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軍師官兵衛 第18話「裏切る理由」 ~荒木村重の謀反~

 とうとう荒木村重が決起しちゃいましたね。村重が織田信長に対して叛旗を翻したのは天正6年(1568)10月、三木城主の別所長治が毛利方に寝返ってから約半年後のことでした。これまで村重は、石山本願寺攻めを担当していましたが、この年の2月、信長の命により本願寺顕如との和睦交渉を行うも失敗に終わり、その後、播磨攻略を目指す羽柴秀吉のもとに援軍として派遣されていました。秀吉軍に加わった村重は、上月城の戦い、神吉城攻め、そして三木城攻めと、続けざまに参戦していましたが、何を思ったのか、突如戦線を離脱。職場放棄して居城の有岡城に帰ってしまいます。

 さすがの信長も、これには大いに驚いたようで、かなり狼狽していたと、ルイス・フロイスの記述にあります。どうやら村重の謀反は、信長にとってまったくの寝耳に水だったようですね。なんとか村重を思い止まらせたい信長は、明智光秀松井友閑万見重元らを使者として村重のもとに送り込み、「(村重の)母親を人質に出せば、この一件は水に流す」とまでいいます。鬼の信長にしてみれば、これ以上ない譲歩といえます。

 光秀らと面会した村重は、一度はその説得に翻意し、信長に面会して釈明すべく安土城に向かいますが、その道中、家臣の中川清秀の居城である茨木城に立ち寄ったところ、「信長の気性からして、一度疑われた者は、いずれ滅ぼされるのは必至。このうえは信長と戦うべし」と進言され、結局有岡城に引き返してしまいます。これで、村重の謀反は決定的となりました。このあたり少し違いますが、大筋はドラマのとおりです。

 本話のタイトルは「裏切る理由」ですが、村重が謀反を起こした理由については、様々な説があります。ある説によれば、石山本願寺との和睦交渉の際に本願寺顕如と懇意になり、その縁で足利義昭とのパイプもでき、その両者からの要請があったため・・・といわれますし、また別の説では、家臣の中川清秀が密かに石山本願寺に兵糧を横流ししており、それが信長に発覚しかけたため、その処罰を恐れての決起だった・・・ともいいます。他にも、石山本願寺攻めの担当から外されて秀吉の配下に下ったことへの不満・・・とか、あるいは単純に、織田氏より毛利氏に分があると考えたから・・・などなど、どれもありそうな話ですが、どれも想像の域を出ません。

 ドラマでは、そんないろんな要素が積み重なった複雑な心理状態をうまく描いていましたね。わたしが思うに、いうなれば一種のノイローゼ、現代でいえば「うつ病」のような精神状態だったのかもしれません。実際に、石山本願寺攻めの担当を外されてから謀反を起こすまでのあいだ、捕獲した敵将を逃したり、無断で戦線を離脱したり、あきらかに戦意喪失ととれる行動が見られます。想像するに村重は心身ともに疲れ果てていた・・・、つまるところ、信長の配下で働くことが嫌になっていたんじゃないかと・・・。後世に「天才」と評される信長ですが、実際に天才奇才の下で働く部下は、たまったものじゃないかもしれませんね。村重にしても、のちの光秀にしても、天才信長の下で馬車馬のように働く日々から、逃げ出したかったのかもしれません。

 小説『播磨灘物語』のなかで司馬遼太郎氏は、村重の謀反の理由について次のように述べています。

 「(村重の謀反は)織田信長という人物の器量に関係ってくることになるであろう。信長は、諸国を斬り取りする困難な時期においてこそ彼自身が巨大な錐になって旋回し、立ちふさがる旧時代という岩壁に大穴をあげて行ったが、その事業がやや峠を越した観のこの時期にあっては別の人格を時代が要求するようになった。
「ああいう、不徳の大将では」と、村重が謀反を私(ひそ)かに決意したときは、そのように、うめいたにちがいない。」


 ドラマ中、信長は優秀な家臣のことを「良い道具」とよく表現していますよね。たしかに、信長にとって部下たちは「道具」でした。しかし、部下という道具には「心」があるということを、天才信長はわからなかったのですね。


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by sakanoueno-kumo | 2014-05-07 23:54 | 軍師官兵衛 | Comments(0)  

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