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八重の桜 第39話「私たちの子ども」 ~同志社女学校開校と徳富初子~

 明治8年(1875年)に開校した同志社英学校男子校でした。しかし、欧米の教育を受けてきた新島襄は、女子の教育機関も設立すべきと考えていました。そこで彼は、アメリカの伝道会社に女性宣教師の派遣を要請し、アリス・ジェネット・スタークウェザーという女性が来日します。彼女は、八重が洗礼を受けた宣教師・ジェローム・ディーン・デイヴィスの邸に寄留し、明治9年(1876年)10月、八重とともに4~5人の女子学生を集め、英語教育を始めました。そのなかに、山本覚馬の娘・みねもいました。

 当初は同志社分校女紅場と称したそうですが、「女紅場」とは、あくまでも殖産のための学問所で、襄の目指す学校は男子と同じ知識教育でした。翌、明治10年(1877年)4月に京都府から「女紅場」ではなく「女学校」として認可され、同年9月に、正式に同志社女学校が開校します。現在の同志社女子大学の前身ですね。

 校長は男子校と兼任で襄が務めました。また、八重も小笠原流の礼法を教える教員として勤務します。校舎は常盤井殿町にあった二条関白御殿に置かれました。建物は2階建てで、2階が寄宿舎となっており、八重の母・佐久が舎監を務めたそうです。襄校長の妻が教員で義母が宿舎の舎監、義兄は学校設立の後見人で姪が学生という、新島一家総出で学校を運営していたんですね。これぞ、まさしく私立学校です。

 ドラマで、アリス先生に対してすごい剣幕で反抗していたのは、徳富蘇峰の姉・徳富初子ですね。彼女は熊本バンドの面々と一緒に熊本洋学校で学んできており、弟に勝るとも劣らない優秀な学生だったようですが、男のなかに混じって学んできただけあってか、気の強さもハンパじゃなかったようで、ドラマのとおりのアマゾネスだったようです。そんな初子の逸話を少しだけ。

 あるとき、初子に縁談話が持ち上がります。話を持ってきたのは蘇峰だったとか。この話を受けた初子は、見合いの席を待つことなくひとりで相手の男のところへ出向き、初対面の相手に面と向かって「あなたは一夫一婦についてどう考えますか」と質問したそうです。相手は驚いたでしょうね。時代はまだ、一夫一婦制が定着していなかった時代、妾の数も男の甲斐性でした。いきなりの質問を受けた男は、「いずれは女の一人や二人は持ちたいものだ」と答えたところ、初子は怒って家に帰ってしまいます。そして、せんべいを食べながら「失礼千万な男だ!」と貶したとか。八重といい、この初子といい、明治の女性が皆、慎ましやかだったわけではないんですね。いうまでもなく、この縁談話は不調に終わりました。ちなみにこのときの相手の男は、のちの内閣総理大臣・犬養毅だったそうです。逃した魚は大きかったですね(笑)。

 本話は特筆すべきことがなかったので、ちょっと、よもやま話でした。


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by sakanoueno-kumo | 2013-10-01 23:07 | 八重の桜 | Trackback | Comments(0)  

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