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阪神タイガースGM・中村勝広氏の急逝を悼む。

現・阪神タイガースのGM・中村勝広氏が亡くなられたそうですね。
タイガースの遠征に同行中のホテルでの急死だったとか。
驚きました。

中村勝広氏といえば、歴代のタイガースの監督のなかで最も長く指揮を執った監督として知られており、その後もオリックスの監督やGMなど、ずっとプロ野球界に関わって来られたインテリ派というイメージですが、わたし個人的な思い出は、タイガースの切り込み隊長としての先頭打者ホームランが印象的です。
わがまち神戸には、ほぼ毎日、阪神戦を試合開始から終了まで中継してくれるサンテレビというありがたいテレビ局があるのですが、わたしが子供の頃、友だちと遊んで夕方家に帰ってきてテレビをつけると、すでに中村勝広選手がホームランを打ってダイヤモンドを走っている、といったシチュエーションが何度もあったと記憶しています。
子どもの頃の記憶だから、強く印象に残っているのかなぁと思って今調べてみると、やはり、昭和50年(1975年)に、シーズン初回先頭打者本塁打6という当時の球団記録を樹立していたようですね。
タイガースの先頭打者ホームランといえば、真弓明信選手、今岡誠選手、鳥谷敬選手などを思い浮かべる方が多いと思いますが、わたしは、強く印象に残っているのは中村選手でした。

1番・中村勝広
2番・藤田平
3番 ブリーデン
4番 田淵幸一
5番 ラインバック
6番 掛布雅之


その頃の懐かしいラインナップです。

監督としての中村勝広氏でいえば、低迷期の90年台に唯一優勝争いを演じた平成4年(1992年)が印象的ですね。
あの年は甲子園球場のラッキーゾーンが取り払われた年で、それまでの打撃中心のチームから守備力重視の戦術に転換し、亀山努選手、新庄剛志選手などの若手を発掘しました。
ストッパーの田村勤投手の活躍もあって優勝争いの輪に入り、9月上旬に7連勝で一気に首位に踊りでたのですが、中村監督がV宣言をした途端に失速しはじめ、シーズン最期の最期で野村克也氏の率いるヤクルトスワローズに競り負けました。
たしか、最後は優勝したヤクルトから最下位の中日まで、たいしたゲーム差はなかったと記憶しています。
なんとなく、今年に似てますよね。

それから、同じ年に、当時のタイガースの中心選手だった岡田彰布選手に代打・亀山努を送った采配も記憶に残っています。
この年、岡田選手は極度の不振に陥っていたのですが、ビッグネームの選手を下ろすという行為は、どんな監督さんでもなかなか出来ることではありません(当時は、いま以上にベテランの功労者に甘い時代でしたから)。
ところが、中村監督は冷徹に岡田選手の打順を7番にまで下げ、さらにチャンスで代打に若手の亀山選手を送った。
この采配は当時、物議をかもしましたが、わたしは拍手しましたねどね。
まあ、岡田選手が早稲田大学の後輩という関係もあったでしょうが。

その岡田選手も、のちに監督になったとき、ベテラン金本知憲選手の扱いに苦心していた感じでしたよね。
そういえば、早稲田大学の主将→阪神タイガース→監督という流れは、中村氏も岡田氏も一緒ですね。
ということは、将来、鳥谷敬選手も監督就任も決まったようなものですね。

あと、中村氏の監督時代で忘れてはいけないのが、ドラフトで松井秀喜選手の抽選をはずした監督ということですね(笑)。
まあ、こればっかりはどうしようもないことなんですが、あのとき阪神ファンは一斉にブーイングをしたことでしょう。
長嶋茂雄氏とのオーラの差かな・・・と(亡くなられた方を誂うようなことを言って申し訳ありませんが)。

聞けば、まだ66歳だったそうですね。
まだまだ阪神のために、ひいてはプロ野球会のために活躍していただきたかった方です。
たいへん残念でなりません。
心より、ご冥福をお祈りします。


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by sakanoueno-kumo | 2015-09-24 21:11 | プロ野球 | Trackback | Comments(0)

 

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