越前北ノ庄なう!

ケータイからの投稿です。

ただいま福井県は福井市にいます。
写真は北ノ庄城の復元模型。
北ノ庄城といえば、あの織田信長の妹・お市の方が、2人目の夫・柴田勝家と共に最期を遂げた場所として有名ですね。
勝家は天正11年(1583年)の「賤ヶ岳の戦い」で豊臣秀吉に敗れ、妻のお市と共に自害して果てますが、その際、城には火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失してしまったため、いまでは本丸の正確な位置もわかっていません。
写真の模型は本丸の推定位置とされている柴田神社に展示されているもので、この城跡を柴田公園と称して観光スポットになっています。
といっても、今日の私は観光のために福井を訪れたわけではなく、出張で来ているのですが、せっかくなので仕事の合間を縫って足を運びました。
残念ながら夜になっちゃったので、写真じゃわかりにくいですけどね。

柴田勝家の銅像です。

いかにも「鬼柴田」と呼ばれた勇猛果敢な戦国武将の面構えですね。

こちらはお市の方です。
戦国時代一の美女といわれたお市の像は、どこか寂しげな顔をしていました。

そんなお市を霊を慰める慰霊碑です。

お市の娘たち、お茶々、お初、お江です。
昨年の大河ドラマ『江~姫たちの戦国』で活躍した三姉妹ですね。
夜のバカチョンカメラでの撮影なので、ちょっと不気味な写真になっちゃいました(苦笑)。
今日、私は神戸から車で福井を訪れたのですが、北陸自動車道を走ってみて、あらためて勝家がなぜ秀吉に勝てなかったかがわかったような気がしました。
名神高速から北陸道に入ってすぐのあたりに長浜市がありますが、そこから高速を約1時間北上したところが福井市で、その間ずっとトンネルに次ぐトンネルで、ほとんどが山岳地帯でした。
天正10年(1582年)6月の清州会議から半年後の同年12月、越前にいる勝家が雪で動けないと見た秀吉は、勝家の甥である柴田勝豊の居城・長浜城を攻めて降伏させますが、なるほど、これほど険しい道程であれば、勝家が動けなかったのも頷けます。
長浜と越前は、現在では北陸道で約80キロほどの距離。
車でたかだか1時間ほどで移動できちゃいます。
もし、勝家の時代に北陸道があれば、歴史は大きく変わっていたかもしれません。
ちなみに今日の私は西宮から名神高速にのって、秀吉軍が明智光秀を下した「天下分け目の天王山」でお馴染みの天王山トンネルを抜け、京の都を横目で見ながら、彦根、長浜を通り過ぎ、越前は北ノ庄を訪れました。
その間、約3時間半の戦国ツアーでした。
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by sakanoueno-kumo | 2012-11-24 20:00 | 福井の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)
故あってこの秋より多忙な毎日を送っており、ブログの更新もサボりがちです。
貴ブログもときどき覗いてはいるのですが、コメントする余裕がなく、ご無沙汰している次第です。
時間があるときにゆっくり拝読したいと思っています。
倭寇ツアー、いいですね。
五島列島なんて、私には自ら足を運ばない限り縁のない場所です。
対馬にも一度言ってみたいのですが・・・もうちょっと歳食ってからじゃないと無理っぽいです。