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花燃ゆ 第49話「二人の再婚」 ~楫取素彦と美和子の再婚~

 楫取素彦の年譜よれば、美和子再婚したのは明治16年(1883年)5月3日とされていますが、別の書簡などによれば、その1年半ほど前には既に同居していたことがわかっており、しかも、明治15年(1882年)4月には、湯之沢温泉(現・赤城温泉)にふたりで3泊滞在している記録もあるそうで(ドラマでは、嵐に巻き込まれてやむを得ず1泊という設定でしたが)、ふたりが結婚したのは、その頃だったんじゃないかという見方もあるようです。前妻の寿子が没したのは明治14年(1881年)1月30日のことでしたから、後者の説を採れば、妻に先立たれてから1年余りでの再婚ということになります。現代の感覚で言えば、ちょっと早すぎるんじゃないの?・・・という気がしますが、当時のそれなりの地位の男でいえば、1年以上も後妻を迎えないというのは、むしろ遅いくらいでした。そのうえ、亡き妻の遺言どおりに妹と再婚したわけですから、素彦がいかに寿子のことを思っていたかが窺える気がします。

 一方の美和子は、前夫の久坂玄瑞と死別してから20年近い年月が過ぎていましたが、その間ずっと独り身を通しており、この再婚話にもはじめは乗り気ではなかったといいます。ドラマでは、阿久沢権蔵・せい夫妻から再婚を勧められていましたが、実際には、山口県で存命だった美和の母・杉滝子からの再三の勧めだったようです。しかし、美和子はなかなか首を縦に振りませんでした。というのも、美和子は20年近く経った今なお、玄瑞から送られてきた手紙を後生大事に保管しているほど、亡き夫のことを忘れられずにいました。「貞女二夫まみえず」といった貞操観念も強かったのでしょう。実姉の夫だった人というのも、抵抗があったかもしれません(ドラマでは初恋の人という設定でしたが)。でも、素彦との再婚は亡き姉の遺言でもあったこと、県令としての激務をこなす素彦を間近で見ていたことなどから、最終的には、素彦との再婚を決意したのでしょうね。素彦54歳、美和子39歳のときでした。

 再婚を決意した美和子が、玄瑞からの手紙を燃やしかけて素彦に止められるシーンがありましたが、実際にも、京のまちで政治活動をしていた玄瑞から美和子(当時は)に宛てた書状は21通が現存しているそうです。そこで留意すべきは、その21通が、後夫である素彦関連の書状、著作などを収録している『楫取家文書』に載せられていることです。つまり、妻となった美和子が前夫からの手紙を大切に保管していることを、素彦は許していたということですね。「前の夫のことなど早く忘れろ!」なんて狭量なことは、素彦は言いません。

 そればかりか、素彦は美和子が持参した21通の書状を装丁して3巻にまとめ、『涙袖帖(るいしゅうちょう)』と名付けて大切に保管することを決めました。『涙袖帖』というタイトルは、美和子が玄瑞の自刃後、折にふれてこの書状を読み返し、落涙して袖を濡らしたという意味が込められているのでしょう。妻の前夫に対する思いを十分に理解し、決して忘れないよう手助けをしていた素彦。彼は、ドラマのとおり大きな包容力を持った優しい男だったのでしょうね。それと、素彦自身も、亡き妻・寿子のことを忘れたくないという思いが強かったのかもしれません。


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by sakanoueno-kumo | 2015-12-07 16:48 | 花燃ゆ | Trackback(1) | Comments(0)

 

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