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八重の桜 第14話「新しい日々へ」  〜岩倉具視登場〜

 岩倉具視が出てきましたね。岩倉卿といえば、現在40歳代以上の人は、まず500円札を思い出すでしょう。その肖像の人相が悪かったこともあってか、明治維新の元勲のひとりでありながら、後世にあまり人気がありませんね。かく言う私も、子供の頃は500円札を見て、「目つきの悪いガマガエルオヤジ」だと思っていました。実際にはどんな人物だったのでしょう。

 岩倉具視は下級公家の出身でしたが、1858年(安政5年)、幕府が日米通商条約締結の勅許を朝廷に求めてきた際、岩倉は幕府の苦境に乗じて朝廷の権威回復を図ろうと考え、中山忠能をはじめ条約調印に反対の考えを持つ公卿88人に呼びかけ、勅許を阻止すべくデモを起こします(八十八卿列参事件)。本来、朝廷内での列参(デモ行為)は許されていませんでしたが、岩倉はそんなことは一切頓着せず、このとき彼は、一晩で100人以上もの公卿のもとに訪問して説得して回ったといいますから、公卿には珍しい豪胆な人物だったことがうかがえます。結果、岩倉の起こした運動は受け入れられ、幕府大老・井伊直弼の独断での条約調印となってしまうんですね。これが、幕末動乱の銃爪になっていったのは、これまでのドラマで観てきたところです。

 その後、幕府と朝廷の対立が深まると、今度は「公武合体論」を掲げて幕府と朝廷の仲介に乗り出します。それが、孝明天皇(第121代天皇)の妹・和宮親子内親王と第14代将軍・徳川家茂との婚姻でした。これを機に岩倉は、「公武一和」を天下に示すべきとし、政治的決定は朝廷、その執行は幕府があたるという体制を構築すべきだと画策しますが、ことは思うように運ばず、あまりにも派手に立ち回り過ぎたため、尊攘派の志士や廷臣の反発を買って失脚、京都の北に位置する岩倉村に隠遁せざるを得なくなります。そこでの生活は困窮を極めたものだったといいます。

 蟄居生活約5年、慶応元年(1865年)あたりから、次第に反幕派の志士たちが岩倉のもとを訪ねるようになり、土佐藩士・坂本龍馬、同・中岡慎太郎、薩摩藩士・大久保利通らとの交流を重ね、やがて政界復帰の準備をはじめます。本話で大久保と面会していた場面がこの頃ですね。大久保と岩倉は、こののちの王政復古から明治維新にかけて、深く関わっていくことになります。そういえば、岩倉同様、大久保も後世に人気がありませんよね。ふたりとも権謀術数の人というイメージが強いからでしょうか。マキャベリストという点で言えば、この時期の西郷隆盛も大同小異なんですが、どうもこの二人は人気がない。やはり、人相が大いに影響しているでしょうね(笑)。少々気の毒な気がしないでもないです。

 事実、権謀術数をたくみに操った人ではあったのでしょうが、明確な意思表示を避けて遠回しな表現を好む公卿たちのなかにおいて、岩倉のような豪胆な人物が公家社会にいたことが、明治維新の追い風になったことは間違いありません。もうちょっと評価してあげてもいいような気もしますね。


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by sakanoueno-kumo | 2013-04-08 23:42 | 八重の桜 | Trackback | Comments(4)  

Commented by 高木一優 at 2013-04-10 15:22 x
京都に旅行したとき岩倉へ行ったことがあります
岩倉実相院を拝観したあと、近くにある岩倉具視隠棲の地にも立ち寄りました
あまりにも小さな家屋であり京都といっても北のはずれですから、その困窮ぶりが伺えました
今回の岩倉の登場シーンは岩倉村の寒々とした温度と、岩倉具視の熱い情熱が対比されてなかなか見せてくれました
Commented by sakanoueno-kumo at 2013-04-10 22:58
< 高木一優さん

コメントありがとうございます。
私は岩倉実相院も岩倉具視幽棲旧宅も、一度も行ったことがありません。
宝ヶ池のあたりまでは、よく仕事で行くんですけどね。
ぜひ一度訪れてみたいと思います。

おっしゃるとおり、ドラマでの岩倉村は上手く演出されていたと思いますが、小堺一機さんの岩倉具視は、これまでになく人のよさそうな岩倉具視ですね。
もっとも、これまでの岩倉像が余りにも悪すぎたのかもしれませんが・・・。
Commented by heitaroh at 2013-04-26 18:50
>「目つきの悪いガマガエルオヤジ」

加山雄三の先祖だとは思えませんか?(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2013-05-02 23:54
> heitarohさん

恥ずかしながら、岩倉具視が加山雄三の先祖に当たることをいま知りました(笑)。

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