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真田丸 第30話「黄昏」 ~慶長の役と醍醐の花見~

真田丸 第30話「黄昏」 ~慶長の役と醍醐の花見~_e0158128_20022019.jpg 慶長伏見地震から約2ヶ月後の文禄5年(1596年)9月、からの使節が日本を訪れ、豊臣秀吉に謁見します。先の朝鮮出兵の講和交渉を担当していた小西行長の報告によれば、明は日本に降伏したとのことだったため、秀吉は使者を大いに歓待します。しかし、実際には明は降伏などしておらず、逆に明朝廷は、日本が降伏したとの認識でした。これは、日明双方の講和担当者が、穏便に講和を行うためにそれぞれ偽りの報告をしたためでした。


 そうとは知らない秀吉は、明に対して「朝鮮南部4道の割譲」「勘合貿易の復活」などを講和条件として提示していました。ところが、使節が持参した明朝廷の回答は、秀吉に対して「豊臣秀吉を日本国王に任命する」と、まるで日本が明の属国になったかの如く上から目線の通達を突き付け、さらに、李氏朝鮮内に残る秀吉軍の完全撤退を求めてきたのでした。これに秀吉が大激怒。そりゃそうでしょうね。話がまったくかみ合わないのだから、当然の反応です。穏便に講和を行うはずだった小西行長の狙いは逆に裏目に出てしまい、秀吉は再度の朝鮮出兵を決断します。そして慶長2年(1597年)2月、西国を中心に約14万もの兵が再度海を渡りました。秀吉の死まで続く「慶長の役」の始まりです。


「慶長の役」が始まって約1年が過ぎた慶長3年(1598年)3月15日、秀吉は京都の醍醐寺において、盛大な花見の宴を催しました。後世に名高い「醍醐の花見」です。醍醐寺は京の都の南東に位置する由緒ある名刹。秀吉のこのイベントにかける思いは並々ならぬものがあったようで、花見の責任者に奉行の前田玄以を任命し、早くから寺観の整備に務めさせました。そして自らも下見のために醍醐寺へ足繁く通い、殿舎の造営や庭園の改修を指揮したといいます。さらに、醍醐山の山腹にいたるまで、伽藍全体に700本の桜を植樹しました。当日は嫡子の豊臣秀頼をはじめ、北政所、淀殿ら近親の者、さらには配下の武将とその家族など約1300人が招かれたと伝えられます。当時としては、最大規模にして最も豪華な花見で、この「醍醐の花見」が、その後の日本に花見の習慣を根付かせたともいわれます。


真田丸 第30話「黄昏」 ~慶長の役と醍醐の花見~_e0158128_23062489.jpg 参加した女性たちには2回の衣装替えが命じられており、そのきらびやかな衣装は秀吉の目を喜ばせました。ドラマでは描かれていませんでしたが、この花見の際に、側室の序列をめぐって淀殿松の丸殿の間で争いがあったという話は有名です。記録に残された当日の輿入れの順は、1番・北政所、2番・淀殿、3番・松の丸殿、4番・三の丸殿、5番・加賀殿、そのあとに、北政所が若い頃から親しくしていた前田利家の正室・まつが続きました(ドラマでは、徳川家康の側室・阿茶局も招かれていましたが、実際に彼女がいたかどうかはわかりません)。正室である北政所が1番なのは当然として、秀吉は秀頼の生母としての淀殿の地位を重んじ、次席に据えたのですが、この序列に面子を潰されたのが、淀殿より古くから秀吉の寵愛を受けていた松の丸殿。酒席で秀吉から杯を受ける際に、松の丸殿は序列を無視して淀殿の前に無理やり割り込み、二人の争いになったといいいます。この「杯争い」を、間に入って取り収めたのは秀吉ではなく、客人の立場であった前田利家の正室・まつだったとか。たぶん、秀吉はオロオロしてただけだったのでしょうね。


 この浮世離れしたイベントで秀吉たちが夢見心地なひとときを過ごしていたとき、朝鮮半島では激しい戦闘が続いていました。そもそも、この「醍醐の花見」が企画されたのは、朝鮮出兵で苦戦を強いられていた豊臣政権に漂う暗いムードを払拭したいという狙いがあったといわれ、また、自らの死期を感じ始め、精神的にも不安定な状態に陥っていた秀吉自身の“気晴らし”という側面もあったのでしょう。会場となった醍醐寺の周辺は弓・槍・鉄砲を持った警備兵が囲み、そのものものしい警護も、秀吉最後の宴に暗い影を落としていました。


 この「醍醐の花見」が終わると、秀吉は急激に死の淵に向かいます。秀吉死去の5か月前のことでした。



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by sakanoueno-kumo | 2016-08-01 21:08 | 真田丸 | Trackback(1) | Comments(2)

 

Tracked from ショコラの日記帳・別館 at 2016-08-04 16:10
タイトル : 【真田丸】第30回感想と視聴率&赤ちゃんに紙オムツ「黄昏」
「黄昏」都知事選の開票速報のため、45分前倒しとなってしまった第30回(19:1... more
Commented by heitaroh at 2016-08-08 10:07
昨日の秀吉の死のシーン。いくら安静だからって、周囲に誰も人がついてないというのも・・・って気になりましたが、あれは「市民ケーン」から着想を得たんだなと思いましたよ。
もしあれで死んでたら、近侍している者は間違いなく死刑でしょうね(笑)。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-08-08 20:20
> heitarohさん

ごめんなさい。
「市民ケーン」を観てないのでよくわからないのですが、最後はあんな死に方だったのでしょうか?
たしかに、秀吉ほどの人が孤独死ってのは、少々無理がありますね。
いくら周りに人がいても、心情的には孤独だったのかもしれませんが。

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