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山崎合戦のまちを歩く。 その14 「洞ヶ峠」

「洞ヶ峠を決め込む」という言葉がありますよね。

両者を比べて、有利な方につくために形勢を観察し、日和見的な態度をとることを言いますが、この言葉の由来は、山崎合戦明智光秀から援軍要請を受けた大和国郡山城主筒井順慶が、羽柴秀吉明智光秀のどちらに加勢しようかと、洞ヶ峠に陣取って形勢をうかがったというにちなみます


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「洞ヶ峠」という名称は現在も残っており、京都府八幡市と大阪府枚方市の府境にあります。


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現在のロケーションはこんな感じ。

飲食店などが立ち並ぶ開発された町並みで、当時の痕跡を見ることはできません。


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「八幡洞ヶ峠」の交差点の片隅には、「筒井順慶陣所跡」と刻まれた石碑が、ひっそりと建っています。

碑は道しるべも兼ねていて、『右西双子塚三丁、左圓福寺三丁』とありました。

いつ建てられたものかはわかりませんが、かなり古いもののようです。


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峠の頂上付近には、「洞ヶ峠茶屋」という屋号のかやぶき屋根そば屋がありました。

べつに史跡というわけではないようですが、ちょうど昼食時だったこともあり、入って見ることに・・・。


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入口には、教育委員会が作った「洞ヶ峠」伝承の説明板が設置されていました。

何度もいいますが、お店自体は史跡ではありません。


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店内はこんな感じ。


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席につくと、洞ヶ峠茶屋と洞ヶ峠伝承を紹介した新聞記事がテーブルに置かれていました。


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で、これが「順慶定食」1300円です(笑)。

具がたっぷりはいったうどん(そば)二玉に、小鉢が3品も付いたボリューム満点の逸品です。

でも、なんで「順慶」なのかはわかりません(笑)。


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お店はぼたもちが名物らしく、せっかくなので買って帰りました。

帰宅して包装を開けてビックリ!

で・・・デカイ!!


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ちなみに、洞ヶ峠の伝承についてですが、実際には、筒井順慶は「本能寺の変」のあと、郡山城に籠城を決め込んでいて、洞ヶ峠には来ていないという説が正しいようです。

なぜ、このような話が生まれたのかはわかりませんが、伝承なんて、案外そんなものなのでしょうね。

不名誉な伝承で汚名を着せられた筒井順慶は気の毒ですが、そのおかげで、洞ヶ峠という名称が世に知れ渡っていて、わたしも、このぼたもちに巡り会えました(笑)。


次回、シリーズ最終回です。




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by sakanoueno-kumo | 2016-08-03 18:49 | 山崎合戦ゆかりの地 | Comments(0)  

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