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神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~

昨年8月、娘の夏休みの自由研究に付き合って、わがまち神戸市の古墳めぐりをしたのですが、せっかくなので、そのときのことを私もブログネタにしようと思います(小学生の勉強内容を大人のわたしがパクるというのもどうかとは思いますが・・・笑)。
といっても、日本史が好きな私ではありますが、考古学はまったくの門外漢でして、古墳の知識はまったくありません。
したがって、ここで紹介する内容は、ほとんどが古墳めぐりの本や現地説明看板をにわかにつまみ読みしたものですので、あるいは間違った情報や解釈もあるかもしれませんが、その点はご容赦ください。

神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~_e0158128_1923390.jpg最初に紹介するのは、兵庫県下最大の古墳である「五色塚古墳」です。
別名「千壺古墳」とも呼ばれるこの古墳は、全長194mとたいへん大きな前方後円墳で、明石海峡をのぞむ見晴らしの良い台地の上に築かれています。
全長194mというのは、全国的にみると40番目前後の大きさだそうですが、同じ時期のものだけと比べると、奈良県北部の大王墓(佐紀古墳群)と肩を並べるほどだそうで・・・。

海の向こうに見えるのが淡路島で、巨大な吊り橋は明石海峡大橋です。
現代の建築技術の粋を集めた夢の架け橋と、古代の技術の粋を集めた巨大前方後円墳の融合ですね。
(いうまでもなく、この写真は私の撮影ではありません)

五色塚古墳に関する最も古い記述は『日本書紀』のなかにあるそうで、それによれば、仲哀天皇(第14代天皇)の死後、二人の皇子、麛坂皇子(かごさかのみこ)と忍熊皇子(おしくまのみこ)が、神功皇后に政権を握られることを快く思わず(二人の皇子は神功皇后の子ではない)、朝鮮遠征から帰国する皇后を迎え討つために軍船を明石海峡に浮かばせましたが、そのままではクーデターがバレてしまうので、仲哀天皇の墓をつくるための葺石を淡路島から運搬する船に見せかけるため、この墓を造った・・・とあるそうです。
つまり、五色塚古墳は仲哀天皇の偽墓で、実は何も埋葬されていない・・・と。
実に手の込んだ嘘ですよね。
(神功皇后とは、実在性が濃厚な最古の天皇とも言われる応神天皇の生母で、この人が卑弥呼ではないかという説もある人物です)

神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~_e0158128_19111824.jpg

しかし、発掘調査によれば、偽墓というにはたいへん丁寧に造られており、また、石室の石材も出土していることから、偽物とは考えづらいとされています。
石室のなかの発掘調査はしていないので、副葬品などは不明だそうですが、出土したたくさんの埴輪などから、4世紀後半に造られたものと推定されているそうです。
ここに葬られている人物ははっきりとわかっていませんが、明石海峡の海陸交通要衝の地を支配した豪族ではないかと考えられているそうです。

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現在見られる多くの古墳は、木が茂って森のようになっていますが、ここ五色塚古墳は、当時の姿を忠実に再現しようと、昭和40年から10年の歳月をかけて発掘、復元工事が行われました。

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三段に築かれた古墳の表面は約223万個の葺石で覆われ、各段の平坦面といちばん上には出土した鰭付円筒埴輪鰭付朝顔形埴輪のレプリカが、約2000本も立て並べられています。
上二段の斜面の葺石は、発掘された石をそのまま使用しているそうですが、その石を分析の結果、日本書紀の記述どおり淡路島の東海岸から運ばれてきたものとわかったそうです。

神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~_e0158128_191651.jpg

前方のすぐ南には、山陽電鉄JR山陽本線、そして国道2号線が並走しています。
さらにそのすぐ南は、いまは埋め立てられていますが、ほんの十数年前まではでした。

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後円部から撮影した古墳南西に見える明石海峡大橋です。

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まさか、こんな巨大な橋が出来ようとは、埋葬されている古代人もビックリでしょうね(笑)。

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東側の堀の中にある一辺20m、高さ2mのマウンドです。
かつては斜面に古墳と同じように葺石があったと考えられ、また埴輪が立てられていたと考えられているそうです。
何のためのものかは、説明看板がなかったのでよくわかりません。

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後円部のすぐ西隣りには、小壺古墳と呼ばれる円墳があります。
直径70m、高さ約8.5mの二段に築かれた円墳で、斜面に葺石はありません。
造られた時期は、出土した埴輪などから五色塚古墳と同時代と考えられいるそうです。
どちらが先に造られたかはわかりませんが、あるいは深い関連性があるのかもしれませんね。

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というわけで、まずは兵庫県下でもっとも有名な五色塚古墳と、お隣の小壺古墳でした。
そんなこんなで、気が向いたときの「その2」につづきます。



神戸の古墳めぐり その2 ~吉田王塚古墳~
神戸の古墳めぐり その3 ~狩口台きつね塚古墳~
神戸の古墳めぐり その4 ~処女塚古墳・西求女塚古墳・東求女塚古墳~
神戸の古墳めぐり その5 ~大歳山遺跡公園・舞子古墳群~

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by sakanoueno-kumo | 2014-03-13 19:38 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2014-03-13 22:09
この古墳は立地からいって戦国時代は砦として利用されていたのではないですか?これだけの要地、確保しないほうがおかしいようにさえ思えます。
Commented by sakanoueno-kumo at 2014-03-14 13:41
< heitarohさん

そうでしょうね。
海に面した高台に築かれ、周囲には深くて大きな濠がめぐらされてますから、砦としては充分すぎる条件が揃っていますからね。
ただ、発掘調査による出土品のなかに弾丸などがあったとは書いていませんでしたので、実際にここで戦闘が行われたかどうかはわかりません(砦として利用したという文献が残っているという話も聞きませんでした)。

江戸時代には様々な人がここを訪れ、絵や文章や歌などの記録を残しているそうです。

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