山崎合戦のまちを歩く。 その4 「山崎合戦旗立松」
天王山八合目あたりに、「旗立松」と刻まれた石碑と石灯籠があり、その横に松の木が植えられています。
説明板によると、山崎合戦の際に羽柴(豊臣)秀吉がここにあった老松の樹上高くに旗印を掲げ、自軍の士気を高めたと伝えられるそうです。

当時の旗立松は明治中期ごろまでは、その姿をとどめていたそうですが、朽ちてしまったそうです。

その後、幾度か植樹を繰り返し、説明看板には5代目とありますが、現在の松はその6代目だそうです。

オリジナルの松は、きっと麓からも見えるほど大きな松だったのでしょう。

すぐ横には、「山崎合戦の地」と刻まれた石碑があります。
実際には、合戦は山中ではなく麓で行われたんですけどね。

こちらは裏面。
その側には、説明板があるのですが・・・。

読めません(笑)。

近くには、古戦場を望める展望台があります。

木が茂ってよく見えないですが、高速道路が見えるあのあたりを境に、北に明智軍、南に羽柴軍が陣取っていました。

展望台にある説明板です。

『太閤記』によれば、秀吉の軍勢4万人に対し明智光秀は1万6千人とあります。
夕方4時頃から始まった合戦は、わずか3時間ほどで決着がつき、軍勢に勝る羽柴軍の一方的な勝利に終わります。
その後、光秀は敗走し、落ち延びる途中、小栗栖の藪で土民の竹槍に刺されて落命します。
世に言う「光秀の三日天下」ですね。
次回に続きます。
このシリーズの記事は、こちらから。
↓↓↓
ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓
by sakanoueno-kumo | 2016-06-24 07:29 | 山崎合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)