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軍師官兵衛 第39話「跡を継ぐ者」 ~官兵衛の隠居と聚楽第落首事件~

 豊前国中津に移り住んで2年が過ぎた天正17年(1589年)5月、黒田官兵衛は突如、隠居を願い出ます。このとき官兵衛44歳。当時としては決して若いとはいえないものの、豊臣秀吉をはじめ徳川家康前田利家など、官兵衛より年長の武将たちがまだまだ現役バリバリで働いていたことを思えば、官兵衛の突然の引退発表は周囲を驚かせたことでしょう。まだまだ官兵衛の力を借りたいと考えていた秀吉は、許すはずがありませんでした。

 隠居を申し出た官兵衛の様子を、『黒田家譜』は次のように伝えます。
 「孝高、秀吉公に被申上けるは、私事病者になり候間、とても長生は仕るまじく候。願くは存生の内、愚息吉兵衛に領地を譲り、吉兵衛が身に引受、拝領の地の仕置を仕らせ、家人共能召つかひ、上の御用に立候様に後見いたし、安堵仕度由、重畳こひ申されけれども、秀吉公あへて許容したまはず。」
 身体が不自由なわたしは、とても長生きでるとは思えず、できればまだ元気なうちに息子の吉兵衛(黒田長政)に家督を譲りたい・・・と。たしかに、官兵衛はかつての有岡城幽閉による後遺症で身体的障害を抱えており、普通の44歳よりは老けていたかもしれません。

 官兵衛が隠居を決意した背景について、『黒田家譜』によれば、
 「孝高早く禄をゆづり官職を捨給ふ事は、利欲うすくして昿達なるのみならず。秀吉公其大志と武略すぐれたる事を知て、忌おそれ給ひ、其権臣等も、孝高の功名英才の大に人に過たるを妬む者多ければ、其讒をさけ災をのがれん為也。是明哲にして身を保つの道なるべし。」
とあります。官兵衛がにわかに隠居を決意したのは、利欲が薄くて心が広いことに他ならないが、それとは別に、秀吉やその家臣は官兵衛の功名や英才を妬む者が多く、その災いを避けるため、あえて身を退く決意をした・・・と。「其権臣等」というのは、おそらく石田三成のことを指しているのでしょうね。

 この『黒田家譜』の伝える説話については、どこまで信用できるかは定かではありません。前話の稿でも述べましたが(参照:第38話)、秀吉が官兵衛を警戒していたというエピソードについても、明確な根拠はなく後世の脚色が大いに感じられる伝承です。ただ、『黒田家譜』の記述をすべて鵜呑みには出来ないにしても、官兵衛の隠居はちょっと唐突な気がしますよね。ではなぜ、にわかに家督相続を急いだのか・・・。そこには、やはり保身の意図があったんじゃないでしょうか。お隣の肥後国では、領国支配に失敗して秀吉の信頼を失った佐々成政が、切腹に追いやられました(参照:第36話)。それを横目で見ていた官兵衛は、明日は我が身といった心境だったかもしれません。だったら、あらぬ嫌疑をかけられる前に身を引こう・・・と。「明哲にして身を保つの道なるべし」です。

 しかし、官兵衛の申し出は秀吉に受け入れられず、最終的には秀吉の正室・北政所に口利きを請い、なんとか秀吉の了解を取り付けますが、秀吉が出した条件は、長政への家督相続は許すが隠居は許さず、自身の側近として仕えよ、というものでした。秀吉がどれほど官兵衛をあてにしていたかがわかりますね。ここが落しどころと見た官兵衛は、その条件を承諾します。息子に社長の椅子を譲ったあと会長職に就かず、親会社の相談役としてヘッドハンティングされた・・・といったところでしょうか。条件的には悪い話ではないように思いますが、その親会社次第でしょうね。一気に日本一の大企業に上り詰めた豊臣商事ですが、その屋台骨はまだまだ不安定で、しかもそのカリスマ社長がちょっとトチ狂い始めている・・・となると、ヘッドハンティングの話は決して光栄なものではなかったかもしれません。しかし、下請け会社の社長としては、自身の築いた会社を守るためには断れない出向ですね。これも「明哲にして身を保つの道なるべし」でしょう。

 官兵衛の隠居申し出の3ヵ月ほど前に起きた聚楽第落首事件。秀吉の側室となった茶々懐妊したことを嘲笑する落首が、何者かによって聚楽第の南鉄門に貼りだされます。

 大仏の功徳もあれや槍かたな 釘かすがいは 子宝めぐむ
 ささ絶えて茶々生い茂る内野原 今日は傾城 香をきそいける


 当時、秀吉は京都に大仏殿を築こうとしていたといわれますが、その大仏の功徳で、子種がなかったはずの秀吉が子宝に恵まれた・・・と。これに怒り狂った秀吉は、門番の17人を処刑し、他にも本願寺に逃げた者を捕らえ、関わった者の居宅も焼き払い、総計113人を処罰したといわれます。門番17人の処刑は、まず鼻をそぎ落とし、翌日には耳をそぎ落とし、さらに翌日には逆さに磔して処刑したとか。めちゃくちゃですよね。

 この事件の3ヵ月後に茶々は棄(鶴松)を出産し、時を同じくして官兵衛が隠居を申し出ます。単なる偶然のタイミングだっただけかもしれませんが、親会社の方向性に不安を感じたからかもしれませんね。まさに、「明哲にして身を保つの道なるべし」です。


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by sakanoueno-kumo | 2014-10-02 21:16 | 軍師官兵衛 | Trackback(1) | Comments(0)

 

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