八重の桜 第1話「ならぬことはならぬ」 ~什の掟~
会津松平家の初代藩主は徳川三代将軍家光の異母兄弟である保科正之。一昨年の大河ドラマの主人公・お江の夫・徳川二代将軍秀忠が女中に手を出して産ませた人物です。もっとも、秀忠存命中は正之を公式に実子と認めることはなく、その事実が公然となったのは秀忠の死後、家光の代になってからでした。一説には、恐妻家だった秀忠が妻・お江の嫉妬を恐れ、譜代大名の保科正光の養子としたともいわれますが、いかがなものでしょう。正之は謹厳実直で有能な人物だったといわれ、秀忠の死後、家光はこの異母弟をことのほか可愛がり、会津23万石に引き立てました。そして家光の死後はその遺命により、第4代将軍となった徳川家綱の補佐役となって幕政の安定に寄与していくこととなります。
慶安4年(1651年)家光は死の淵に臨んで枕頭に正之を呼び出し、「宗家(徳川家)を頼みおく」と言い残したそうです。これにたいそう感銘した正之は、のちに『会津家訓十五箇条』を定めました。その第一条に、「大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず、面々決して従うべからず。」と記されています。
意味は「徳川家への御恩を忘れることなく、ひたすら忠勤にはげみ、決して他藩の動向に流されてはならない。もし、徳川将軍家に対して逆意を抱くような会津藩主があらわれたならば、そんな者は我が子孫ではないゆえ、家臣は決して従ってはならない。」といったところでしょうか。つまり平たく言えば、「どんなことがあっても会津藩士は徳川家をお守りせよ!」ということですね。以降200年、会津藩主・藩士はこれを忠実に守り、そしてドラマの舞台である幕末を向かえました。そしてこの家訓が、会津藩の運命を決めることになります。
会津藩は教育熱心な藩風としても知られていました。会津藩士の子は皆10歳になると日新館に入学することが義務付けられていましたが、入学前の6歳から9歳までの子どもたちを10人前後のグループに分け、これを「什(じゅう)」と呼びました。子どもたちは毎日、什の仲間のいずれかの家に集まり、会津藩士としての心得を学びます。それが、有名な「什の掟」です。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
何年か前のベストセラー『国家の品格』の中で紹介されて全国的に有名になりましたね。現代でも福島県の子どもたちは皆、暗誦できると聞きます。江戸時代、什の子どもたちは毎日これを暗誦し、そして今日一日これに背いた者がいなかったか皆で反省会を行いました。そして掟に背いた者がいれば、子どもたちの間で話し合い、「竹篦(しっぺい)」などの制裁を決めたそうです。子どもたちに心得を持たせ、子どもたちの問題は子どもたちの手で解決させる。6歳から9歳といえば、今で言えば幼稚園から小学校低学年ですよね。そんな幼いときから徹底的に心得を叩き込み、藩士としての自覚を持たせる。藩あげての人材育成だったわけですね。現代の教育現場も見習うべきところがあるような気がします。
「什の掟」の7条のうち、最後の7条目を除いた6条は、現代でもまったくもって通用する心得ですし、昔に比べて現代人に欠落している心得ですね。もう一度教育の場で見直してみてもいいんじゃないでしょうか。なぜイケナイかという理屈ではなく、問答無用でダメなものはダメ。
「ならぬことはならぬ!」
躾の基本のような気がします。
そんなお国柄の会津藩で、八重は生まれ育ちました。その後の八重の人生に、会津の心得は大きく影響したであろうことは想像に難しくありません。
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by sakanoueno-kumo | 2013-01-07 03:05 | 八重の桜 | Trackback(2) | Comments(6)
どうでしたか?
で、まず、保科ですが、秀忠恐妻説について言えば、秀忠が正之に面会した時、既にお江与の方は亡くなっていたので、これは有り得ませんよね。
亡妻を深く愛していたか、正之にまったく愛情が無かったか、正妻の子に遠慮したか・・・だと思いますが、おそらく、その全部だったのではないでしょうか。
それから、「ならぬことはならぬものです」ですが、これは薩摩の「議を言うな!」に通じるものがあるでしょうか。
また、私の友人の会津人に言わせると、現代では骨子や精神を理解せずに安易にこれを使いたがる人たちもあるのだとか・・・。
第1話はなかなかの出来でしたよ。
まあ、過去のどの作品でも初回は力が入った出来でしたから、2話以降を見てみないとまだわかりませんね。
>秀忠が正之に面会した時、既にお江与の方は亡くなっていた
お江の存命中は怖くて会えなかったのかもしれませんよ(笑)。
あるいは、忠長のような末路になることを懸念していたとか。
>薩摩の「議を言うな!」に通じるものがあるでしょうか。
そうですね。
ツベコベ言うな!ということですね。
>現代では骨子や精神を理解せずに安易にこれを使いたがる
それでもいいんじゃないでしょうか?
骨子や精神をちゃんと理解していなくとも、言葉が子どもの心に響けばいいんじゃないかと。
「アカンもんはアカン!」
子どもの躾は単純明快なほうが深く浸透するように思います。
いつもレビューを楽しみに読んでいます。
昨年の「平清盛」は途中と言うか、すぐに挫折しました。
今年の「八重の桜」は
震災復興にかけた番組となっており最後まで盛り上がって
いて欲しいと思ってます。
また
今年もレビューを楽しみにしています。
お久しぶりです。
レビューを読んで頂いてたということで、たいへん嬉しく思います。
ありがとうございます。
そうですか・・・清盛は早々に挫折でしたか。
私的には結構面白かったんですけどね(苦笑)。
どうも、あの陰気臭い雰囲気が受け入れられなかったようですね。
「八重の桜」は、第1話を見る限りではよさそうですね。
来週が楽しみです。
今年は毎週更新とはいかないと思いますが、ぼちぼち続けていきますのでまた覗いてください。
いや、子供はそれで良いんですよ。問題なのは大人です。
都合が悪くなると、それを振りかざす人がいるらしいですよ。
ついでに、
お江与の存命中は怖くて会えなかったとしても、死んでから後は別に気にする必要はありませんよね。
なのに、秀忠は家光にも正之のことは何も伝えずに死にましたし。
忠長の末路も秀忠死後のことですから、そこまで慧眼を要求するのは酷じゃないですか?
>都合が悪くなると、それを振りかざす大人
なるほど、たしかに大人にとっては逃げ口上としても便利な言葉かもしれませんね。
> 忠長の末路も秀忠死後のことですから
たしかにそうですが、秀忠存命中から兄弟の確執は深まりつつあったとも言われますし・・・。
いずれにせよ、正之の存在をしった家光が、あんなにも異母弟を可愛がることになろうとは、生前の秀忠も思わなかったでしょうね。















