすぎません。
少なくとも男の子の友だち関係は、大なり小なり“力関係”で成立しているといっていいでしょう。
その延長線上にあるのが「いじめ」だと思います。
その「いじめ」による被害を少しでも小さくするためには、いじめる側に、「いじめることの怖さ」を教えるべきだと思います。
そのためには、ジャイアンにはもっと悪玉であってもらわねばなりません。
「ほら見てごらん。ジャイアンは弱い者いじめばかりしているから、最後は結局痛い目にあうだろう!君もジャイアンのようになりたくなかったら、弱い者いじめはやめようね!」
優しいジャイアンを見せるよりも、このほうが断然子どもの心に響くと思いますけどね。
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by sakanoueno-kumo | 2012-07-20 16:44 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(8)

親愛なるアッティクスへ 今、大津市立中学2年の男子生徒が自殺した問題・・・。 確かに学校と大津市教育委員会の対応などは酷いですね。 なんか、「いじめ件数に数値目標を設けているから、学校側はいじめを隠蔽しようとする」・・・という話も聞きましたが、こんなのに目標数値なんて設ければこういう本末転倒みたいなことになりますよ。 ただ、私が使っているネットのスタートページに毎日、ユーチューブが提示されるのですが、何気なく見ていたらそこに「大津いじめ問題云々」という言葉が見え、「?」と思い、見てみたら、...... more

ドラえもん深いですね。そんな見方があるとは思いもよりませんでした。
たしかに子どもの頃というのは、立場は流動的でも常に力関係の強弱があったように思います。
ものすごく納得させられました。
ありがとうございます。
現在高3の愚息が幼稚園や小学生の頃、妻によくこの話をしていました。
男の子の社会は『ドラえもん』と同じで、お手手つないで仲良しこよしなんて有り得ないことなんだよ・・・と。
みんなのび太になったりジャイアンになったりして成長していくんだよ・・・と。
ところがお母さん方というのは、自分の子どもはのび太かもしれないと心配する人が圧倒的に多いんですね(自分の子どもがジャイアンだと思っている母親はまずいません)。
で、のび太を守るためにジャイアンを排除しようとするんですよ。
でもね・・・ジャイアンを排除してのび太ばかり集めても穏やかにはならないんですよ。
結局その中からまたジャイアンが生まれるだけで・・・。
今、「いじめ問題」が連日のようにニュースなどで取り沙汰されていますが、根本的に「いじめ」はあるもんだという観点で対策を考えないと、ただジャイアンを排除するだけでは解決にならないということを知るべきだと思います。

子供が社会人になって巣立ってからは、テレビ漫画を見ることがなくなりましたが、テレビ漫画ではジャイアンが優しくなっていることは初めて知りました。その理由が、いじめ問題への配慮というのは全くおかしなことだと私も思います。
「少なくとも男の子の友だち関係は、大なり小なり“力関係”で成立しているといっていいでしょう。その延長線上にあるのが「いじめ」だと思います。
その「いじめ」による被害を少しでも小さくするためには、いじめる側に、「いじめることの怖さ」を教えるべきだと思います。」
全くその通りだと思います。ところが、今の教員にその力がない人物が少なからずいることも事実です。
今回の大津の事件の担当教官は、人権教育の熱心な人物との報道がありますが、「加害者の人権」をも対等に認めるような論理は、「いじめ問題」について何もしたくない教員にとっては、極めて都合の良いものであることは間違いないでしょう。
「人権」「人権」と叫ぶ教員が増えれば増えるほど、「いじめ問題」がエスカレートしてきているような気がします。
「いじめ問題」に真正面から向き合うことが、いつの時代も教員に求められるのだと思います。
共感いただきありがとうございます。
なんでも、「いじめ件数に数値目標を設けているから、学校側はいじめを隠蔽しようとする」といった話を聞きましたが、こんなものを成果主義で評価すれば当然そうなりますよね。
聞くところによれば、全国のいじめ件数は年々減少傾向にあるそうですよ。
いったいどれだけ隠蔽された事件があるのでしょうかね。
お役人の考えることは、どこまで的外れなんでしょう。
>今の教員にその力がない人物が少なからずいる
まったくそのとおりだと思いますが、一方で、今の教員の方々は体罰禁止とかいろいろ規制が厳しく、「力がない」というより「力を与えられていない」というのも事実だと思います。
現実問題として、真心だけではどうにもならない、力には力で抑えなければ解決しない事柄もあると思いますので、その意味では、現場の教員ばかりを責めるのも酷な面もあるのかな・・・と。
だからといって、今回の大津の事件に限っていえば、学校および大津市教育委員会の関係者を擁護できる部分はひとつも見当たりませんが・・・。

「参加」ではなく。自分も育児をする。
昨今はイクメンが増えてきました。
ブームで終わらず定着すれば、事態は好転するのかな?と思います。
同感です。
ただ、育児といってもメンタル面の育児をしなければならないと思います。
巷では物理的な世話をして育児をした気分になっているお父さんがたくさんいますが(たとえば風呂に入れるとか宿題の面倒を見るとか)、それも大切ですが、それとは別に父親にしかできない育児があると思います。
とくに男の子の場合、思春期に入ってからが父親の本当の出番だと思います。
あと、母親に父親をもっと認めてあげて欲しいですね。
子供のことは自分の方がよくわかってるといって、亭主の助言を聞こうとしない母親がたくさんいると聞きますから(笑)。
ずっと一緒にいる母親だからこそ盲目になっている部分があるということを知ってほしいですね。
