花燃ゆ 第38話「届かぬ言葉」 ~奇兵隊脱隊騒動~

 版籍奉還という荒療治を断行し、急速に中央集権化を推し進めようとしていた明治政府でしたが、強引な改革というのは、当然その反作用を生みます。今話で描かれていたのは、その過程で起こった奇兵隊脱隊騒動でした。

 版籍奉還によって収入が大きく減少した諸藩は、大胆な財政改革の必要に迫られます。そこで長州藩の知藩事となっていた毛利元徳は、大幅な兵制改革に乗り出します。具体的には、奇兵隊を含む諸隊、約5000人余りを御親兵四大隊2250人に再編し、残り3000人余りは解雇という、大型リストラでした。かつて高杉晋作が奇兵隊を創設してから戊辰戦争にかけて、討幕軍の中心となっていた長州藩は、他藩以上に多くの兵力を抱えていました。バブル経済に乗っかって急成長した企業が、多くの従業員を雇い入れ、やがてバブルが弾けると、人件費の圧迫に堪えられなくなるといったやつですね。こうなると、企業の存続のためにはリストラはやむを得ません。

 しかし、現在のリストラでいえば、退職金を増額するとか、再就職の手助けをするとか、対象者から「不当解雇だ!」と訴えられないように図るものでしょうが(零細企業のリストラの場合は、そうも出来ない場合も多いでしょうが)、このとき元徳が行ったリストラは、退職金はもちろん、功績の評価などもまったくなく、元武士だけを残し、平民出身の隊士を解雇するというものでした。いかにも殿さまらしい愚策ですね。これでは、不平不満が生まれないわけはありません。

 明治2年(1869年)12月に決起した旧諸隊士たちは、翌年の1月に約2000人で山口藩庁を取り囲みます。ドラマでは、あくまで話し合いを求めて蜂起したように描かれていましたが、武装蜂起した以上、反乱軍ですね。この事態を重くみた木戸孝允は、急遽、討伐軍を編成して山口に送り込み、自ら指揮を執って鎮圧にあたります。ドラマでは、説得を試みる誠実楫取素彦に対して非情な木戸孝允という描かれ方でしたが、木戸の立場としては、やむを得ない判断でした。版籍奉還が行われたといえども、諸藩には未だ軍隊が存在し、一方の中央政府には、まだ直属軍というものがありません。このままでは、諸藩のクーデターによって、いつ中央政府が倒されてもおかしくなく、一刻も早く地方の力を弱めて、政府軍を作る必要がありました。ところが、ドラマでは描かれませんでしたが、その兵制改革の中心的役割を担っていた大村益次郎が、この少し前に長州藩の不平藩士よって暗殺されていました。大村の死は、長州藩にとっても中央政府にとっても大きな痛手であり、木戸にしてみれば、見せしめの意味でも反乱軍を力でねじ伏せる必要があると考えたのでしょう。

 戦いは激戦となり、一時は木戸も退却を余儀なくされる戦況になりますが、最終的には反乱は鎮圧され、捕らえられた兵の中心人物100人以上が死罪となります。ともに幕末の動乱を戦ってきた志士たちの同志討ち。討つほうも討たれるほうも、何ともやりきれない思いだったでしょうが、使い捨てとなった兵たちの反乱はこれで終わることなく、明治10年(1877年)の西南戦争まで、各地で起きるんですね。まさに、痛みを伴う改革だったわけです。

 ちなみに、反乱軍のなかには、かつて野山獄吉田松陰と意気投合し、出獄後、松下村塾に講師として招かれていた富永有隣がいました。今話で出てくると思たんですけど、出てこなかったですね。富永は逃亡したため死罪は免れましたが、明治10年に捕らえられ、国事犯として投獄されます。その後、明治17年(1884年)に釈放されたのち、を開いて若者の指導にあたりながら著書を執筆し、80歳まで長生きします。松下村塾ゆかりの数少ない生き残りのひとりでした。


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by sakanoueno-kumo | 2015-09-22 14:21 | 花燃ゆ | Trackback | Comments(2)  

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Commented by 50代の歴史好きのおっさん at 2015-09-25 09:55 x
今回の戊辰戦争の後日談は見応えがありましたね。坂の上の雲のようなあこがれを描いていた兵士(勝って徳川に成り代わり全国を統一し支配する夢をもっていた方も多いことでしょう)もリストラにあって、はかなくこの世から去って行く。さぞ無念であったでしょう。
ところで、ブログ主さんのご先祖様は幕末を如何に生き延びたのでしょうか?我が家に伝わっていることには。新潟小地谷まで進軍して、無事長州に帰ったのはよいが、藩が無くなり愕然。氏族として薄給はあったのですが、生活していけず、新しく出来た小倉の八幡製鉄所、薬剤師(薬の製造)などに転職し明治をたくましく生き延びたそうです。私がこどものころ、祖母は、表札に「氏族」と書いてあったものを自慢していました。長文で済みません。我が家の幕末編でしした。
Commented by sakanoueno-kumo at 2015-09-25 11:26
< 50代の歴史好きのおっさんさん

そうですね。
毎回このような物語の組み立てならいいんですが、どうも、いい時と悪いときの差が激しすぎて・・・。

詳しくお話しますと、薩摩藩士だったのは母方の先祖なんですが、士分の中でも結構高い身分だったようで、維新後も食い扶持には困っていなかったようです。
おふくろの実家には、いまも床の間に鎧兜と刀槍が飾られており、30年ほど前までは、毎年秋にわたしの伯父が鎧兜を着て馬上にまたがり、流鏑馬の儀式を行っていました(いまは跡継ぎがいないため、儀式は町の青年団に引き継がれています)。
わたしの曽祖父、高祖父はともに警察官でした。
子供の頃は、それを特に疑問に感じていなかったのですが、大人になってから司馬遼太郎さんの『翔ぶが如く』を読み、警察組織が薩摩藩閥で作られたことを知り、なるほど、それでか!・・・と気付きました。
その高祖父の弟が、西南戦争で西郷軍に従軍して戦死していると家系図に記されています。
あるいは、高祖父とその弟の間で敵味方に分かれて戦うといったドラマがあったのかなぁ・・・と想像したりしますが、記録は残っていません。
ていうか、わたしが歴史に興味を持ったときには、祖父も伯父も皆、他界していて、おふくろは全く自身の先祖に興味がなく、知るすべがありません。
いろいろ調べてみたいと思うのですが、なんせ遠い遠い鹿児島県なので・・・。
老後の楽しみにしたいと思います。
以上、わが母方の幕末編でした。

ちなみに父方の先祖は、薩摩藩の管理下にあった奄美大島の代官を務めていました。
一応、士分を与えられていたようですが、島には士分の家が2件しかなかったらしく、明治後も役人として働いていたようです。
たぶん、西郷さんが島流しで同島に来たときは、何らかの関わりがあったんじゃないかと想像しています。
以上、わが父方の幕末編でした(笑)。

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