花燃ゆ 最終回「いざ、鹿鳴館へ」 ~エピローグ~
当初の計画では、大宮~高崎間での営業路線として発表され、前橋への延長計画はなかったそうです。ここで立ち上がったのが群馬県令の楫取素彦。県庁所在地である前橋まで路線を延ばさなければ無用の長物になるとして、早速、計画の延長を求めて東京に赴き、鉄道局長・井上勝に懇請したといいます。そして、同じく沿線の埼玉県令・白根多助に協力を仰ぎ(白根も元・長州藩士でした)、さらに、前橋生糸商人たちにもはたらきかけ、日本鉄道の株式買付を行い、それを餌に、前橋までの路線延長を約束させました。さすが、実行の人ですね。
ドラマで、鹿鳴館の舞踏会に出席していた美和子が、毛利安子のはからいで貴族婦人たちに群馬の生糸産業をプレゼンテーションし、素彦の鉄道開通交渉に援護射撃をしていましたが、まあ、それはドラマの演出だとして、でも実際この当時、毛利元徳は第十五国立銀行の頭取をしており、日本鉄道の敷設にあたっての資金面で大いに協力する立場にいたのは事実です。素彦と元徳、あるいは美和子と安子の昵懇の間柄が、多少は有利にはたらいたかもしれません。
群馬県の就学率が全国でトップになったと喜んでいましたが、これも事実で、素彦が県令在任中の明治9年(1876年)から明治17年(1884年)までの就学率は66.7%で、全国2位だったそうです(8年間のアベレージですから、1位になった時期もあったでしょう)。国の教育行政がモタモタしている中で、素彦は豪商や資本家から寄付金を集め、小学校の建設を地方独自で進め、施策として中学校の授業料を無料化しました。その結果、群馬県は全国トップクラスの教育県として、「西の岡山、東の群馬」と称されるまでになります。そのせいか、のちに群馬県からは大物政治家がたくさん生まれ、鈴木貫太郎、福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫と、5人の内閣総理大臣を輩出しています。
素彦が群馬県令を辞職したのは明治17年(1884年)のことでした。ドラマのとおり、県令としての職務を全うしたという思いがあったのでしょうが、55歳という年齢にも限界を感じていたのかもしれませんね。ただ、辞表を提出したのはこの1年前だったそうですが、この情報が漏れ、前橋住民を中心に留任運動が巻き起こったといいます。明治初期の各県令の在職期間は1、2年と短いものでしたが、素彦の群馬県令在職期間は群を抜いて長く、足掛け9年、熊谷県令時代を含めれば13年に及んでいます。それだけ長く職に就きながら、なおも惜しまれる素彦という人は、本当に地元民から信頼されていたんでしょうね。素彦が群馬県を去るときには、県庁より前橋の停車場までの道端を、数千人の県民が見送りに参列し、道を塞いで別れを惜しんだと伝えられます。
その後も、素彦は大正元年(1912年)に84歳、美和子は大正10年(1921年)の79歳まで大往生します。しかし、ドラマではそのエピローグは描かれませんでしたね。まあ、ダラダラと余生を描いても仕方がないといったところでしょうが、このあと、二人の人生はまだまだ余生とはいえず、素彦は元老院議官、高等法院陪席裁判官・貴族院議員・宮中顧問官等を歴任し、また、貞宮多喜子内親王御養育主任も務めました。美和子も、素彦とともに幼稚園の設立にたずさわったり、素彦が内親王の御養育主任を命じられると、美和子も貞宮御付として仕えています。まだまだ、世の中は二人を必要としていました。
明治22年(1889年)、美和子の兄・杉民治が総額230円をかけて荒廃した松下村塾の修理を行った際には、明治の高官となった伊藤博文や山縣有朋ら元塾生よりも多額の30円を素彦は出資しています。その松下村塾が、今年、世界文化遺産に登録されましたね。昨年、世界文化遺産となった富岡製糸場と合わせて、素彦は2つの世界遺産の保存に尽力したことになります。
素彦が逝去してから10年間、美和子がどのように過ごしたかの確かな記録は残っていません。吉田松陰の妹、久坂玄瑞の妻、楫取素彦の義妹、そして後妻として、めまぐるしい日々を送ってきた美和子でしたが、きっと最後の10年間は、穏やかな暮らしの中で、洛陽のときを迎えたことでしょう。まさか、100年後に自身が物語の主人公になるなど、夢にも思わなかったでしょうね。
さて、本稿をもって大河ドラマ『花燃ゆ』のレビューは終わりとなります。1年間、拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。今年は最後までレビューを続ける自信はなかったのですが、なんとか完走出来て安堵しています。近日中には総括を起稿したいと思っていますので、よければご一読ください。
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by sakanoueno-kumo | 2015-12-14 16:34 | 花燃ゆ | Trackback(1) | Comments(2)


コメントありがとうございます。
まさに、わが意を得たりです。
そのあたりのことについては、「総評」の稿にまとめましたので、よければ一読ください。
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来年の『真田丸』でも、なんとか頑張って続けていこうと思っていますので、よければお付き合いください。