八重の桜 第46話「駆け落ち」 ~山本覚馬の娘たち~
夫の時雄はその後再婚し、新島襄の死後、同志社の第3代総長となり、明治36年(1903年)には衆議院議員になります。しかし、明治42年(1909年)に汚職事件で有罪判決を受けて辞職。その後もパリ講和会議に出席するなどの活躍はありましたが、昭和2年(1927年)に脳溢血で死去します。享年70歳。
覚馬と後妻・時栄の間に生まれた三女・久栄は、母が離縁されたあとも山本家に残ります。そしてその後、徳富蘇峰の弟で、当時同志社の学生だった徳富健次郎(蘆花)とのラブロマンスがあったというんですね。このエピソードは、蘆花が40歳を過ぎて書いた自伝小説『黒い眼と茶色の目』に記されている話です。物語によれば、横井時雄を介して知り合った健次郎と久栄は、みねの死後に急接近し、やがて結婚を誓い合う関係になったそうです。しかし、二人の関係が知れるや、時雄をはじめ新島襄、八重夫妻らから猛烈な反対を受け、結果、二人は引き裂かれます。その後、自暴自棄になった健次郎は、同志社を中退して京都を逃げるように離れた・・・と。
これは小説のなかで描かれた話であり、蘆花サイドからの一方的な追憶ですから、どこまでが事実かは定かではありません。あるいは、蘆花の一方的な片思いだったかもしれませんね。30歳を過ぎて学生と不倫ができるほどの魅力をもった母の娘ですから、おそらく久栄も魅力的な少女だったのでしょう(現存する写真を見ても、たしかに可愛い顔をしていますね)。
「今年、数え年の十七になった寿代(久栄)さんは、木屋町時代よりも身長もずっと伸び、一体に肉づいて、小さな渦の入る顎、肩のあたり、ぽちゃぽちゃした手の甲まで軟らかなる円みを帯びて来た。その茶色の眼は睫の下にうっとりと眠るかと思えば、とろとろと人を溶かす媚を含み、またたちまち睫を蹴って、いなづまのように光った。淡褐色の頬に時々薔薇のような紅潮が上った。」
小説『黒い眼と茶色の目』のなかで、蘆花が久栄を表したくだりです。この文章を読めば、いかに彼が彼女にゾッコンだったかがわかりますね。
その後、久栄は結婚することなく、父・覚馬が亡くなったすぐあとの明治26年(1893年)、23歳という若さでこの世を去ります。みねといい久栄といい、なぜか覚馬の娘はふたりとも幸薄い運命だったようです。
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by sakanoueno-kumo | 2013-11-18 20:53 | 八重の桜 | Trackback(1) | Comments(0)

今回は徳富健次郎と久栄の恋心がメインという感じか。 だんだんとホームドラマになってきているような・・・。 なかなか八重に心を開かない久栄に対して、八重は北海道への旅行ついでに日向ユキと再会し、自分の思った通りに進めばいいということを再確認。 わからないけど、八重は率先してみんなを引っ張っていくようなタイプだったのだろうか。 久栄の異母姉であるみねは24歳の若さで早世。 どう...... more