人気ブログランキング | 話題のタグを見る

SMAP解散の舞台裏に見る、関ケ原の戦いと女の確執。

世間がリオデジャネイロオリンピックに熱狂している真っ只中、SMAP年内解散が発表されましたね。

まあ、今年の1月の騒動がありましたから、「やっぱりな」といった感じで特に驚くことはなかったのですが、それでも、オリンピック前の27時間TVで中居正広さんが明石家さんまさんから釘を刺されていたのを観てると、どうにかこうにか修復されつつあるのかなあと思っていたんですけどね。

彼らも全員40前後の大人ですから、自分たちがどれだけ大きな存在で、自分たちで飯食ってる人たちが大勢いるということを理解したうえで、感情的にならず、大人としての対応ができているものだと・・・。

残念ですね。

わたしは、とくに彼らのファンと言うわけでありませんが、なんなんでしょう?、この得も言えぬ喪失感は・・・。


そもそもの発端は、事務所内の女性副社長と敏腕女性マネージャーの確執に巻き込まれたかたちで、グループ内に軋轢が生じたということだそうですよね。

ゴシップ誌などの記事がどこまで鵜呑みにできるのかはわかりませんが、関係者サイドが特に否定していないところを見ると、大筋は事実なんでしょう。

そこで不思議に思うのは、なんで、これほどまで裏事情が明かされているのか?・・・ってことです。

過去、グループの解散というのは数多くありますが、大概の場合、「音楽性の違い」とか「次のステップを目指して」とか、もっともらしい理由付けで解散しますよね。

でも、実際にはそのほとんどがグループ内の人間関係が理由で、ファンもそれはわかっていて、あえてそこを突っ込まず、所属事務所も、解散後の個々の活動のためにも、なるべく綺麗な終わり方を演出するんですよね。

それが、普通だと思います。


ところが、今回のこの醜さはどうでしょう?

想像するに、芸能界一力を持つというジャニーズ事務所ですから、その気になれば、裏事情をもみ消すくらい、たやすいことなんじゃないでしょうか?

それが、このたびのこの筒抜け状態

なんか、あえて裏情報を流しているとしか思えないんですが・・・?

事務所的には、この数ヶ月再三彼らを説得したけど、当人たちの意思がつよくて事ここに至ってしまった・・・と。

だから、事務所的には、最善を尽くしており、悪いのは彼らだ・・・と。

それが言いたくて、わざと裏情報をリークしているんじゃないか・・・と。

穿ちすぎですかね?


この間、もし解散を思い留まるよう彼らを説得できた人がいたとしたら、退社したという女性マネージャーしかいなかったのでしょうが、たぶん、それなりに説得はしたんでしょうが、心の底から説得したかといえば、してなかったんじゃないかと・・・。

だって、彼女は追いだされた身でしょう?

今回の解散発表に至って、どこか痛快に思う気持ちがあるんじゃないですかね?

ほら、やっぱりわたしがいなけりゃSMAPはまとまらないでしょ!・・・的な・・・。

これまた穿ちすぎですかね?

でも、人間ですから、そう思って当然だと思いますけどね。


SMAP解散の舞台裏に見る、関ケ原の戦いと女の確執。_e0158128_17194731.jpg女性同士の確執
に男たちが巻き込まれた例は、歴史のなかにも存在します。

その最も大きなものとしては、慶長5年(1600年)9月15日に起きた、天下分け目の大戦「関ケ原の戦い」でしょうね。

徳川家康を大将とする「東軍」と、石田三成を中心とする反徳川勢力の「西軍」合わせて20万の兵が激突した、言わずと知れた日本史上最大の内戦ですが、この背景には、実は旧豊臣政権を二分する女の確執があったといいます。

その頂点にいたのが、豊臣秀吉の正室・お寧(北政所・高台院)と、同じく秀吉の側室・茶々(淀殿)でした。

子宝に恵まれなかった北政所と、世継ぎを生んだ淀殿は、秀吉の生前から微妙な関係となりますが、秀吉の死後、その確執は表面化し、側室の淀殿が大坂城を実質掌握し、正室であるはずの北政所は、本丸から西の丸へ移り、やがて大坂城を退去して京都の新城に移り住みます。

経営者よりも敏腕マネージャーのほうが影響力を持ってしまったというジャニーズ事務所の関係性と似てますよね。


SMAP解散の舞台裏に見る、関ケ原の戦いと女の確執。_e0158128_17203474.jpgこの二人の確執に、秀吉子飼いの大名たちが分裂します。

尾張時代から秀吉に仕え、北政所を母のように慕っていたという加藤清正福島正則らは、必然的に北政所側となり、秀吉が近江長浜城主となってから仕えた石田三成小西行長らは、同じく近江の浅井家の血を引く淀殿に接近します。

もともとこの尾張派近江派は折り合いが悪かったのですが、この北政所と淀殿の対立に便乗するかたちで、より関係は悪化していき、やがて、尾張派は東軍に与し、近江派は三成を大将として西軍となります。

家康にしてみれば、この対立を上手く利用して天下を取ったといえます。


結果は周知のとおり東軍の勝利となり、三成、行長ら近江派は斬首されます。

この戦いで分裂した豊臣政権は屋台骨が崩れ、やがて、滅亡の道をたどることになるんですね。

北政所も淀殿も尾張派も近江派も、豊臣家の存続という目的は一致していたはずが、確執による派閥闘争弱体化を招き、結局は、誰も望まない末路となったわけです。

ちなみに、家康に加担した尾張派も、加藤清正はのちに謎の死を遂げ、福島正則はあらぬ嫌疑をかけられて改易となります。

結局、誰ひとりハッピーエンドになっていません。


副社長と敏腕マネージャーの確執に始まり、それが引きがねとなってグループ内に軋轢が生じ、分裂解散となった今回のSMAP騒動。

結局、誰も得しない結果になるんじゃないでしょうか?

あるいは、ジャニーズの弱体化を虎視眈々と狙っている徳川家康がいるかもしれませんよ。

歴史は教えてくれます。

温故知新です。



ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
   ↓↓↓


by sakanoueno-kumo | 2016-08-25 03:07 | 芸能 | Trackback | Comments(2)

 

Commented by heitaroh at 2016-09-02 10:53
深読みしますね(笑)。
でも、この場合、北政所と淀殿にはそれぞれ、正室と生母という背景があったわけで、ジャニーズの方はともかく敏腕マネージャーにはそれが無いでしょう。
副社長が他人でマネージャーが社長の血族とかであればまた違ってくるでしょうが。
Commented by sakanoueno-kumo at 2016-09-11 03:05
> heitarohさん

RES遅くなってすみません。
ただいまめちゃめちゃ多忙の毎日なもので・・・。

まあ、そうなんですけどね。
淀殿は多くの側室のなかで唯一秀吉の子を生んだという点で、「敏腕」なんじゃないかと。
無理やりですけどね。

<< 真田丸 第34話「挙兵」 ~七... リオデジャネイロオリンピックが... >>