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八重の桜 第11話「守護職を討て!」 ~佐久間象山暗殺~

 元治元年(1864年)7月11日、当時のわが国でもっとも開明的な知識人だったであろう、佐久間象山暗殺されました。享年54歳。象山は、これより遡ること10年前の嘉永7年(1854年)、来航したペリー艦隊に乗り込んで密航を企てた門弟の吉田松陰に連座して蟄居させられており(参照:第2話)、その罪が許されたばかりでした。

 信濃国松代藩士の佐久間象山は、儒教を東洋の道徳、科学を西洋の芸術と称し、この2つの学問の融合をはかり、早くから海防の必要性を説き、開国を論じ、公武合体を説きました。彼の論じるところは、分裂した国論を統一し、それによって国権の伸長をはかり、五大州をわが手に収め、その盟主となって、全世界に号令するという、実に気宇壮大なものでした。そんな象山の知識を吸収しようと、全国各地の優秀な人材が彼のもとに集いました。

 一方で、象山は自信過剰傲慢なところがあり、たいへん敵が多かったといわれています。彼の門弟であり義弟にもあたる勝海舟ですら、後年の回顧談で傲慢な象山のことをあまり高く評価していません(もっとも、海舟もまた、一癖も二癖もある人物ではあったようですが)。身分制度の厳しい封建社会において、若い頃より上者に対しても自身の意見を曲げず、不遜な態度がたびたびあったようで、何度か閉門などの罰を受けています。おそらく、自分以外の者がすべて馬鹿に見えるといった性格の持ち主だったのでしょうね。ただ、彼がこの時代の先覚者として、実に優れた人材であったことは間違いなく、彼の門弟からは、上述した吉田松陰や勝海舟をはじめ、橋本左内河井継之助、八重の兄の山本覚馬、さらにはあの坂本龍馬など、のちの日本を担う人物が数多く輩出されています。彼の存在が、幕末の動乱期に多大な影響を与えたことは紛れもない事実でしょう。

 蟄居がとかれた象山は、元治元年(1864年)3月、一橋慶喜(のちの第十五代将軍・徳川慶喜)に招かれて上洛し、朝廷内に公武合体論や開国論を説いてまわります。しかし、当時の京都のまちは、前年の「八月十八日の政変」によって尊攘派は表立った行動ができなくなっていたとはいえ、未だ尊攘派志士たちが数多く潜伏しており、勢力の奪還をはかっていました。そんななかを、象山は馬上洋装で都大路をさっそうと闊歩していたといいますから、その姿が尊攘派にとって格好のターゲットとなったことは想像に難しくありません。しかも、共も連れずに移動することもしばしばだったとも・・・。このあたりも、彼の自信過剰な性格を表しているといえるでしょうか。

 都で目立ちすぎた象山は、7月11日午後5時、刺客のために非業の最期を遂げました。刺客は、肥後の河上彦斎、隠岐の松浦虎太郎の二人だともいわれていますが、確たる証拠はありません。象山が殺された現場には、次のような斬奸状が残されていました。

 松代藩 佐久間修理
 この者、元来西洋学を唱え、交易開港の説を主張し、枢機の方へ立入り、御国是を謝り候。大罪捨て置き難く候の処、あまつさえ奸賊の会津藩、彦根の二藩に与党し、中川宮と事を謀り、おそれ多くも九重(天皇)御動座、彦根城へ移し奉り候。儀を企て、昨今しきりにその機会窺い候。大逆無道、天地に容るべからざる国賊に付、即ち、今日三条木屋町に於い、て天誅を加え畢りぬ。但し、斬首梟木に懸くべき処、白昼其の儀も能わざる者也。
 元治元年七月二十一日  皇国忠義士


 象山の死後、彼の妾が生んだ恪二郎家禄を相続すべく松代藩に申し入れますが、藩はこれを受け入れず、佐久間家の家禄を召し上げました。その理由は、殺された象山が背中に深傷を負っていることにふれ、「敵に背中を見せるとは、武士としてあるまじきことなり。」というものだったそうです。むろん、これが真の理由でなかったことは言うまでもありません。真の理由は尊攘派に対する体裁だったことは間違いないでしょうが、もし、象山が日頃から敵が多い人物でなければ、また違った扱われ方をしたかもしれませんね。最後は人格がものをいう、といったら、少し酷でしょうか。

 ドラマではおそらく描かれないでしょうが、相続を退けられた象山の息子・佐久間恪二郎は、八重の兄・山本覚馬に仇討ちを勧められて、新選組に入隊します。でも結局は、父譲りの傲慢な性格が露呈して上層部から目をつけられ、隊を脱走することになるんですね。明治維新後は「象山の息子」であることを利用して司法省に出仕するも、警察官との喧嘩沙汰で免職となります。父は傲慢ではあったものの、時代の先覚者としての裏付けがありましたが、恪二郎は傲慢なだけのただのドラ息子だったようです。後進に多大な影響を与えた象山でしたが、自身の息子には悪影響しか与えていなかったようですね。

 話がすいぶんとそれちゃいました。本日はこのへんで・・・。


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by sakanoueno-kumo | 2013-03-18 23:43 | 八重の桜 | Trackback(2) | Comments(2)  

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Commented by 信州人 at 2015-03-21 22:33 x
殺された象山の首が晒されたというのは間違いではないですか?
「但し、斬首梟木に懸くべき処、白昼其の儀も能わざる者也。」
つまり、さらし首にはできなかった、という意味ではないですか?
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-03-22 01:45
< 信州人さん

あれ?
言われてみれば、確かにそうですね。
でも、たぶんこのとき、何かの本を資料に書いたはずなんですが・・・。
いま、ネットで検索してみても、わたしと同じ間違いを紹介しているサイトがけっこうありますね。
ご指摘ありがとうございます。
記事は修正させていただきます。

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