軍師官兵衛 第41話「男たちの覚悟」 ~支那征服の企図と千利休の切腹~
まず秀吉は、朝鮮半島に近い対馬の宗義智に、李氏朝鮮を服属させるように命令します。宗家は、秀吉の九州征伐の折に秀吉に従ったため、対馬一国を安堵されていました。しかし、一方で宗家は、李氏朝鮮とも交易での深い繋がりがあったのです。秀吉の命令に背くことはできないが、李氏朝鮮との関係も拗らせたくない義智は、天下統一を果たした秀吉に対する祝賀使節を送るよう李氏朝鮮に依頼し、秀吉には、これを服属使節だと偽って謁見させます。義智にとっては苦肉の策だったのでしょう。
使節に謁見した秀吉は、明までの道案内を要請します。しかし、いうまでもなく使節はこれを拒否します。李氏朝鮮は明の属国なので秀吉の明征服事業に手を貸すはずがありませんし、そもそも李氏朝鮮は秀吉に服属した事実はなく、ただ祝賀を述べに来ただけなのですから、拒否するのは当然ですよね。怒った秀吉は、明を攻める前に李氏朝鮮に攻める決断をします。
この朝鮮出兵は、口には出せないものの多くの諸将が反対でした。そんななか、面と向かって秀吉に反対意見を述べていたのが、千利休だったといいます。そんな利休を疎ましく思ってか、秀吉と利休の間には、かつてのような信頼関係は消え、いつしか深い溝が出来ていたといいます。
そんなとき、秀吉の周りでは良くない出来事が次々に起こります。まずは実弟・豊臣秀長の病死。秀吉にとっては、これから豊臣家の天下を盤石なものにしようというときに、片腕をもがれたような痛手だったに違いありません。
さらに時を同じくして、最愛の嫡子・鶴松が病に倒れます。鶴松は生まれつき病弱だったといいますが、このときの病状はよほど深刻だったようで、日本一権力を持つモンスターペアレントの秀吉は、天下の名医をかき集めて治療にあたらせ、寺社に祈祷を命じ、自らも紫野大徳寺へ参詣しました。この参拝の折、ドラマで石田三成が言っていた利休の等身大の休像を見つけます。木像は山門の上から見下ろすように置かれており、これに激怒した秀吉は、利休に蟄居を命じます。そして、天正19年(1591年)2月28日、秀吉の命により利休は切腹します。享年69歳。その首は、大徳寺山門から引き摺り下ろされて磔にされた木像に踏ませる形で晒されたと伝えられます。秀吉の利休に対する感情は、怒りを通り越して激しい憎悪が感じられますね。単に、朝鮮出兵に関して出過ぎたことを言ったから、という理由だけではなかったんじゃないかという気がします。もっと、根深い何かがあったんじゃないかと・・・。歴史の謎ですね。
利休の切腹から約半年後の8月5日、鶴松が死去します。享年3歳。落胆した秀吉は、「利休に腹を切らせたバチが当たったんじゃ・・・」と言っていましたが、きっと本当にそんな気分だったでしょうね。子を思う親心は、今も昔も変わりありません。ましてや、50歳を超えてからの待望の愛児の死ですから、そのショックは察するに余りあります。その悲しさを紛らわせるためか、同年10月、秀吉はいよいよ朝鮮出兵の準備にとりかかります。
秀長、利休といった両翼を失い、愛児・鶴松をも失った秀吉は、もはや誰も諫めることの出来ない孤独な独裁者になろうとしていました。
利休の死については、3年前の拙稿(江~姫たちの戦国~ 第24話「利休切腹」)で、また、鶴松の死についても、同じく(江~姫たちの戦国~ 第25話「愛の嵐」)でふれていますので、よければ一読ください。
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by sakanoueno-kumo | 2014-10-14 23:19 | 軍師官兵衛 | Trackback | Comments(0)















