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真田丸 第39話「歳月」 ~真田紐の伝承~

 九度山村で蟄居生活を送る真田信繁のもとへ、兄の真田信之矢沢三十郎頼幸が訪れたところから始まった今話。かつては関ケ原の戦い以後、信之、信繁兄弟は生涯会うことがなかったと考えられていましたが、近ごろの研究では、一度だけ対面した事実が確認されているそうです。もっとも、信之が九度山村を訪れたのは慶長10年(1605年)の徳川秀忠征夷大将軍任官に供奉して上洛した際に立ち寄ったようで、父の真田昌幸の生前のことになります。実際、昌幸が知人に送った書状のなかにも、そのことが記されています。関ケ原の戦いから5年、ことのき、昌幸、信之、信繁の3人で、どんな会話が行われていたのでしょうね。想像が膨らみます。そして、これが信之、信繁の生涯の別れとなるのですが、ドラマでは特にそのことを重視していなかったようですね。もっと、ドラマチックなシーンになるのかと思っていたのですが・・・。


e0158128_02593024.jpg 関ケ原の戦い後の信之は、父・昌幸の上田領3万8千石、信繁の知行(およそ1万9千石相当と推定)を徳川家康より安堵され、以前から領していた沼田領2万7千石と合わせると、8万4千石ほどになります(ドラマでは、きりが信之のことを「9万5千石の大名」と言っていましたが、この頃の石高というのは、江戸時代中期以降のそれと違ってまだまだ曖昧だったようです)。信之は小県一円を任された大名として、こののちも徳川幕府に忠義を果たしていくことになります。


 九度山村での蟄居生活は困窮を極めていたようで、信之の援助は不可欠でした。資料によると、信之からの毎年の仕送り金は約100両(現在の価値で約1000万円ほど)であったようで、それ以外にも紀伊浅野家から50石(500万円ほど)の支援金をうけていたようです。この金額だけみれば、十分な暮らしができそうに思えますが、これで家臣たちの食い扶持も見なければなりません。九度山で生活していたのは、昌幸・信繁父子の家族に加え、上田城主時代からの家臣、池田長門守、原出羽守、高梨内記、小山田治左衛門16人の家臣が付き従っていました。年収1500万円では、とてもこれだけの人数を養えないですよね。昌幸の・信繁は毎年の仕送り以外にも、信之にたびたび臨時の仕送りを要請しています。


 ドラマでは描かれていませんでしたが、信繁たちの生活をさらに圧迫したのは、この信之来訪直後に起きたと思われる屋敷の火事だったようです。昌幸・信繁父子はこの火事の後始末と屋敷の再建で、ほうぼうに借金を抱えることになったのだとか。踏んだり蹴ったりの時期ですね。


e0158128_02593242.jpg そんな信繁たちの困窮した生活の糧となったのが、「真田紐」の製造、販売だったといわれます。その伝承によると、信繁たちは少しでも困窮した生活の足しにするため、家族で木綿の紐を織る内職をし、家臣に行商させたといいます。真田紐は丈夫で伸びにくい性質があり、武具の締め紐などに重宝されたといいます。これを、「真田の作った強い紐」との触れ込みで行商し、天下の情勢に絶えず目を光らせていたと・・・。


 この話のどこまでが史実かは定かではありません。少なくとも、昌幸・信繁が考案したというのは作り話のようで、それ以前から、この地域で生産されていた紐のようです。ただ、その紐が「真田紐」と名付けられて現代に伝わっていることを思えば、信繁たちが何らかのかたちで製造・販売に関わったのは事実かもしれません。一説には、当時、徳川の天下統一に伴い、特に大坂を中心とした地方の庶民には親豊臣・反徳川的風潮が根強く、そんななか、最後まで徳川に苦汁をなめさせた信繁を支持・美化する動きがあり、「真田紐」をひとつの象徴とするようになった、とも言われます。ドラマでは、「真田紐」を考案した信繁がそれをライセンス化し、「真田紐」ブランドを立ち上げ、村の衆に販売権を委ねてフランチャイズ契約を結ぶという設定でした。信繁、賢い!


 その「真田紐」の考案のキッカケとなったのが、ルソンに亡命していた豊臣秀次の娘・たか(隆清院)が持ち帰った「サナール」という紐という設定も秀逸でしたね。「サナール」=チベット語で紐のことだそうで、「サナール・・・サナーダ・・・ナダヒモ・・・バンザ~イ!!!」ってことだそうで・・・。くだらない親父ギャグのようですが、サナールという単語を知らなけりゃ作れない設定です。さすが、三谷さんの雑学量には毎度感心させられます。


 秀次の娘がルソンに亡命していたという逸話は存在せず、ドラマの創作です。ただ、秀次事件でなぜ処刑されなかったかは不明で、その後の詳細も分かっていません。外国にでも逃げてなけりゃ助からなかっただろうというのが、ドラマの設定ですね。その後、九度山に蟄居している信繁の側室となり、信繁の五女・なほ(顕性院)、三男・三好幸信を生んだと伝わります。ドラマではもう出てこない雰囲気でしたが、じゃあ、いつ身籠ったのでしょう? きりとが親密になった一瞬のすきをついて・・・? 信繁、凄すぎです。



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by sakanoueno-kumo | 2016-10-07 17:01 | 真田丸 | Trackback | Comments(0)  

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