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平清盛 第45話「以仁王の令旨」 その1

 「治承三年のクーデター」を敢行して覇権を掌握した平清盛は、翌年2月には高倉天皇(第80代天皇)に譲位をせまり、孫の安徳天皇(第81代天皇)を即位させた。天皇には自身の孫が、上皇には義理の甥が、そして摂政には娘婿の近衛基通が就き、平家の縁戚で朝廷中枢を固める体制を確立した。いうまでもなく高倉院と基通は平家の操り人形にすぎず、事実上、清盛の独裁政治が始まったといえた。ただ、そんな清盛もその専制体制を強める段階でいくつかのミスを犯した。この政変によって失脚した後白河法皇(第77代天皇)の第3皇子・以仁王の領地を奪った点もそのひとつといえるだろう。

 清盛の義妹であり高倉帝の生母である建春門院滋子の妨害によって、親王の地位さえも得られぬまま成長した以仁王は、かねてから平家の専横に並々ならぬ反感を抱いていた。そんななか領地を奪われ、さらに翌年の春には甥の安徳帝が即位したことで、自らの皇位継承の道が完全に断たれたことを悟った以仁王は、これまで以上に清盛に敵愾心を抱くようになったに違いない。以仁王は打倒平家の令旨を諸国の源氏に発し、決起を呼びかけたのである。

 この決起に至る経緯にはいくつかの見方があって、『平家物語』によると、源頼政が以仁王に挙兵するよう説得したことになっている。これを受けた以仁王は熟慮の末に頼政のすすめに従った・・・と。ドラマで描かれていた、頼政の嫡男・源仲綱の所有する名馬「木下(このした)」平宗盛が欲しがり、強引に借り受けたまま二度と返さず、その馬の名前を「仲綱」と改めて尻に「仲綱」の焼印を押して、源仲綱に屈辱を味わわせたという話も『平家物語』の中にあるエピソードで、その恨みが頼政を平家打倒の挙兵に向かわせたと物語っている。いってみれば、社長のドラ息子が親の権力をかさに部下の息子のスポーツカーを借りパクして傷をつけたようなもので、この話が本当なら許し難い愚行である。

 しかし、頼政はこの2年前に清盛の推薦によって公卿に昇進し、しかもこのとき既に77歳にもなっていた頼政が、乾坤一擲の勝負に出るとは考えづらい。ドラマのとおり、以仁王に頼み込まれた頼政が、やむなく立ち上がったという見方のほうが真相ではないだろうか。いずれにせよ、以仁王の令旨には、自らを最勝親王と称し、自身を「壬申の乱」に勝利して即位した天武天皇(第40代天皇)になぞらえ、王権を我がものにした平家を倒して自らが天皇になる決意が述べられていた。

 結局のところ、この謀反はすぐに平家の知るところとなり、以仁王も頼政もあえない最期を遂げることとなる。結果的にこの一件だけみれば、彼らの起こした行動は平家にまったくダメージを与えられなかったが、この出来事きっかけに、源頼朝木曾義仲を始めとする反平家勢力が各地で勢いづくこととなる。その意味では、平家打倒の原動力となったという意味においては、以仁王の令旨は歴史的にみて実に大きな意義があったといえよう。


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by sakanoueno-kumo | 2012-11-22 23:57 | 平清盛 | Trackback(1) | Comments(0)  

Tracked from ショコラの日記帳・別館 at 2012-11-25 09:35
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