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三木合戦ゆかりの地めぐり その8 ~シクノ谷峯構付城跡~

前稿の明石道峯構付城から西へ500mほどのところにあるのが、シクノ谷峯構付城です。
「シクノ谷」とは変わった名称ですが、「宿の谷」と呼ばれる谷に張り出す尾根の先端部に築かれていることから、「シクノ谷峯構」という名称になったそうです。

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入り口には看板が設置されていて、登山路も整備されていてわかりやすくなっています。

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説明看板によると、曲輪は、主郭腰郭から構成され、主郭は四方を土塁で囲んだ東西約45m、南北約25~40mの規模で、南端の土塁中央部には約5×6mの方形の櫓台を築き、北西隅と北東隅の虎口から続く腰郭は、主郭のような土塁囲みではなく、削平などの整地により平坦部を造り出しています。

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主郭、腰郭を合わせた付城の範囲は約3000㎡で、西に隣接する平坦部を含めると約4600㎡あるそうです。

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案内板はありませんが、素人が見ても、遺構がはっきり見て取れます。

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こんもりと土が盛られた遺構は、たぶん櫓台の跡でしょう。

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主郭跡にある土塁です。

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城跡東側の景色です。
バイパス道路の向こうに見える低い山が、明石道峯構付城です。

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ここシクノ谷峯構付城も明石道峯構付城と同じく、小林伝右衛門が描いた絵図『三木城地図』に描かれていましたが、平成6年(1994年)に、このすぐ北に開園した三木ホースランドパークの建設事業中に、所在が確認されたそうです。
ここを守った武将については、残念ながらわかっていないようですが、おそらく、明石道峯構付城と同じく織田信忠が築城した6ヵ所の付城のうちのひとつと考えられています。

さて、次稿は高木大塚城跡を訪ねます。



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by sakanoueno-kumo | 2015-04-10 21:40 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2015-05-01 18:58
当時は古墳は絶好の破壊対象だったようですね。山崎合戦の時の明智光秀なんかも古墳を改造してその上に陣取っていますし。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-05-01 23:20
< heitarohさん

そのようですね。
摂津、播磨には多くの古墳がいまも残っていますが、その多くが、南北朝時代から戦国時代にかけて砦となった歴史をもっているようです。

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