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晩秋の安芸国広島城逍遥記 その1

3ヶ月近く前になりますが、昨秋、広島出張の折、広島城跡を訪れました。
広島市内の観光といえば、原爆ドーム平和記念資料館を訪れる人が多いと思いますが、そこから歩いて行ける距離のところに、日本三大平城に数えられる名城・広島城があります。

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広島城の特徴として最初に目についたのは、黒漆塗りの板が貼りめぐらされた天守の壁面ですね。
たしか、岡山城もこんな感じの外観だったと思いますが、姫路城などに代表される白壁の城も優雅で美しいですが、この板貼りの天守は、なんともいえない重厚感で、圧倒されます。

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この板貼りの壁面は、大坂城天守を模したといわれているそうですが、現在復元されている大坂城は、板貼りではないですよね。
実は、豊臣秀吉築城当時は、こんな感じだったようです。
戦国時代には、白の漆喰は風雨に弱いとされ、外壁にはあまり使われなかったそうで、白壁が使用されるようになったのは、主に江戸時代に入ってからだそうです。

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広島城は、天正17年(1589年)に毛利輝元によって築城が開始されました。
毛利氏は、南北朝時代から吉田郡山城を居城とする一領主でしたが、輝元の祖父・毛利元就の時代に山陰の尼子氏をはじめ各地の有力武士を倒し、中国地方の大半を支配する戦国大名に成長しました。

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その息子・毛利隆元が若くして急逝したため、わずか11歳で家督を継いだ輝元は、叔父の吉川元春・小早川隆景の補佐を受けながら引き継いだ中国地方を治めます。
一時は織田信長と対立して、山陽・山陰の各地で織田軍と覇権を争いますが、やがて秀吉の時代になると、輝元は秀吉に臣従して「五大老」のひとりとなり、豊臣政権を補佐します。

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秀吉の天下統一によって乱世の時代は終わり、城の役割は軍事から領国統治へと変わります。
秀吉の招きによって上洛した際、大坂城や聚楽第を見た輝元は、もはや吉田郡山城が時代遅れであることを痛感し、広島城の築城を決意したと言われます。

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広島城の城郭構成は京都の聚楽第をモデルにしたといわれ、本丸に続く二の丸が小さく、馬出として利用された独特の構造だそうです。
本丸を中心にを三層にめぐらせ、三の丸、大手郭、北の丸、北の郭、西の郭などを配し、さらに外側は太田川を天然の要害に利用しています。

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天守から望む景色です。

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現在の天守はもちろん復元です。
本来の天守はいうまでもなく、原爆投下によって破壊されました。
戦前の天守は、昭和6年(1931年)に国宝に指定されていたそうです。
同じときに国宝となった姫路城が、20世紀末に世界遺産となったことを思えば、もし、原爆で被災しなければ、あるいは世界遺産となっていたかもしれません。
まさか、そのすぐ近くにあった洋館が、原爆ドームとなって世界遺産に指定されようとは、当時は思いもよらなかったことでしょう。

つづきは明日にします。

晩秋の安芸国広島城逍遥記 その2

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by sakanoueno-kumo | 2015-02-12 17:59 | 広島の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)

 

Commented by heitaroh at 2015-02-12 21:28
おお!行かれましたか。日清戦争の大本営跡もご覧になりましたか?って、あ、それは明日の回?ですかね。失礼しました!
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-02-13 00:15
< heitarohさん

広島には何度も行ったことがあったのですが、広島城には今回はじめて行きました。
城跡めぐりは、ひとりのときか同じ趣味を持った人とでないと、ゆっくり見れないですからね。
日清戦争の大本営跡も見ましたよ。
でも、ここに大本営跡があるということを、以前何かで読んで知ってはいたのですが、この日訪れるまですっかり忘れていました。
Commented by 50代の歴史好きのおっさん at 2015-02-16 17:07
以前ジョンレノンの命日が日本では1日前?で投稿したものです。
広島城初めてでしたか・・・よくお出で下さいました。
私広島在住です。昨日も城内にある「護国神社」に参ったところです。
今年も大河「花燃ゆ」の解説毎回読ませていただいてます。私の曾じいさんが長州藩で、第二次長州征伐(四境戦争)の時高杉晋作について、小倉に攻め入った話が伝わっております。今年は本気モードでNHK観戦です、視聴率は低そうですが(笑い)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-02-16 21:18
< 50代の歴史好きのおっさんさん

コメントありがとうございます。
広島へおうかがいしたのは、ジョンレノンの命日の2週間ほど前のことでした。
出張ついででしたので、ゆっくり見る時間はありませんでしたが、以前から行きたかったので、時間がとれて良かったです。
長州の血筋ですか?
わたしは神戸生まれの神戸育ちですが、両親が薩摩藩士の血筋です。
世が世なら、あるいは同志になったかもしれませんし、あるいは敵対していたかもしれませんね。
今後とも宜しくお願いします。

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