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新春時代劇『信長燃ゆ』 鑑賞記

今年のテレビ東京新春時代劇『信長燃ゆ』を今頃ようやく観ました。

天正9年(1581年)2月の京都馬揃えから翌年6月の本能寺の変までの1年余りが舞台で、「本能寺の変朝廷黒幕説」をベースに描かれた物語です。

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本能寺の変に至る要因については、様々な解釈のもとに諸説ありますが(ありすぎるくらいですが)、この朝廷黒幕説については、平成に入ってからにわかに脚光を浴びるようになった推論です。

わたしは、歴史の経緯というのは意外にシンプルなものだと思っているので、単純に怨恨説を支持したいところですが、もし黒幕が存在するとすれば、朝廷説がもっとも説得力があるとは思いますね。

その他の説(羽柴秀吉説とか足利義昭説、その他多数)は、あまりにも穿ち過ぎで、俗説の域を出ないかな・・・と。

朝廷黒幕説の推論によると、「天下布武」をスローガンに破竹の勢いで権力を手にした織田信長は、朝廷の権威を軽んじ、朝廷に圧力をかけていたといわれ、その軋轢が変を引き起こしたといいます。

具体的には、ドラマ冒頭で描かれた京都馬揃えは、信長が朝廷を威圧するために行った軍事パレードだったといいわれ、当初、信長は天皇に左義長(さぎちょう)(どんど焼き)申し入させたのに、信長が馬揃えにすり替えたという説です。

また、ドラマにあったように、信長の意に従わない正親町天皇(第106代天皇)に譲位を迫ったという話や、公家衆に信長への戦勝祈願出迎えなどを強要したりと、信長の大義づくりに朝廷が利用されていたというんですね。

たしかに、信長は朝廷の権威というものを軽んじていたと思える行動が多く見られます。

たとえば、信長は朝廷から与えられる官位には興味がなく、天正6年(1578年)に右大臣の職を辞したあとは、官職に就きませんでした。

その後、本能寺の変が起きる直前の5月に朝廷は信長に対して、征夷大将軍、関白、太政大臣の三職のいずれかに就任してはどうかと持ちかけていますが、信長がその返答をする前に変が起こってしまったため、信長自身がどのような構想を持っていたのかは永遠の謎となりました。

でも、これまでの行動からいって、たぶん、どの職にも就かなかったんじゃないかと・・・。

というのも、信長の行動や思想を振り返るに、有名な比叡山焼き討ちを始め、恵林寺焼き討ち石山本願寺との闘いなど、古い権威というものを毛嫌いする行動が多々見られます。

その意味では、朝廷及び天皇家というのは、古い権威の最高峰ともいえる組織であり、信長の性格からいえば、最も忌み嫌う存在だったかもしれません。

一説には、信長は、「皇位簒奪」を目論んでいたのではないかとも言われます(皇位簒奪とは、天皇を廃して自らが日本の王になろうとすること)。

これを恐れた朝廷は、明智光秀信長追討を促し、決起に至った・・・と。

たしかに、信長ならあり得る目論見だったかもしれません。

ただ、もし本当に信長が皇位簒奪を目指していたならば、光秀の謀反は天皇に対する逆賊の成敗として大いに正当化され、もっと味方を得られたんじゃないかとも思います。

ところが、結果は歴史の示すとおり。

となれば、この皇位簒奪説は考えられなくはないものの、少し深読みし過ぎのような気もします。

朝廷黒幕説の首謀者としては、正親町天皇、誠仁親王をはじめ、近衛前久、勧修寺晴豊、吉田兼見ら公家衆など、様々な見方がありますが、物語では近衛前久説を採っていましたね。

この近衛前久という人は、実際に信長と親交の深かった公家で、石山合戦の調停役として尽力したり、織田軍の武田攻めに従軍するなど、公家としては珍しい豪胆な人物でした。

ドラマでも描かれていましたが、信長とは鷹狩という共通の趣味を通して付き合いがあったようです。

信長の前久に対する信頼は厚かったようで、前久が息子・信基にあてた手紙によれば、信長から「天下平定の暁には近衞家に一国を献上する」という約束を得たといいます。

朝廷を軽んじていたといわれる信長ですが、前久だけは別格だったようですね。

そんな前久が、なぜ黒幕と疑われるのか・・・。

その理由として、前久は変後すぐに嵯峨に隠れた上に、 山崎の戦い後も、信長の三男・神戸信孝追討令を出して執拗に行方を捜していたことがあげられます。

追討令が出されたということは、当時も、疑いの目を向けられていたということですよね。

また、同じく公家の吉田兼見(ドラマでは笹野高史さんが演じておられた人物)は、彼が記した日記によって、信長と朝廷の関係を後世の私たちが知ることができているのですが、本能寺の変の前後1ヶ月分の日記が、後に書き換えられた形跡があるそうです。

何か、都合が悪いことがあったのではないかと・・・。

この吉田兼見も、変後に事情聴取を受けています。

しかし、どちらも疑わしくはありますが、決定的証拠とは言えません。

結局は、どれも推論の域をでることはないですね。

ただ、物語として見るには、単なる怨恨説よりは遥かに面白いですけどね。

ちなみに、ドラマでは、誠仁親王の后・勧修寺晴子と信長の禁断の恋が描かれていましたが、いうまでもなく、あれはドラマのオリジナルです。

いまで言えば、皇太子妃総理大臣不倫関係になるようなものですから、ありえないでしょう(笑)。

ちなみにちなみに、物語の語り部となっていた森坊丸は、実際には兄・森蘭丸と共に、本能寺で落命したとされています。

最後に、毎年楽しみにしているテレビ東京新春時代劇ですが、かつては元旦に12時間ほどあった長編ドラマでしたが、近年、だんだん短くなっていって、今年はとうとう3時間ドラマになっちゃいましたね。

時代劇というのはかなりお金が掛かると聞きますから、いまのご時世、そういう大人の事情がるのでしょうが、ただでさえ民放の時代劇がなくなっていくなか、正月恒例のこのドラマまでなくなってしまうと、時代劇はNHKにか作れないものになってしまいます。

なんとか続けてほしいですね。



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by sakanoueno-kumo | 2016-01-14 13:54 | その他ドラマ | Trackback | Comments(0)  

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