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花燃ゆ 第9話「高杉晋作、参上」 ~高杉晋作の松下村塾入門~

 「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」
 のちにそう評された幕末の風雲児、高杉晋作が登場しました。晋作の生まれた高杉家は、家禄200石という大組の藩士で、才能と運次第では、藩の家老に準ずる執政官にまで出世できる家柄、つまり、士官・将校の家でした。そんな名家の一人息子として育った晋作は、いわばボンボンだったわけです。のちに長州藩を代表する天才革命家となる晋作ですが、幕末この時代、高杉家のような上流階級から革命家になったという例は、長州藩のみならず薩摩藩、土佐藩などを見ても珍しく、ましてや、その指導者になった例は皆無でした。上流階級であれば、とくに現状に不満を感じることもありませんからね。そんなところから見ても、高杉晋作という人物は、やはり異端児だったわけですね。

 名家のひとり息子としてやや過保護ぎみに育った晋作は、少年時代から城下の吉松淳蔵の私塾に通い、その後、藩校の明倫館で学びます。成績はそれなりに優れていたようですが、学問にはさほど魅力を感じていなかったといいます。この時期の晋作について、司馬遼太郎氏の『世に棲む日日』では、次のように分析しています。

 「本来、学校というのは、平均的な青年にとって十分な意味を持っている。もともと教育という公設機関は、少年や青年というものの平均像を -あくまでもそれを- 基準とし、一定の課程を強制することによって彼らの平均的成長を期待しうるものとして、そのような想定のもとに設置され、運営されている。自然、平凡な学生の成長にとっては学校ほど -どのような学校にせよ- 有意義な存在はないかもしれないが、精神と智能の活動の異常に活発すぎる青年にとっては、この平均化された教授内容や教育的雰囲気というものほど、多くの場合、有害なものはないかもしれない。」

 天才・高杉晋作にとっては、既存の学校はつまらないだけだったのかもしれません。そんな晋作を戦慄昂揚させたのが、吉田松陰松下村塾だったというわけです。

 ドラマでは、明倫館の教授を務める小田村伊之助から松下村塾を勧められた晋作でしたが、通説では、久坂玄瑞の紹介によって入塾したとされています。晋作と玄瑞は吉松淳蔵の塾で机を並べた仲であり、同じ秀才仲間として、玄瑞は晋作を誘ったのでしょうね。ドラマでは、晋作にライバル心をむき出しにしていた玄瑞でしたが、『世に棲む日日』では、むしろ晋作のほうが玄瑞を意識しています。このときすでに玄瑞の英才ぶりは萩城下に轟いており、しかも年齢は晋作のほうがひとつ上ですから、晋作のほうが玄瑞に対して嫉妬心を持っていたと見るほうが自然かもしれません。いずれにせよ、のちにこのふたりが松下村塾の双璧、龍虎と評されるに至ります。

 晋作が入門するときに詠み上げた詩文に対して、「久坂君のほうが優れている」と評したシーンがありましたが、このエピソードが実話かどうかはわかりませんが、『世に棲む日日』をはじめ多くの物語に描かれている話です。といっても、松蔭が晋作を買っていなかったわけではなく、晋作の性格を一瞬で見抜き、あえて不快にさせて反応を見たというんですね。このくだりについて『世に棲む日日』では、

 「松蔭は、高杉のような自負心のつよい男は一度その「頑質」を傷つけて破らねばならぬとおもった。・・・中略・・・むしろ、久坂に対する競争心をあおると、かならず他日、非常の男子になると思った。」

 としています。玄瑞との出会いのときの手紙のやりとりといい、誰にでも優しかったとされる松蔭像とは少し違う接しかたですよね。松蔭という人は、最初にどう相手の心を動かすかがわかる人だったのでしょうね。

 あと、吉田稔麿入江九一も入塾していましたね。彼らふたりと晋作、玄瑞の4人で、のちに「松下村塾の四天王」と評されるに至ります。また、伊藤利助も顔見せ程度のちょい役レベルで出てきていましたが、このなかで、ドラマの最終回近くまで出演するのは、利助こと、のちの伊藤博文だけなんですね。他の4人は、たぶん夏までにはいなくなってしまいます。


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by sakanoueno-kumo | 2015-03-02 22:14 | 花燃ゆ | Comments(0)  

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