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八重の桜 第37話「過激な転校生」 ~熊本バンドと悪妻・八重~

 熊本バンドが登場しましたね。「バンド」とは、キリスト教を信仰し、その布教と教育活動をする結盟集団のこと。彼らは明治4年(1871年)に創設された熊本洋学校の出身者たちで、アメリカ人のリロイ・ランシング・ジェーンズという軍人講師から学び、洗礼を受けていました。熊本は以前から、横井小楠らの影響もあって西洋の知識を学ぶことには先進的な考えがありましたが、キリスト教にはまだまだ寛容ではありませんでした。

明治9年(1876年)、熊本洋学校の生徒35名が花岡山で集会を開き、キリスト教によって日本を導こうという奉教趣旨書に署名、誓約します(花岡山事件)。ところが、これが世間から大きな反発を買い、結果、熊本洋学校は廃校、ジェーンズも解雇になります。行き場を失った生徒たちのために、ジェーンズは同志社英学校で受け入れてほしいと手紙を書き、その要請を受けた新島襄は受け入れを快諾します。ところが、これが襄にとって思わぬ試練となるんですね。その理由は、彼ら熊本バンドが求める教育レベルにありました。

 熊本バンドと同志社の学生たちとの学力の差は歴然たるものでした。熊本バンドの面々は熊本洋学校時代にジェーンズから英語での授業を受けており、日本語での講義で英訳するといった同志社の授業のレベルに不満を覚えます。現代の学力でいえば、中学生と大学生が一緒に授業を受けているようなものだったでしょうか? 不満が出るのはやむを得ないことだったでしょうね。やがてその不満は校長である襄に向けられました。成績優秀な生徒に教師が軽んじられるという、学校としての秩序を崩しかねないこの状況を、襄はどのように克服したのでしょうか。

 不満を募らせた熊本バンドの面々は、襄に同志社の改革案を提示します。この改革案は、彼らから相談を受けたジェーンズのアドバイスだったそうです。ジョーンズ曰く、「不満があるならば、まず自分たちで改革しなさい」と。同志社を辞めようとまで考えていた彼らは、ダメ元で襄に改革案を示しますが、これを受けた襄は大いに喜び、彼らの提案をすんなり取り入れたそうです。学校運営に試行錯誤していた襄にとっては、彼らの提案は願ってもないことだったのかもしれません。自分たちの意見など聞き入れられないと思っていた熊本バンドの面々は、襄の懐の深さに感服し、同志社英学校に残ることを決意しました。襄の人間性が彼らの心を掴んだんですね。ある意味、教師のあるべき姿といえるかもしれません。

 熊本バンドと八重の関係も芳しくなかったようですね。ドラマ中、徳富蘇峰が八重のことを鵺(ぬえ)と呼んでいましたが、実際にもそうあだ名していたと後年の蘇峰が語っています。鵺とは、平安時代に源頼政が討ち取ったと伝えられる伝説の怪物で、頭はで、胴は、尾は、手足はという正体不明のバケモノのことです。つまり、八重はバケモノだと言うわけですね。というのも、この頃の八重の格好は、衣服こそ和装であったものの、頭には西洋帽子を被り、を履いていました。当時、政府は文明開化の名のもとに洋式化を推進しましたが、明治も10年ほどしか経過していないこの頃では、まだまだ日本人のほとんどが和服であり、とくに洋装する女性は皆無でした。そんななか、和洋折衷の奇妙な格好をする八重は、まさしく鵺というあだ名がピッタリだったのでしょうね。

 八重への批判は服装だけでなく、その振る舞いも攻撃の対象となりました。夫を「ジョー」呼び捨てにする。夫と人力車に相乗りする。それも、襄が手を差し伸べて八重を先に乗せている。街なかを夫と並んで歩く。などなど、レディーファーストの欧米社会では当たり前の行為ですが、男尊女卑の日本では驚天動地の光景だったのでしょう。もちろん、これらはすべて襄が望んでいたことでしょうが、学生の彼らの目には悪妻としか映らなかったようですね。徳富蘇峰はその自伝で、当時のことをこう回顧しています。

 「新島先生夫人の風采が、日本ともつかず、西洋ともつかず、所謂る鵺(ぬえ)の如き形をなしてをり、且つ我々が敬愛してゐる先生に対して、我々の眼前に於て、余りに馴れ々しき事をして、これも亦た癪にさはった」

 襄はその人柄で、熊本バンドの面々の心を瞬時に掴みましたが、八重と彼らの対立関係はずいぶんと続いたようです。蘇峰と八重がお互いをわかりあったのは、襄の死後だったとか。ドラマでは、早くも心通じあったような感じでしたけどね。秀才で自尊心の高い面々だったから、なおさら自己主張の強い八重とはそりが合わなかったのでしょうね。それにしても、鵺とは上手くあだ名したものです。


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by sakanoueno-kumo | 2013-09-19 00:02 | 八重の桜 | Comments(3)  

Commented by heitaroh at 2013-09-19 11:16
またまた、貴兄の癪に障るかもしれませんが、私は今回ほど見てて、殆どが早送りで終わった回も珍しいですね。
だって、単なる同志社の宣伝動画じゃないですか。
卒業生でもない以上、創業当時にどういう在校生がいたとか、まったく興味ない話です。
別に、立命館の肩を持つわけでもありませんけどね(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2013-09-21 21:58
< heitarohさん。

おっしゃりたいことはわからなくもないですが、新島八重という人物を主人公とした物語である以上、この辺りからが本編で、むしろ、会津戦争までの物語はすべてプロローグだったわけで・・・(長いプロローグですけどね・・・笑)。
八重や襄の回顧録に基づいたドラマを作ると、この同志社創設当時のエピソードも、避けて通れない話なのでしょう。
たぶん、徳富蘇峰がこのあとの物語に大きく関わってくるでしょうしね。

でも、おそらく卒業生でも興味ないと思いますよ(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2013-09-21 21:59
< nanashiさん

申し訳ありませんが、不適切なコメントと判断したため削除させていただきました。

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