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東京オリンピック開催決定を日本再生の活力に!

東京オリンピックの2020年開催決定の話題で盛り上がっていますね。
石原慎太郎前東京都知事が2006年に提唱して以来、実に7年越しの招致活動が実ったわけですが、開催まであと6年ありますから、実質13年間の準備期間となります。
たった2週間ほどのイベントの準備に13年ですから、あらためて五輪とは大変なものなんだなあ・・・と感じさせられますね。
なにはともあれ、この7年間につぎ込んだ莫大な予算や労力が無駄にならずに良かった良かった(笑)。
マドリードなんて、3度目の落選ですからねぇ。
ちょっと、気の毒な気がしないでもないです。

巷では、東京オリンピック開催決定を受けて賛否両論の声が飛び交っているようですが、もう決まった以上、いまさらネガティブキャンペーンをしてもしかたがありません。
昭和39年(1964年)に行われた前回の東京オリンピックを前後して高度経済成長を遂げたかつての日本のように、今回の東京オリンピック開催を平成日本再生の起爆剤にすべく、知恵を絞ってほしいですね。
あと、東京一極集中型のバブルにならないよう、オリンピックの波紋を日本全国に広げてほしいものです。
そこは安倍晋三首相の手腕に期待したいところです。

さて、とにもかくにも2度目の東京オリンピック開催が決定したわけですが、実は東京オリンピック招致を勝ち取ったのはこれで3度目だというのをご存知でしょうか?
最初の招致は先の東京オリンピックより遡ること四半世紀前の昭和15年(1940年)のことでした。
真珠湾攻撃の前年ですね。
日本が日中戦争・太平洋戦争に突入するずっと前の昭和5年(1930年)、当時の東京市長が昭和15年(1940年)に行われる第12回大会への招致の意向を表明し、昭和11年(1936年)にみごと開催権を獲得しました。
当時は、アジア圏はもちろん、有色人種の国家で五輪が行われること自体、あり得ないほど画期的なことでした。
ところが翌年の7月に日中戦争が勃発。
その戦火は年が明けても拡大する一方だったため、政府内でも開催の是非についての議論が出始め、結局、涙をのんで大会開催の返上を決定したそうです。
いまから70年以上前のことです。

その後、第二次世界大戦に敗北した日本は、しばらく連合国軍による統治下となりますが、昭和27年(1952年)のサンフランシスコ講和条約で独立を果たすと、すぐさま、五輪招致を目指すことを決めました。
当時の東京都知事いわく、「青少年に希望を与える目的」とのことだったそうです。
それから12年後に、かの東京オリンピックが開催されたわけですが、幻に終わった戦前の東京開催から数えれば、実に30年以上の悲願が実現したわけですね。
当時わたしはまだ生まれていませんでしたが、そういう歴史的背景を見れば、当時を知る人が今でも目を輝かせて先の東京オリンピックの話をするのが、なんとなくわかるような気がします。
本当に当時の青少年たちにしてみれば、まさしく「希望」だったんでしょうね。

いま、東日本大震災の復興もままならない日本で、オリンピックなどに金を使ってる場合か!!!・・・という意見もわからなくもないです。
たしかに、被災者の方々にしてみれば、どうでもいいことかもしれません。
でも、そう言ってしまえば何も出来なくなってしまいます。
この東京オリンピックが、はたしてわが国の今後にどう影響するか、どのような効果をもたらしてくれるかはわかりませんが、かつて敗戦国の日本がオリンピックに未来の「希望」を見たように、閉塞感が拭い切れない平成日本を再生する活力となり得ると思いますし、盛り上げていくべきだと思います。
これから考えるべきは、これをどう活かすか・・・ではないでしょうか。

先の東京オリンピックの3年後に生まれた私にとっては、はじめての国内夏期五輪開催で、私の生きている間にもう一度日本に五輪がやってくることは、おそらく九分九厘ないでしょうから、最初で最後の自国夏季五輪となるでしょう。
楽しまなきゃ損ですね。


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by sakanoueno-kumo | 2013-09-11 23:03 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)  

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