神戸の古墳めぐり その2 ~吉田王塚古墳~
「その1」から2年以上あいてしまいましたが、シリーズ「その2」は、神戸市西区にある吉田王塚古墳です。
このあたりの住所は「王塚台」といいますが、おそらくこの古墳からとったものでしょう。
場所は神戸市の最西端に位置し、明石市との境界近くにあたります。
いまは住宅地となっていますが、明石川右岸の段丘上に造られた前方後円墳で、全長74m、後円部の直径は44m、前方部前端幅は42mと、明石平野では最も大きく、この付近でも、その1で紹介した五色塚古墳の次に大きな古墳です。
下の画像はGoogleアースより。
周りは濠がめぐらされ、中には入れません。
濠の外周には遊歩道があり、公園施設になっています。
吉田王塚古墳は、日本書紀の記述にある、推古11年(603年)に用明天皇(第31代天皇)の第三皇子・当麻皇子が朝鮮半島に出兵した際、明石の地で亡くなった舎人姫王の墓であるとして、宮内庁が管理しています。
舎人姫王は欽明天皇(第29代天皇)の皇女で、日本初の女帝・推古天皇(第33代天皇)の妹にあたります。
夫の当麻皇子は、あの聖徳太子のすぐ下の弟ですね。
当麻皇子は征新羅将軍を任命され、難波から船で朝鮮半島に向けて出発しましたが、播磨国の明石で妻である舎人皇女が薨去したことから、皇女を明石に葬ったのち、引き返したといいます。
その場所が、この吉田王塚古墳だと考えられてきました。
ところが、平成12年(2000年)に行われた宮内庁の発掘調査によると、出土した円筒埴輪や壷形埴輪、朝顔形埴輪、盾形埴輪などから、5世紀の前半に造られたことがわかったそうです。
舎人皇女の時代から、150年以上も前のことになりますね。
たしかに、6世紀になるとこのような大型の前方後円墳は造られなくなったと考えられていますから、舎人皇女の陵墓という説は、たしかに無理があるのかもしれません。
現在では、舎人皇女の陵墓と指定せず、陵墓参考地として宮内庁が管理しています。
そんなこんなで、「その3」につづきます。
神戸の古墳めぐり その1 ~五色塚古墳と小壺古墳~
神戸の古墳めぐり その3 ~狩口台きつね塚古墳~
神戸の古墳めぐり その4 ~処女塚古墳・西求女塚古墳・東求女塚古墳~
神戸の古墳めぐり その5 ~大歳山遺跡公園・舞子古墳群~
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by sakanoueno-kumo | 2016-03-25 02:10 | 神戸の史跡・観光 | Trackback | Comments(3)
返信遅くなって申し訳ありません。
お役に立てなくて残念です。
また機会があれば、ぜひ!