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高田屋嘉兵衛の石灯籠と平経俊之墳

昨日紹介した神戸市中央区にある鎮守稲荷神社には(参照:通勤途中の桜の木の下で思う、アベノミクス効果による春の訪れ。)、高田屋嘉兵衛が献上したと伝わる石灯籠があります。
高田屋嘉兵衛は江戸時代後期の豪商で、あの司馬遼太郎著の小説『菜の花の沖』の主人公として広く知られていますよね。

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千五百石の大船・辰悦丸蝦夷地経営へ乗り出し、廻船業で富を築いた嘉兵衛は、幕府が行ったロシア軍艦のゴローニン艦長幽囚事件の報復でロシアにとらえられ、一身を投げ出して事件を解決させたことでも知られています。
嘉兵衛は淡路島出身の人物ですが、このすぐ近くに高田屋本店の跡地があり、神戸市兵庫区とは深い縁があります。

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案内看板によると、この石灯籠は文政7年(1824年)に海上交通安全を願って鎮守稲荷神社に嘉兵衛が献上したものだそうです。
文政7年というと、嘉兵衛はすでに淡路に引退しているのですが、育ててくれた兵庫を忘れることはなかったのでしょう。
嘉兵衛の西出町を思いやるこころが感じられます・・・と看板にあります(笑)。

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同じく鎮守稲荷神社の境内には、平経俊塚があります。
平経俊は平清盛の甥で、一の谷の合戦で華と散った平敦盛の兄にあたります。
弟は有名ですが、兄はイマイチ知られていませんね。

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ですが、経俊も弟と同じく一の谷の合戦で落命しました。
有名な源義経鵯越逆落しで混乱した平家軍において、従兄弟の平知盛軍に属していた経俊も、たまらず長田の森から西出の浜に敗走、海に向かう途中のこの地で郎党に討たれたとされています。

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経俊の記述は「平家物語」にもほとんどありません。
名を上げる前の悔しくも悲しい死だったようです。

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昨日もいましたが、この鎮守稲荷神社は神戸の中心部であるハーバーランドのすぐ近くにあり、向かいは国道2号線、上には阪神高速道路が走るオフィス街で、車を走らせていると見逃してしまいそうなほどの小さな神社です。
高田屋嘉兵衛と平経俊。
600年以上違う時代を生きた二人ですが、そんな見逃してしまいそうな小さな神社の境内に、ひっそりと名を連ねています。


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by sakanoueno-kumo | 2013-04-02 18:44 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)  

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