備後福山城のまち逍遥備忘録 その1 「本丸・伏見御殿跡」
過日、広島県は福山市にある福山城に行ってきました。
福山城は山陽新幹線福山駅のすぐ北側にあり、城跡周辺は「ふくやま文化ゾーン」として観光地化されています。
この日はあいにくの曇り空だったのですが、なんとか雨に降られず一日中城跡周辺を歩きました。
現在、城跡公園として整備されているのは、かつて内堀のなかだったところです。
南面の階段を登ると、すぐに本丸南側につながります。
なので、今回は先に本丸から攻めていきます。
本丸南側にある筋鉄御門(重要文化財)です。
この門をくぐると、本丸広場になります。
本丸南側には、かつて伏見御殿がありました。
なぜ「伏見御殿」という名称かというと、元和5年(1619年)に廃城となった京都の伏見城から多くの櫓や門が移設されており、それにあやかって「伏見御殿」と名付けられたそうです。
ちなみに、先述した筋鉄御門も、伏見城から移設されたものです。
他には、
本丸南東角の月見櫓。
本丸南中央の御湯殿。
本丸南西角の伏見櫓などが、同じく伏見城から移設されました。
このうち、月見櫓と御湯殿は空襲で焼けたため復元ですが、伏見櫓と筋鉄御門は当時のもので、重要文化財に指定されています。
その伏見御殿跡から北を見ると、天守がそびえます。
この日は本丸広場でイベントが開催されていて、テントやらステージやらが設置されていて残念でしたが。
福山城は、元和5年(1619年)に福島正則が改易され、備後10万石の領主として入封した水野勝成が、3年の歳月をかけて築城した平山城です。
次稿では、その天守を攻めます。
備後福山城のまち逍遥備忘録 その5 「備後護国神社(阿部神社)」
備後福山城のまち逍遥備忘録 その6 「水野勝成の墓所・聡敏神社」
ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓
by sakanoueno-kumo | 2016-04-14 00:37 | 広島の史跡・観光 | Trackback | Comments(4)
福山城は元来の天守とはずいぶん違う外観だそうで、「復元城」ではなく「復興城」に分類されるそうなので、歴史的価値はあまりないですからね。
わたしも、たまたま広島からの帰路で1日予定が空いてたので、思い立って福山に立ち寄った次第です。
したがって、夕方には福山を発ちましたので、福山の夜は知りません(笑)。
ところで、昨夜の地震の影響はどうでしたか?
福岡のほうは、それほどじゃなかったのでしょうか?
我が家は皿一枚割れてません。